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無常という事について

私は、今学校で「無常という事」と言う本を習っています。 これは、小林さんが書いた本で、私にとって凄く難しい本です。 そこで、3つほど質問があります。 *あなたにとっての無常観とはなんですか? *無常観と生死観の違いは? *無常観という概念の日本度とは? (無常観とうのは、とても日本的らしいと言われています。でも、 どこから日本的と言うのが出てくるのでしょうか・・・) 3つのうち1つでも分かるのがあれば、教えてもらえませんか? お願いします☆

  • Hstar
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質問者が選んだベストアンサー

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  • weasel
  • ベストアンサー率34% (35/102)
回答No.1

私にとっての無常観はそのとおりだと思います。 なので一期一会の精神、刹那を大切にしようと思います。 辞書で調べた無常の意味を見る限り 死生観の中の一つであると思われますが。 欧州は石の文化(不変・ピラミッド)に対して 日本は木の文化(輪廻・時代があってるかどうか分かりませんが出雲大社とか)であるということも 日本度が高いという根拠の一つではないでしょうか? (昔から木の文化であるという意味で) ではなぜ木の文化なのかという言われるとどうなのか分かりません。(無常観を持っている民族だからでは堂々巡りですよね) (そもそも木の文化と言い切っていいのかどうかも分かりません。 キトラ古墳とか壁画を残した事を考えると石=不変であるという考えがあると思われる中で 建造物が残っていないということを考えると木の文化なのかなと思うのですが) 春夏秋冬の四季があるとか木の恩恵にあずからなければ 生きていけないからということに起因しているのかも(根拠なしです) 「小林秀雄」という名前自体初めて知ったしだいなので 無知な人間が書いたという前提でお願いします。 (分かりませんだらけですが)

Hstar
質問者

お礼

自分にとっての無常観。 それを見つけるのに 苦労しています。 でも、とても参考になりました。 ありがとうございます。 これを参考に頑張りたいと思うます。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • komomomo
  • ベストアンサー率22% (25/113)
回答No.2

他の国ではあまり見られない考え方なので日本度(^^?が高い、と思います☆ 無常観は、禅について語るときによく出てくる概念です。禅は起源はインドですが、日本において独自の発展を遂げたと言われています。一方、インド、中国を禅は通過していますが発展はしなかった様です。日本のどこにそれを受け入れる下地があったのか分かりません。とにかく、無常観というのは日本人の感性にどっかですごく共感できるものだったと。手短に言えば、日本度が高い!という事だと思います(^v^) 世の無常を認識すること、そして一方変わらないものを求めてしまうこと。。。小林秀雄さんみたいに熱く語れたらなぁ☆勉強頑張って下さいv

Hstar
質問者

お礼

ありがとうございます。 私も、全然知識がないので・・・わからない事だらけで 困っていました。 でも、これを参考に頑張りたいと思います!! ありがとうございました

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