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反省不能?の人

ある所で言動の非礼さを注意された人がいました。 数年ののち別の所で、無関係な人に向け かつて非礼を指摘されると共に、説明された相手方事情をソックリ真似て仕返しするようなことをして その件を全く知らない人を困惑させ怒らせるという結果を招きました。 かつて注意された内容については、注意されるだけのマナーの不心得が確かに本人にあったと思いますし、注意した人は紳士的な優しいかたで、気を使いながら御自分側の事情を説明し、至って論理的に諭されていたと思います。 ただ、マナーのなさを注意された本人に、その時とくに悪気があったわけでもなさそうで、普通のおとなとしての礼儀や常識に欠けていることの自覚が殆んどないためか注意されたこと自体が本人にとっては大変、心外で、疎外感を感じる出来事だったとみえます。 そのため自己内面で消化できないままに持ち越し、本来ならば自力で反省と改善を心掛けなければならないところを逆に、まるで自分が味わった疎外感・不快感をそのまま投げつけるようにして、無関係の第三者に向けて報復する、という「連鎖」的言動をとってしまったようです。 こうした「連鎖」的言動・行動というものは、自分自身についての自覚のなさ或いは自覚を忌避する心理からも引き起こされているかと考察するのですが、このことは、いわゆるイジメの問題から親子関係等における暴力の連鎖の問題まで様々な場面への影響が見て取れます。 そこで、今回お尋ねしたいのは、こうした自覚に乏しい――自覚能力が乏しい、或いは自己対峙能力に乏しい――自己と対峙することを根本的に避けてしまう人に、本人の問題行動について敢えて注意を促し改善を求めていかざるを得ないとき、どのように進めるのがよいのか、いわゆる「逆恨み」的被害者意識の心理状態に陥らせることが、後に、無関係な第三者に対する「連鎖」的問題行動へと結び付いていくのであれば、どのようにして、これを防ぐかといった点でのコツのようなものがあれば教えていただきたいです。 例として挙げた人は、そうとうな年齢でもありますゆえ、幼い子どもと違った難しさもあります。このような、一般的には、大人として、じゅうぶん過ぎるほどの年齢に達している人の場合を特に考えております。 近年、こうした事例に遭遇することが増えており、今後の用心からも留意点をわきまえておきたいと思っています。 宜しくお願い申し上げます。

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回答No.2

大変に難しい問題ですね、実行できるかどうか判りませんが… かなりの長期的で繊細な戦略が必要になりますし、周りの人達の協力が必須です、 例えば、こういった方々は、自分自身の行動に気づく能力が極端に低いことに成ります、 その為、自分自身の問題性に気づくことがないので、他人を責めていることが多く、 自らカウンセリングなどが必要とは考えませんし、 ロジャースのカウンセリングが一番不得手とするタイプではないかと思います。 具体的な方法論としては、本人の“気づき”を如何に促していけるか?に懸かっているかと… 他人を責めだしている時の、この人達の状態は、燃え盛る火事の家のような状態です、 消防車の放水も、まさに、焼け石に水の状態ですから、このような心理状態の時に 何かを言っても、聞く耳を持っていません。 この時、周りの人達は、降りかかる火の粉を掃うだけで、余計な手出しをしたら 返って火に油を注ぐ結果になり、彼の戦術(心理ゲーム)に巻き込まれてしまい、 結果嫌な思いだけをすることになります、相手が逆上しても感情的にそれに巻き込まれない 余計な言い訳をせずに、「そうでしたか(あなたの気分を害して)スイマセン」と、 ひたすらに火の粉から逃げることが肝心です。金(心)持ち喧嘩せずです。 ただし、こういった人達も、いつもいつも他人を責めている訳ではないでしょうし、 何か嬉しいことが遇ったり、機嫌が良い(=心に余裕がある)時があると思います。 そういった、心理状態の時に、具体的に「これは、こういう風に対処して欲しい」とか 「誰々さんには、こんな声掛けしてもらうと…良いんですが…」というような形で、 周りの人間(この方の尊敬する人や目上の方、上司など)から、 細かく指摘してもらうことしかないでしょうね、 そして、指摘するときの注意点ですが… 必ず、「○○さんは、“いつも”…」とか、主語(条件)を省いて「○○したら駄目ですよ」とかのように、 悪い点を本人の全人格(性格)のように指摘しては絶対にいけません、 例え事実そう見えても、修正点を限定しない指摘は、本人は全人格の否定に捉えてしまいます。 必ず“限定的に”、「あの(状況)時は…して欲しいなぁ」とか、指摘してください。 間違っても、「自分の胸に手を当てて…」と言っては駄目です、 本人は、それ(反省)をしてたら、 死んでしまわなければいけない状況に遇ったと思われるのですから。 洗脳などの荒っぽい手を使わず、しかも無自覚な他人を変えるのは至難の業です、 たぶん底知れないほどの情(愛情?)がなければ…有っても、難しいことだと思われます。 その事を、充分に周りで話し合い、連合軍を組んで事にあたらなければ、勝利は見えません。 健闘を祈るだけです。

