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- kogonta31
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時雨の夜に、内親王家で、春秋の優劣論を語った部分ですか? 昔、全文を訳したときの写しですが、本文全体では、相当量の文章なので、該当する会話部分のみとします。 (この前にも、かなりの文章がありますが、それは別の機会に) 「唐の国でも、昔から春秋の優劣論はなかなか定め難いものですが、このように判断された二人のお心は、思いますと、それぞれに理由があるのでしょう。自分の心が、それにひかれて、その折々の情景に、しみじみと感慨を覚えたり、興趣をそそられたりするように思えることがある時に、そのままその折の空の様子も、また月や花の様子にも、心が染められることも有るようです。春秋の優劣を判断されましたいきさつを、どうか伺いたいものです。冬の夜の月は、昔から興ざめなものの例として引かれておりますし、またたいそう寒いので特に眺めて見ることも有りませんが、私が斎宮の御裳着の勅使として伊勢に下向した時に、役目を終えて明け方に上京しようとしたところ、数日来降り積もっていた雪に月の光が明るく照らしていましたが、旅の途中での空の下という思いも加わり、心細く思いながらも、斎宮様にお暇乞いを申し上げに参上したところ、他のところとは違い、神さびて思いの外に恐ろしげなのですが、しかるべき場所に招かれて、円融院のご在世からお仕えしている女房で、たいそう神々しく古風な様子の人が、とても慎み深い様子で、昔の話などを話して感涙されて、調子の良く取られた琵琶を私に差し出されましたが、この世の出来事とは思えず、夜が明けるのも惜しいと思い、京のことなどもすっかり忘れてしまいそうに思えてから、冬の夜に雪が降った夜はその日のことが思い出されて、火桶などを抱いていても、必ず端近いところまで出てきて、そとの景色を眺めずには居られないのです。あなたたちも、春秋にそれぞれ思いを込めておられならば、必ずその理由がおありなのでしょう。さてそれでは、今宵からは暗い闇の夜に時雨が降っている時は、またあなたたちのことを思い出して心にしみいることとなるでしょう。斎宮での雪の夜の出来事に劣るものではありません」などと言って、…(以下省略)
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