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経験の最高原則について黒崎先生の自身の入門書における解説は懇切丁寧で非

経験の最高原則について黒崎先生の自身の入門書における解説は懇切丁寧で非常に分りやすいと思うのですが、他の専門家の中には「黒崎氏は、空間・時間はAの形式ではなくBの形式である、と表現していますが、これはやや大上段な先回りした論理構成になっていると思います。 空間・時間は形式であるということ。そして、Bの形式であること。ここに、「Bの形式であること」と比較対象的かどうかが吟味されていないので並べても説得力が増すかどうかわからない「Aの形式であること」を挟み込んで否定しています。Bの形式であることとAの形式であることが、取り違えられやすいと考えたのかもしれませんが、少し乱暴な、不親切な書き飛ばしの印象を受けました。 」 といったご意見がございます。 専門家の方にお伺いしたいのですがこの意見は参考にすべきでしょうか?

みんなの回答

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.5

すこし、不思議な現象を見ている気がしますので再度参加します。 ある素人にとって黒崎氏のなにが読解しにくかったのかと、素人ならではこそ推測できることもあります。(もうここ数日で言い飽きましたがamaguappaは哲学の専門家ではない。少し前、哲学カテゴリにあった自己同一性の質問には専門家として答えました。) 哲学に手を付けた一般読者にとって難解な言葉、それは、「直観の形式」のほうではなく、「ものが存在するための形式」という言葉のほうではないでしょうか。これは何だろう、はて難しいな、とわたしは思います。 空間や時間が“枠組み”となって“直観”に“記法”をもたらしていることは、現代人の心性にとって、“神”よりもむしろ馴染みやすいものだと思います。また、“述語のカテゴリー”が 思考の“形式”であることも、主観が系統的な構成をもつことを認める立場が広く知られている今日では、納得しやすいものがあります。 ですから、hakobuluさんほどの読者がこういう内容そのものにつまづいたとは、わたしにはあまり思えないのです。 しかし、「ものが存在するための形式ではなく」という表現につまづくことはあるのではないか。。。素人読者の気持ちを身をもって知るわたしは、ほとんどその点だけに注目したつもりです。 「空間・時間という、ものが存在するための形式によって質料だか内容だかとしてのものが存在する」という考えが一体あるのかしら? なぜ引き合いにだすかしら?  形式というからには容れ物だけれども、たとえば運動や可能態と言った段階でそれ自体やはり形式ということになるかしら? 実在論は空間・時間を形式と考えていたのかしら? 誰か教えてくれないかなあ。。。  杞憂かもしれませんがこんなふうに立ち止まりがちな箇所ではないでしょうか。「空間・時間は形式であり、直観の形式である。」と書かれるより難しく、考えさせられることが多く含まれていると思います。 このことは、黒崎氏の入門書が懇切丁寧でないことを意味するのではありません。また、直観の形式とは何かの説明がわかりづらいなどを意味するのでもありません。 著者の念頭に何があってペンがそのように動くのかを、著者に乗り移ったように細部まで読み込もうとすれば、書かれた言葉の意図は逐一明快になるべきです。しかし、「ものが存在するための形式ではなく」という言葉は、明快な指示対象があるとしても、辿っていけば神の信仰をめぐる歴史とカントの思惑の深い海へ流れ着くような気がします。地層を掘り起こさずに書かれたという印象です。だから、立ち止まっても読み手の力が足りないとばかりは限らない、そんなふうに開示されきらない著者のたくわえた地層というものがここにはあるのではないか、と思います。 「懇切丁寧で非常にわかりやすい」ことがすなわち「言葉がすべて明快な、親切なベルトコンベア式の、思考の先回りもなくチャート式並みの、念頭にあるものはすべて言語化されている」ということなら、たぶんsenmonkkさんとは意見の相違があるということになるかもしれません。 ghostbusterさんがわたしの用語なき定義なき駄弁に脱力感を抱くならともかく、(しかし哲学素人だとご存じだと思うのと、精神療法畑のものでしかない雑駁な素描をご覧になって脱力するほどの期待はそもそもないと思うのですが)、、、ご投稿にたいするhakobuluさんの理解はおそらく精緻なものだと思います。 ご質問を補うべく投稿しております。senmonkkさんが補足欄に書き込むことによって、問題が議題として立ち上げられ、指摘回答や批判回答の立場をとらずに投稿者が書き込めるようになってくると思います。質問者が補足欄に批判や反論を書くことは容認されていますから、どうぞお書き込みくださいね。有効利用なさってください。

