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辞任や切腹は責任をとったという事なのでしょうか?

yasu2480の回答

  • yasu2480
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回答No.12

まず辞任についてですが、私個人としては責任をとって辞めるというのはお門違いと考えています。特に公人や取締役が自分の身の処し方を自分で決めるというのは責任を吐き違えています。 責任の取り方については選んだ側にその判断を委ねるというのが正しい在り方でしょう。進退伺いという形をとって、任命権者に下駄を預け、その決定に従うというのがあるべき姿です。 責任とはなんとかすることだというご意見ですが、そもそも能力がなくなんとか出来ない人間にやれといっても無理な話です。勝手にやれると思い込み、力のある地位に留まり続けられるのも迷惑な話です。 選んだ人間が「なにか起きてしまったがここを乗り切ってなんとか決着をつけられる」と判断すれば続投となるでしょうし、「いやムリじゃない」と判断すれば更迭となります。結局のところ、辞任とは更迭され能力がなかったと評価されるのを避けるための「極めて卑怯で悪質な行為」と考えて差し支えありません。 実はここで一番言いたいのは、「一番責任があるのは選んだ側の人間」だということです。議員も社長も職務を遂行するために必要な権力を与えられただけの人間ということです。権力者=責任者というのがそもそもの誤解なのです。 株主総会と社長の関係を考えれば分かり易いです。ダメな社長を選んで会社が倒産すれば、証券は紙切れと化し株主は大きな痛手を負います。倒産の責任は社長個人でなく選んだ株主にあり、無限に責任を負います。 その意味で、選挙で選ばれた公人が大きな罪を犯した場合、選ばれた公人は勿論、選んだ選挙民にはそれ以上の罪があるのですが、自覚に乏しいのが実情です。自分にはまるで無関係とでもいうように、街頭インタビューに答える姿をよく目にします。ですが、職責を果たせない人間を選んでしまった罪というのは非常に重いことを自覚すべきでしょう。 これは我が国が議会制民主主義をとる以上、国民すべてが自覚すべきことなのです。もしこの国が再び侵略戦争を犯すことがあれば、その戦争責任は誰あろう我々国民全員にあります。独裁者を生んだならば、その罪は彼を選んだ選挙民すべてにあります。誰に投票したとか、投票しなかったとかではなく、その結果を生み出した事実に責任があります。 次に死刑制度についてですが、そもそも死刑になる場合は「反省の余地がなく、更正の可能性が極めて乏しい」という判断が根底にあります。 死刑執行は「責任を果たした」ことによって処されるものではなく、「責任をとれない」と判断されて処されるものだと考えます。人の命を奪うという行為がどれほど重い罪かと言えば、たとえ自分の命をもってしても、罪を償うことが出来ないほどだということです。 被害者の家族に対する償いは誠意や反省、賠償金で僅かばかりでも贖える可能性はありますが、殺されてしまった被害者本人への償いはどうすることも出来ません。亡くなられた方の偽らざる気持ちは、本当のところ家族にも親友にも分かりません。つまり、被害者本人への償いを棚上げしなければ責任論自体が成立しないのです。 軽々しく死刑廃止を叫ぶ前に、棚上げされた被害者本人への償いをどのような形で果たすべきか、もっとよく考えるべきです。後悔と反省は生きた人間にのみ与えられる特権です。その時間と機会を奪っているのですから、永遠に償えない罪を負って大人しく刑を受けることだけが死刑囚に与えられたただ一つの義務と考えます

noname#107886
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