noname002
質問者

お礼

結局、私以外、その場の人たち皆、自分の利害欲求にばかり夢中になってて気づけなかったんです自分自身の姿に。私は何度も、それを促したつもりだったんですが…。しまいには、こちらをバケモノやエイリアン呼ばわり(苦笑)遠回しにとは言え情けなかったです。 >指摘するときの注意点ですが… >「自分の胸に手を当てて…」と言っては駄目です 本人は、それ(反省)をしてたら、死んでしまわなければいけない状況に遇ったと思われるのですから。 どの人も、やんわりした口調で注意とフォローを心がけておられたと思います。或いは論理的に諭すように。 でも、ムダなんですね、最終的に当人の希望通りならなければ不満の解消はないわけですから。 しかも始末の悪いことに、その希望を自分でハッキリ言えない。そのために、こっちに絡んでくる。あわよくば、邪魔な私にいなくなってほしいみたいでした。 で「自分の胸に手を当てて…」一度言ってしまいました。事情を飲み込めていない私が何がなんだか戸惑っている間に、あっけなく全て崩壊という無残な結末になってしまったあと、なおも私を悪者にしようとする先方に、あまりにも腹が立って。 そういえば自分で自分のことを「線が細い」とか言ってました。「だったら、おとなしくしてたら?!」と言ってやったんですが(苦笑 自分の存在感に自信がなくて焦るんでしょうか。 >たぶん底知れないほどの情(愛情?)がなければ…有っても難しいことだと思われます。 その事を、充分に周りで話し合い、連合軍を組んで事にあたらなければ勝利は見えません。 そうなのだろうと思います。 私と違って、とくに生育環境に問題があったわけでもなさそうなんですが。ごく普通、と言うか数年前に亡くなった父親に対する思いは強いようで、どちらかと言えば可愛がられて育ったように見受けるんです。 ただ、親の介護・看取りとか仕事のストレスとか、年齢相応の諸々のトラブルは、いずれ誰しもが抱えざるを得ないものですが、こうした負担も精神的な問題を噴出させる切っ掛けになり易い人みたいです。 >健闘を祈るだけです。 すでに終わってしまったことで健闘のしようもなくなっているのですが、精々、今後の用心に役立てようと思って質問しました。 なんだか(苦笑)してばっかりですね。 御回答たいへん参考になります。有難うございました。 (字数制限のため補足欄も利用しました)