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

senmonkkさん、ちょっと横レス失礼いたします。 ご自身の質問内容と全く無関係というわけでもないでしょうから、ご容赦ください。 ghostbuster さん、前回は大変貴重なご回答をありがとうございました。 印刷して時折読み返しております。 今回の質問者の方の骨子は、 「経験の最高原則について黒崎先生の自身の入門書における解説は懇切丁寧で非常に分りやすいと思うのですが、そう思わない人もいるようで、その論理は以下のようなものです。どう思いますか?」 ということですよね。 その「以下のようなもの」として私に対する回答内容が挙げられていたわけですが、 しかし、Aの形式、Bの形式の内容を明示せずに、 「この意見は参考にすべきでしょうか? 」 と質問されても(件の質疑を知らない方々にとっては)回答のしようがないのではないでしょうか。 それで、質問者さんは私の質問文をよく読まず、つまり、 A の形式=ものが存在するための形式。 B の形式=私たちの直観の形式。 という構図に気づかないまま質問を立てられたのではないか、と私は思ったわけです。 これ(A の形式、B の形式)の内容がわかれば質問者の方も、わざわざ専門家の方の手を煩わせるまでもなくご理解いただけるのではないか、と考え投稿した次第です。 また、なぜ、 『黒崎氏は、~これはやや大上段な先回りした論理構成になっていると思います。 空間・時間は形式であるということ。そして、Bの形式であること。ここに、「Bの形式であること」と比~取り違えられやすいと考えたのかもしれませんが、少し乱暴な、不親切な書き飛ばしの印象を受けました。』 という表現をされたのか、についても(たぶん正しいと思いますが)自分の考えを述べました。 先にも述べたように、今回の質問者の方の骨子は、 「黒崎先生の自身の入門書における解説は懇切丁寧で非常に分りやすいと思うのですが、そう思わない人もいるようで、その根拠に私は異議がある」 ということでしょうから、その根拠と思われていること自体に勘違いがあると判明すれば、ひとつの参考になるだろう、と考えたわけです。 ですから、ghostbuster さんが、 >先の質問でわたしがした回答は何だったのか、と、ちょっとショックと脱力感を味わっている :とおっしゃるのには、私のほうもちょっとショックを受けているような次第です。 特に、上に述べたような理由で、この質問者さんは、明らかに不合理な質問をしているように私には思えるのですが、それに対して、 >質問者さんが苛立っておられる気持ちはよくわかるのです。 >質問者さんみたいに書かなくてもわかってる人に書いたってほんとはしょうがないのだし、 :と ghostbuster さんがおっしゃる理由が私には全くわかりません。 また、再び、 >先の質問の質問者である#1の方の回答を拝見して、先の質問でわたしがした回答は何だったのか、と、ちょっとショックと脱力感を味わっているんですが、 :とおっしゃる点についてですが、 今回の私の投稿のどの箇所が、そのような感覚に至らしめてしまったのか全くわからず、非常に困惑している次第です。 >「形式」というのは、あくまでも主観の側のもの、それも経験によらず、先天的にあるものです。 「もの」の側にはありません。黒崎さんが書いておられることは、ごくごく原則的なことで、一切問題はありません。 :という点について、私も教えていただき大分理解できるようになったつもりですし、件の回答者さんのお考えとも特に相違は無いように思われます。 #1の末尾で抜粋した件の回答者さんの解説は、少し読みかけている統合に関するアプローチのひとつとして非常に興味深い(違う意図なのかもしれませんが)と感じたわけですが、この内容を肯がったことが、ghostbusterさんのおっしゃった内容を理解していない、という結論に結びついたわけではありませんよね。 ghostbusterさんは、私のお気に入りのリストに早くから入っている方でして、お気の向いたときで結構ですが、今後ともぜひご回答をよろしくお願いしたいものと思っております。 黒崎氏の入門書もghostbusterさんが「比較的わかりやすい」といったような表現でお勧めしているのを拝見したのが購入のきっかけではありました。 無知蒙昧さのゆえにご迷惑をおかけしたやもしれず、心苦しく感じておりますが、どうも納得がいかず、あえての投稿となりました。    

