• ベストアンサー

辞任や切腹は責任をとったという事なのでしょうか?

garurururuの回答

回答No.11

第一次世界大後、戦後処理のベルサイユ条約で敗北側のドイツに多大な責任を取らせようとした 結果、世界最大の被害者総数、死亡者数、被害額を産んだ第二次世界大戦へのシナリオが発動した 第二次世界大戦は人類始まって以来の様々な悲劇の記録を持つ人類最大の悲劇 アメリカも日本に「譲歩」しなかった。それが元で日本も戦争を始めてしまった この世で最も害のある事象は「責任」と言う概念がもたらせた害悪だった もう、だ~れも、許さない! 現代社会というものはとにかく責任と言う概念が強すぎて、重過ぎる 社会の不安要素だ。責任なんて考えていたら楽しめないよね? 保険屋が儲かる仕組みだ。個に大きな責任を負わせ、保険屋が変わりに支払う。だから保険に入れ。と。 人の命を握る医師は多大な責任を背負うだろう。彼らは責任と言う概念を忘れて手術に望む 人の命なんて重い責任は個人には耐えられるものではない。そんな事を考えたらメスを体に入れられないだろう 責任の事など考えていたら緊張で手元が狂ってしまう。 だから一時的に責任を忘れ、ミスを減らそうとするわけね。 逆に責任を重く感じるとミスが増える。 責任は人の能力を低下させる事もある。責任が重くて晩婚化したり少子化の要因にもなるし デフレスパイラルにも責任の害悪は混じっている 重圧に耐えられる精神的な強さと言うより責任を無視する能力 一時的に無責任になることが出来る回路(力)が要求される 責任というものはどこかで線を引かなければならない。悲劇の元にしかならん 無責任すぎる事は良くない事だろうけどね また責任感が強い人は「立派な社会人」だと認識されるが、どうも最近微妙だねw 確かに人が必死で責任をとろうとする姿は美しく見える。しかしそれは他人に要求するものではない 勝手に誰かが決めるものでもない。トラブルがこじれないようにするために決めているんだろうけど 切腹する事で元に戻る物なら良い、元に戻らないものは何をやっても責任の取りようが無い また法的責任も責任を取ったことにならない。責任をとったことにするだけ。 そこで寛容の概念が必要になってくる。許すこと。責任よりも今必要なのはこれだね 世間は今、謝罪、反省ブームだw端から見てると狂っているように思える 刑務所は、謝罪する場所でも償う場所でもなく、形式的に償わされる場所だからね 強制的に「償わされる場所」であって「償う」場所ではない。 というか償わされるなんて概念は存在してはならない 償いと言うものは人によって強制的にさせられるものではない。またそうなってはならない ではなぜ償わさせようとするのか?見ているものが気持ちいいからに過ぎない、変な性癖を持ってしまっている どのように償う気持ちに持っていくか?そこに導くか?と言う事が重要なんだと思う それを如何に加害者に認識されるか?精神のコントロール術が使える人ではないと、誘導できる人が使わないと、エゴにしかならない 許されるかどうかは別として。 まぁ、問題を起こしたら辞めるというのは単なる社会の決まりごとだね。 正しいかどうかなどどうでもいい。そのあとうまくやってくれれば責任はどうでもいい。責任の追及なんて最も無益な競争だ しかし社会ではそう決まっている。伝統、風習だ。伝統の中には無くすべき良くない伝統もある しかしどういうわけか老人は伝統を愛す。それが愛国心だ。それが日本なのだと言い張って譲らない 老人に権力が握られているからどうにもならない。老害だ 許されないものは許すことを知らない。許すことを覚えない、誰も許さなくなる。誰も許されない世界になっちゃう。だから犯罪がある。人を許せれば犯罪など生まれない。あるいは生まれにくい 悪を倒してスッキリしたい気持ちが人間にはあるってことだね。これを正義感と呼ぶ 正義感の発露は怒りや憎いしみだ。対立や戦い、犯罪要因になる 正義とは悪の属性を備えている。出来るだけ人を許すようにしよう。 でないと君も俺も誰にも許されない世界になっちゃうw まぁ腰パンや態度ぐらいで大騒ぎする世の中だから既に許されにくい世界になっているんだけどね。ブログもよく炎上してるしね・・・ 長文失礼w

noname#107886
質問者

お礼

ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 辞任

    法務大臣は「死刑という文言を軽率に使った。国民や法務省職員に不快な思いをさせた」などと辞任の理由を説明しました。 辞めさせる責め方が、 「人の命を断つ事に軽率である」という思考だよね。 「死刑になる人は何をしたから死刑囚になったのか」という視点が全く欠けた責め方ですが、 思考フリーズした責め方をしているのは何故ですか? ハンコ押す「仕事」をやらないから辞任!なら筋が通りますが。

