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けんかをしては 何故 いけないのか

qsxdrfvgyhの回答

回答No.114

>要するに 《注文をしておいて 黙って勝手に 外へ出て行ってしまう》のは エチケット違反だ(あるいは 法律にも抵触するかも)というならわしを あまねく行きわたらせることは ファシズムですか? それは 洗脳なのですか? その設定に乗ってみましょうか。 注文した。ということは、何かを選択したのですね。 その選択する意思決定過程において、脅迫があったとしますか。 怖い人が経営しているらしいレストランだからです。 ぼったくりらしいのですね。早く逃げねば、被害が発生します。 被害を避け、相手方の脅迫も未遂に終わらせるには、黙って外に出るべきです。 礼儀知らずの行為という外形はありますが、これがエチケット違反ですか。 やはり、状況によるでしょう。 ファシズムとか、洗脳とか、そういう話とは違います。 例外の無い規則は無いとも言います。 有為なる相対世界は、不完全だからです。 毎度お馴染みの平行論議のようですね。 ゆえに、これにて退散です。また、暫らくさようなら。

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     この質問は リワ゛イワ゛ルです。あたらしい見解は さほど出ないかと思っておりますが いろんな角度からあらためて見直しておきたいと考えました。どうぞよろしく。  ○ (前身の質問での趣旨説明です。)~~~  ここでは けんかを 口論にしぼってください。  つまり 自己批判をふくめて 批判をすることです。  存在を愛し 〔まちがっていると思うところの〕思想や行動を憎むことです。  なぜ いけないのでしょう?  理由が分かりません。おしえてください。  ~~~~~~~~~~~~~~  そこでのべストアンサーをも掲げます。それを出発点にしたほうがよいと考えました。あまり後戻りは したくないと思うからです。でも 検討してみてください。  ○ (べストアンサー) ~~~~~  口げんかは、良いと思います。手が出るよりは、ましですし、  競いあうようなスポーツは嫌ですが、  絶縁は互いへの臆病さを増しますし、ここち悪く、  自分自身と口げんかできないひとは、まずいです。自身との絶縁ですから、  自己批判できないひとは、建設的な口げんかをできないと思います。  自己批判できないひと同士のけんかは、怖いので否定の対象です。  口げんかに止まらず暴力になり心身を壊しあうことになりそうなので。  自己批判できる人どうしだと口げんかは長引かないかもしれません。つつましいでしょうし。  けんかしつづけるということは、両者ともにか一方に自己批判するスキルがないということなのでしょうか、  互いを批判するよりも多くまざまざと自己批判を開示しあうのが良いのかもしれません。  互いの精神性や人間性に関し建設的であるには。  ひとびとが自己批判のスキルを高めてゆくには。  頭と言葉を使い陰気な精神のストリップをどこまでもするのが良いのだと思います。  徹底的な自己批判、自分と向き合うこと、自省を、したことがない人は、けっこう多いと思います。大人にも、  自己批判のしかたを、あまり学ばないかもしれません、  自己批判に関して、ひとびとは教育も開発もされず、  ほとんどの教師も親も自己批判なんかしていないかもしれませんし、  思考停止の世の中で、自分は正しいのだという態度の人や集団や情報ばかりが満ちていますし、  ・・・(あと省略します)・・・  ~~~~~~~~~~~~  ☆ (この回答の筆者の方には 掲載について事後承諾になりますが よろしくお願いいたします)。  ☆ このように自己批判が 基礎であると質問者も考えます。  これが 哲学としての対話である。こう考えるという意味です。  むろん その自己批判を終えたあとの見解や思想に 賛同する場合 これも 対話であることは言うまでもありません。    さて 対等で自由な 建設的なけんかを どうぞふるって寄せてください。つまり 哲学におけるけんかという主題についての情報交換となります。(これは 念のために 自分の主張を推し出すためのものではなく またアンケートをとるためでもないということを表わしたものです)。

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