noname#114400
質問者

お礼

すいません、あまりのショックで焼酎を呑んでも眠れないです。 もうghostbusterさんからの回答はないと思います。 それでは失礼します。

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回答No.3

先の質問の質問者である#1の方の回答を拝見して、先の質問でわたしがした回答は何だったのか、と、ちょっとショックと脱力感を味わっているんですが、考えてみれば一度や二度、回答をしたくらいで、わかってもらえると思う方が間違ってるのかもしれません。 指摘回答、批判回答は意図するところではないのですが、前の回答の補足程度にお受け取りください。 わたしたちの認識のもっとも基本的な前提には、素朴実在論があります。 赤いバラは、わたしたちが見ていても、見ていなくても、赤い、というふうに。 ところがそれに対して、近代認識論の祖ともいえるロックは、このように考えていきます。わたしたちが「赤いバラ」と思っているのは粒子の集まりである。そうして、粒子それ自身には色はない。ところがわたしたちの目に映るバラは赤い色をしている。ならば、その色はどこで生じたのであろうか。 この「色」というのは、わたしたちの感覚器官内部に属するものである、と。 さらに、バークリーは一歩進めて、この関係は「色」や「音」ばかりでなく、広がりや運動、固体性といった空間をしめることにともなう性質に関してもいえる、と主張したのです。 ここ、重要。 わたしたちのまわりの空間は、わたしたちにあたえられた事物の印象にすぎず、それらはある仕方で秩序づけられている、とわたしたちがいっているだけのことではないか。こうした印象をひきおこしているものが、わたしたちの経験に与えられたものとはちがっている、という証拠があるだろうか。もちろんそんなものはどこにもありません。 ここから有名なバークリーの定義「存在するとは知覚されていることである」がでてきます。 けれども、そうなると、困ったことが起こってくる。経験のなかに生じる世界は、個人の感覚能力に相対的であるわけですから、客観の側には何も残らなくなってしまう。事実、ヒュームはここから、主観的世界から外界に存在するものへと向かう通路を破壊してしまったのです。これは困ったことです。科学というのは必然を扱うものですから、すべてが主観的となると、科学そのものが成立しない。 カントの取った立場は、イギリス経験論者たちが到達した地平から展開されたものです。そのうえで、科学や必然性が成立することを証明しようとしたのです。 カントは「もの」の属性は主観に属するものである、とします。 すなわち、それらは時間と空間という「直観の形式」にしたがって、わたしたちに与えられた「現象」である、と。 「形式」というのは、あくまでも主観の側のもの、それも経験によらず、先天的にあるものです。 「もの」の側にはありません。黒崎さんが書いておられることは、ごくごく原則的なことで、一切問題はありません。 質問者さんが苛立っておられる気持ちはよくわかるのです。 もうね、正直言うと、脱力感とも何ともつかない気持ちでいっぱいなんですが、こういうところで回答するというのは、結局、そういうものなんだろうと思います。 勉強したい人は、わたしが書くよりずっと正確な本ならいくらでもあるんだから、それを読めばいいんだし。 書くべき事は書いてるし、それがわかってもらえないのもよくわかったし、質問者さんみたいに書かなくてもわかってる人に書いたってほんとはしょうがないのだし、だから、もういいんです。あんまり苛立たないでくださいな。ほんとにこんなことはやめてください。言いたいことはそれだけです。 この回答に関しては、わたしに書けることはすでに書いていますので、もうこれ以上の回答は失礼させていただきます。

noname#114400
質問者

お礼

いま丁度帰宅してNO1~NO5まで全回答を読み終えたところなんですが、結局質問者がただのアホみたいなことになってますね(笑)。 どうもわざわざありがとうございました。

noname#114400
質問者

補足

NO4の回答を読んであまりのショックで焼酎でも呑まなければ眠れそうにもないな。

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  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.2

第一に、くだんの回答は、別の方の疑問のために書かれています。ANo.1のご本人様から明晰な言をいただいていますので付け加えることはないどころか過分なお心遣いに感銘を受けています。質問した方が理解するに至りにくい原因は黒崎氏の文章のどこにあるのだろうかということを考えています。 第二に、こちらの質問者さんは納得できない点もあることでしょう。それは疑問が両者ではべつのところに発するためではないかと思います。質問者さん自身が、くだんの回答の全体と部分をどのように読解なさったかを書いたうえで疑問点を提示されたほうがよろしいかと思います。 第三に、くだんの回答者であるわたしamaguappaが、純粋理性批判の入門書を読む上で専門家であると質問者さんが判断することには、全く根拠がありません。 旧来のシステムにおいて回答者たちは、回答する質問と回答内容に即して専門知識を持っているのかいないのかを記入しなければなりませんでした。 すなわち、質問が舌足らずな短い表現であれば、質問者が脳内にいかなる想念を秘めていようとそこにさまざまな分野違いの専門家が回答を寄せてくることがあるのでした。 しかしながら、くだんの黒崎氏の入門書読解についてたてられた質問のように、質問文が経緯と状況を明示しているならば、回答者が専門家であることはきわめて限られた専門領域を修めたということを意味します。 さて、以上をふまえ、問われているところの図式は、ANo.1様も明記されていますようにこういうものです。 空間・時間について  Aの形式.....Aとは「ものが存在するため」  Bの形式.....Bとは「わたしたちの直観」 黒崎氏の記述を理解するには、これら二つの条件が比較される意図を理解しなければならないでしょう。 ものが存在するための形式とは、どのようなことでしょうか。それは、否定されるために持ち出された条件なのです。 この否定において、ものが存在するための形式ばかりでなく、ものが存在するための材料もまた否定されることが自明です。 それを一度に理解する必要があります。 重複してしまいますが、amaguappaの次の文章は、黒崎氏の構図に沿って、経験の可能性の条件が、同時に、経験の対象の可能性の条件であることを述べようとするものにほかなりません。 > このとき形式とは、汲みつくされる内容・芯奥・基底などがあることに伴うその顕在の仕方、現れ方、外観と考えるか、または、物質・物体があることにともなう形相と考えるか、いずれにしても、構造を成し、枠組みを与えている働きの結果で、手続きやプロセスをもって整合をつけている体裁です。 > > 次に、空間・時間は、何かのそしてなんらかの、形式であるのか、それとも、汲みつくされる内容や物質なのかという問題があります。  (....) > 空間・時間は、それそのもので何かであるものとして私達に汲み取られたり材料化されたりするものではないんだ、むしろ何ものかである直観へあたえられている構造・枠組み・手続きプロセス上の体裁なんだ、つまり形式なのだが、ものが存在するための形式じゃないよ、何ものかである直観の形式なのだ、という意味でしょう。 > > コーヒーカップが非在となる(消失する)としたら、直観が崩壊したのです。コーヒーカップがある空間・時間というのは、それ自体はわからないし問わないので、コーヒーカップがある空間・時間を経験や認識が通り過ぎたり逸れたりするという順序では考えないことが、肝心かと思います。  (....) > コーヒーカップがある空間・時間それ自体が、与えられた形式であり、直観の形式なのですね。 まずここまでで疑問に思われることがあれば、それを補足欄にお書きになり、 そしてその疑問をお読みになった専門家の方からのご回答やご意見を、質問者さんは期待すればよろしいと思います。 そうすれば、緻密な思索をすすめることができるでしょう。