  • 切腹について

    こんにちは。 私は、会社で重大な過失を犯しました。 退社する事で解決する程度の問題ではありません。 会社で切腹して責任を取りたいかと思いますが、これは 犯罪になるのでしょうか?

  • 名ばかり責任者の辞任届

    初めて質問します。 現在、就業先の部署で名ばかり責任者として仕事をしています。 肩書きを頂いた時はさほど気にもしていなかったのですが、 今考えると責任者手当を付ける代わりに、残業手当は付かないと 言われた事を思いだし、少額の手当てで残業代を抑える為の手段だったんだと認識しました。 というのは、発言権も決裁権も無い状態です。 安易に受けた私も馬鹿でした。 確かに会社に投資をしているわけでも、株を所持しているわけでもありませんが、 責任が発生する事項のみ私対応で、その他については何もメリットがありません。 そこで、会社に辞任届を提出したいと思い当方で調べたのですが、 辞任届は役員や取締役が提出するような感じに受け取っています。 私は役員ではないので提出することが正しいのか分かりません。 ◎責任者と言い渡されたのは口頭でのみ。 ◎給与明細には「責任者手当」として手当が支給されています。 この場合、辞任届を提出するのは問題ないでしょうか。 責任者を継続したくない旨を会社側に伝える良い方法が有りましたら 知恵をお貸し下さい。 よろしくお願いいたします。

  • 死刑を求める事

    不愉快な思いをさせる発言かもしれませんがご容赦ください。 被害者側の人が、加害者側に対して死刑の求刑を求める事が多いと思います。 仮に被害者が殺害された時など、加害者を死刑にしたところで 命が復活するわけでもなく、たんに目には目をで求めてるくらいにしか思えません。 自分がもし加害者の立場なら無期で長期拘束されるよりは死刑の方がありがたいです。 実際、死刑のほうを求める加害者もいると思います。 そう考えると死刑でサクっと終わらすよりも無期で長期拘束したほうが辛いと思うのですが、どう思いますか? 何年か前に全国ニュースでも報道された事件があったのですが、幼い頃からの大親友が殺害されました。 まわりは皆、「死刑にしろ!」とか「死刑じゃないとうかばれないよ」とか言ってましたが自分は 「殺されてしまったものは仕方ないし、死刑にしたところで何かスッキリするんかな?」と不思議でなりませんでした。 話を聞いた時は悲しみと同時に激しい怒りを感じましたが、こうなってしまった事は事実なので 「死んじゃったか」と思うと同時に犯人に対し「なんらかの形で罪を償わないとね」と思いましたが、 だからといって死刑にしろ!とは特に思いませんでした。 死刑を求める事は、罪を償わすというよりたんに少しでも自己満足するための復讐なんじゃないかと・・ 死刑制度について肯定や否定をするつもりはありません。 肯定するも否定するも、望むも望まないもひとそれぞれ自由ですから。 ただ、死刑を求める人が多く感じ、それが理解できないのでいろんな方の意見をお聞きしたいです。

  • 役員を辞任してもいいが、責任はあると言われました。

    去年、代表取締り役である母が亡くなりました。 私と姉が役員として登録してあったのですが、実質的な仕事はしておらず、 給料ももらってはおらず、名前だけの役員でした。 母が亡くなってから、姉と個人財産で揉め、そちらがひと段落しそうなので、 今度は会社の方の話し合いなのですが、 私は一切、会社の方を継ぐ気もないので、役員を辞任したいと申し出ました。 すると姉(と弁護士)から、「辞任は勝手にすればいいが、将来の責任はなくならない」と言われました。 私も姉も株式証券を持っていることになっているので (実際の証券は手元にないしどこにあるのかもわからない) という理由らしいのですが。 今、現在は会社は負債は抱えてはおりません。 姉が言いたいのは、将来、会社をつぶすときや、将来的に負債を抱えたときのことのようですが。 役員を辞任しても責任は取らなければならないのでしょうか。 それならば、その責任も取らなくてもいい方法はないのでしょうか。 どうすればいいのか困っています。よろしくお願いします。

  • 大人の責任って何?