noname002
質問者

補足

ちょっと流れが分かり難い説明内容の質問になってしまったかと危惧していましたが、よく御汲み取り戴き有難うございます。 >かなりの長期的で繊細な戦略が必要になりますし周りの人達の協力が必須 その「周りの人達の協力」が肝腎のところでアッサリおじゃんになってしまいまして(苦笑 当人も周囲も自己の欲求のために人を利用するか煽り立てることしか考えない人ばかりでした。 >例えば、こういった方々は自分自身の行動に気づく能力が極端に低い その為、自分自身の問題性に気づくことがないので他人を責めていることが多く 自らカウンセリングなどが必要とは考えませんし ロジャースのカウンセリングが一番不得手とするタイプではないかと いや全く同感です! もともと「気づく能力」が低いうえ、それを鍛えていこうとする機会にも恵まれなかったのかな?と思います。それで、その年齢まで通ってきたということなら、ずい分、甘い人生だったのかなとも思います。 ロジャースメソッドは、そうでしょうね「気づく力」が残されている人のためのカウンセリング法なのではと拝察しております。 それでも、やたら小細工や見え透いた言い訳が多いところをみれば、やはり薄々は後ろめたさもあるようです。にもかかわらず「被害者意識」のほうが上回っているために、自分のやったことは許されるべきだと思うんでしょうか。ああまで破れかぶれだと一種マゾヒストの傾向も窺えます。 >具体的な方法論としては本人の“気づき”を如何に促していけるか?に懸かっているかと 私も、その一人だったわけですが私以外の第三者に対する愚弄が日を追って甚だしくなり、とうとう或る所で、あからさまに私自身のことを引き合いに出すというまでに至りましたので、ついに爆弾を落としました(苦笑 さすがに少しは気づかざるを得なかったろうと思います。 おかげで、またしても私自身が泥をかぶるはめになってしまいましたが、間違いなく助かった人はいると思います。 >他人を責めだしている時の、この人達の状態は燃え盛る火事の家のような状態 消防車の放水も、まさに焼け石に水の状態ですから、このような心理状態の時に何かを言っても聞く耳を持っていません。 まさに本人自身「火事」に喩えていました!火宅なんでしょうね。尤も先方は自分自身のことを言ったつもりなかったかもしれませんが、なにしろ「気づく能力」低いですから(苦笑 「のれんに腕押し糠に釘~」とも、うそぶいてましたけれど。 >相手が逆上しても感情的にそれに巻き込まれない 余計な言い訳をせずに「そうでしたか(あなたの気分を害して)スイマセン」と、ひたすらに火の粉から逃げることが肝心です。金(心)持ち喧嘩せずです。 先方は最初、私のほうが「逆上」したと思ったみたいです。「アッチッチ!」とか言ってきましたから(苦笑 これは、まあ一種の「投影」なんでしょう。 少くとも最初のうち私のほうから許しを乞うたうえで距離を置いて静観に努めたつもりなんですが、先方は、その「許しを乞うて距離を置かれた」ことが、かえって不満だったようです。自分が悪者イメージになることを恐れると共に非常に自分への関心を要求する人なので。 「あなた結局、どうしてほしかったのよ?」と問いただしたこともあるんですが…。 >こういった人達も、いつもいつも他人を責めている訳ではないでしょうし何か嬉しいことが遇ったり機嫌が良い(=心に余裕がある)時がある 機嫌が良かったというか大喜びしたのは、先方の意中の人?と私が、うまくいかなくなったとき(その直接の原因は先方) 及び私が、ほとほと厭になってしまって彼らの前から撤退しようとしたときでした。もちろん、そのときも殊更に善人ぶってはいました。何やっても、じきに底が見えるんですね、こういうタイプは。 >そういった心理状態の時に具体的に「これは、こういう風に~良いんですが…」というような形で、周りの人間(この方の尊敬する人や目上の方、上司など)から細かく指摘してもらう 心理状態が上々だったかは知りませんが、それもしてきてるんです。でもダメでした。先方が信頼してやまないはずの意中の人が、やんわり言っても聞かないことが、よく分かりました。だから最後は私も堪忍袋の緒が切れたんですけど。 そもそも先方が第一に望んでいたのは尊敬する意中の人に、自分に対する態度を改めてもらうことだったんです。だから、その人が先方の希望通りの態度に改めない限り、指摘を聞き入れるわけがないんです。その不満があるために、私に対して、かつて別の所で注意されたことの疎外感がよみがえったわけなんでしょう。 そこを、どうやったら、その人に分かるのか、当時まだ事情を知らなかった新参者の私の口から言うのも、かえって角が立ってはと、こちらもヤキモキしました。 (お礼欄に続く)

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その他の回答 (5)

  • awjhxe
  • ベストアンサー率28% (531/1888)
回答No.6

5番の回答者です。大変失礼しまた。確認出来ほっとします。

noname002
質問者

お礼

御理解いただけて私もホッとしました。 どうぞ見守っていてくださいませね。

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  • awjhxe
  • ベストアンサー率28% (531/1888)
回答No.5