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.1

今回ご質問に掲げられた内容は、過日の私の質問に対する回答者の方の投稿内容(下記の#2さん)と一致しますので、僭越ながら多少補足しておくほうが良いと思います。 http://okwave.jp/qa/q5916045.html 過日の拙質問文をお読みいただければご理解いただけますが、回答者の方の投稿内容は、 A の形式=ものが存在するための形式。 B の形式=私たちの直観の形式。 をそれぞれ指しています。 つまり、回答者の方の投稿内容は、正確には以下のとおりです。 『黒崎氏は、空間・時間は【ものが存在するための形式】ではなく【私たちの直観の形式】である、と表現していますが、 これはやや大上段な先回りした論理構成になっていると思います。 空間・時間は形式であるということ。そして、【私たちの直観の形式】であること。 ここに、「【私たちの直観の形式】であること」と比較対象的かどうかが吟味されていないので 並べても説得力が増すかどうかわからない「【ものが存在するための形式】であること」を挟み込んで否定しています。 【私たちの直観の形式】であることと【ものが存在するための形式】であることが、取り違えられやすいと考えたのかもしれませんが、 少し乱暴な、不親切な書き飛ばしの印象を受けました。』 「大上段な先回りした論理構成になっている」というのは、私が超初心者であることを慮っていただいた結果の表現であって、ご本人が黒崎氏の意図を理解していないということではありません。 『【ものが存在するための形式】ではないと仮定して、なぜ、そこから【私たちの直観の形式】であるという命題が(黒崎氏によって)導出され、論じられているのだろうか』 と素人である私は疑問に思うだろう、とこの回答者さんは推察してくれたわけです。 直接的な答えとしては、 「空間・時間は、それそのもので何かであるものとして私達に汲み取られたり材料化されたりするものではないんだ、むしろ何ものかである直観へあたえられている構造・枠組み・手続きプロセス上の体裁なんだ、つまり形式なのだが、ものが存在するための形式じゃないよ、何ものかである直観の形式なのだ、という意味でしょう。」 に始まる懇切丁寧なご説明が以下に続いていますが、 その答えに入る前に、 『質問者であるあなた(=hakobulu)が理解し辛いとしても、「やや大上段な先回りした論理構成」になっているのだから、そう悲観しなくてよろしい』と慰めて(励まして)くれている箇所だろうと思われます。 『【私たちの直観の形式】であることと【ものが存在するための形式】であることが、取り違えられやすいと考えたのかもしれませんが』 という箇所も、(回答者のみなさんのお陰で今は幾分身近に感じられるようになった)「物自体」と「現象」の区別もまだおぼつかない初心者に対する優しい心配りです。 ついでですので、件の回答者さんの解説で、私が一番感銘を受けた箇所を抜粋しておきます。 『注意すべき点として、ものの変化と観測は現実に別個の事象として成り立っているのではないかという疑問が浮かびますが、再現性に期待して予測している主観にとって、ものが存在していることの形式またその方法様式は、シミュレート的に外在するものとして仮置きされていると言えます。』 専門家の方からの回答を望んでいらっしゃるのに、ど素人の投稿で申し訳ありませんでしたが、ご参考まで。   

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