    ふと疑問に思いまして。 大人である条件として「自分の行動に責任が取れる」とか、よく言われますよね。 私は短大の指導教授に教わりました。 三十過ぎて、結婚して子供も出来て、ふと、自分が何かに責任を取れるかと考えた時、責任をとるって何だろうという疑問にぶち当たりました。 例えば引責辞任。辞めたほうは責任を取ったと成りますが、相手側は常に「責任を果たした」と思えるのか? 例えば犯罪。法的に償いを終えた(懲役や極刑でも)として、被害者からみてそう見えるのか。あるいは殺人であれば、被害者からは「償いを果たした」とは言ってもらえません。 例えば子育て。親としては出来るかぎりでいい環境(子供のためになること)を整えたいとは思うでしょうしするでしょう。 でも、育った後の子供から見て「あれが、これが足りなかった」といわれた時に、子育ての責任を果たしたことになるのでしょうか? 個人的と社会的な責任の取り方があるとは思うのですが、両立しないことも多々ありますよね。 そういう場合、どちらを何処までやれば、責任を取れる大人の行動と認識されるのでしょうか? また、責任がとれないなら大人でないと仮定するなら、どこかで責任を果たせなくなった時点で「大人」でへなくなるのでしょうか? その場合、なんと呼べばいいのでしょうか? 例で上げるなら ● 大企業の粉飾決算で社長が辞任した。 ● 党ぐるみの不正に主として関与した政治家が「わが身の不徳です。死をもって謝罪します」と自殺した。 ● 大量殺人者が宗教に帰依して、善行に励んだ。 ● 貧困家庭が倹約を重ね、子供の通う有名私立大学の学費を払った。 ● 交通事故で相手を殺してしまった人が、遺族の許しを得るまで足しげく謝罪に通う。 ● 何千人と救ってきた名医が成功率が高い手術に失敗して、患者が亡くなってしまった。 などで考えていただけないでしょうか? あるいはもっといい例示があればご紹介いただけると嬉しいです。 大人って、その責任っていったい何なのでしょうか?

  • 奪った命の為に死ぬのは合理的でないですか?

    まず、私は死刑賛成派ですが、「あなたの家族が殺されても死刑反対と言えますか?」というような事は思った事が無いですね。 第三者の感情なんて、二の次です。問題は 生きる筈の命を 安易に奪ってしまった事への対価だと思います。死んでしまった人に、償いなんてできないのだから、加害者がこれから生きて社会に貢献しても、被害者の為には何もできていません。被害者を蘇らせでもしない限り、結局 加害者と世間の自己満足でしかない。だから、奪った命の為に死ぬのは合理的ではありませんか?

  • 奪った命の為に死ぬのは合理的です

    まず、私は死刑賛成派ですが、「あなたの家族が殺されても死刑反対と言えますか?」というような事は思った事が無いですね。 第三者の感情なんて、二の次です。問題は 生きる筈の命を 安易に奪ってしまった事への対価だと思います。死んでしまった人に、償いなんてできないのだから、加害者がこれから生きて社会に貢献しても、被害者の為には何もできていません。被害者を蘇らせでもしない限り、結局 加害者と世間の自己満足でしかない。だから、奪った命の為に死ぬのは合理的です。 そこで質問ですが、この考えに問題点はありませんか?

  • 無差別事件の被害者に対しての責任

    無差別事件の被害者に対しての責任(賠償金や医療費など)は加害者が支払うことが出来ないとき、国が代わりに支払う制度はあるのでしょうか?

  • 死刑はどれほど被害者感情の救済に役立っているか?

    日本は大半の人が死刑賛成です。そして、大きな理由の一つに 被害者感情の救済があると思います。 ところで、日本では年間 約1000件の殺人事件が起きていますが、そのうち、加害者が死刑になるのは全体の1~2%にすぎません。だから、残りの98~99%は 死刑制度があることで 却って死刑にならない時に悔しさを感じるのではないかと思います。それに、加害者が死刑になる1~2%のケースでも、加害者が死刑になることによって ずっしり重い空虚感に苛まれるのではなかとも思います。 そこで質問です。死刑はどれほど被害者感情の救済に役立っていると思いますか?