反省不能?の人 質問者さんにお尋ねします。4日前の ↓ ワードプロセッサ機で作成した沢山のデータをパソコンで共有方法教えて下さい。 この題の 質問内容でしょうか? >ある所で言動の非礼さを注意された人がいました。 >数年ののち別の所で、無関係な人に向けかつて非礼を指摘されると共>に、説明>された相手方事情をソックリ真似て仕返しするようなこと>をしてかつて注意された内容については、注意されるだけのマナーの>不心得が確かに本人にあったと思います 質問者さんは どうして この方が数年たった頃同じ非礼を別な所でしている同一人と知る事が出来るのでしようか? ネットてあちらこちらに個人情報を網羅して追っかけて同一の人が非礼をすると断定できのでしょうか? もしそうだとしますと犯罪行為です。 質問者さんが非礼を言っていると感じるのは 貴方ご自身の価値基準であり 色々な人々がその画面に遭遇して見ても捉え方は100人100通りであって その場面をしかも相当な年齢の方がと おっしゃられますが 内容を具体的に記載無く貴方が非礼と思うがままにアレンジして実際の内容から大きく作り上げているのではないでしょうか? 例え その相当と思われるお年寄りの方が非礼を言っていたとしましょう? その人にとっては地獄の定の言葉のやり取りは第三者には理解困難な環境によって作り上げられて来ていると想像しなければ単なる個人の言動の誹謗中傷にしか過ぎません。 あなたが単純にそのおとし召された方を全く理解できない人格でもって非礼な言動非常識と断定するのは その方に対する軽蔑的表現と言えるでしょう。 人は自分の足を踏まれて初めて人の痛みを感じるようにその非礼な言動をされていた内側に秘めた真実を見ようともしない質問者の言動を感じます。 その非礼と思われる人の生い立ちまで貴方は想像できますか? どれ程に迫害を受けてきいるのかも知れませんから単純に言動がなってないから非常識と言う貴方に私は疑問を感じます。

noname002
質問者

お礼

>質問者さんにお尋ねします。4日前の ↓ ワードプロセッサ機で作成した沢山のデータをパソコンで共有方法教えて下さい。 この題の 質問内容でしょうか? ??? その質問、私は全く存じませんので、何か誤解なさってるようです。 >質問者さんは どうして この方が数年たった頃同じ非礼を別な所でしている同一人と知る事が出来るのでしようか? >内容を具体的に記載無く貴方が非礼と思うがままにアレンジして実際の内容から大きく作り上げているのではないでしょうか? >第三者には理解困難な環境によって作り上げられて来ていると想像しなければ >その非礼と思われる人の生い立ちまで貴方は想像できますか? もちろん事実として証拠があるからです。 また、どういった「環境」「生い立ち」が背景にあったかということも、おおよそ把握しております。しかもこれは本人の自己申告に基いていることです。それを勘案して尚、問題行動が大きかったことで、今回質問しております。 私以外にも御存じの方々はおられます。その事実は、お目にかけようと思えば今すぐにもできることですが、それらをここで「内容を具体的に記載」して暴露することは明らかに行き過ぎですし、その必要もないことです。 >人は自分の足を踏まれて初めて人の痛みを感じるようにその非礼な言動をされていた内側に秘めた真実を見ようともしない質問者の言動を感じます。 もしも荒らし行為とか、このあとの回答情況に影響を及ぼそうという意図がおありでないのでしたら、まず御自身の勘違いに気づかれてくださいますように。 全く!関係のないことを仰っておられます。 「足を踏まれ」たのは私であり、気づいていながら、その「足」を決してどけようとしなかった人の心理を問うているわけです。 それと >そのおとし召された方 お年寄りだと思われてますか?中年の範疇のかたです。 全く心外な御投稿でしたが、単なる思い違いなさっておられるのだと信じましょう。

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回答No.4

こんにちは。 困りましたね。 おかしな運転の仕方をしてる人がいて、 その人も事故っちゃうかもしれないし、他の人を巻き込んでしまうかもしれないから、 「アクセルはこうして踏んだ方がいいかもよ」 「ハンドルの向きはそっちぢゃなくてこっちなんじゃない?」 と伝えたいのだけれど、その人は「聞きたくない黙りなさい」と言って、 憂さ晴らしにもっとアクセルを踏んでみたりする感じですか。 困るのは、その人が「自分はおかしな運転の仕方をしてる」ことに気付いてないことか、 本当は気付いてるんだけど「自分の運転はおかしくない」と思うことに必死なことかしら。 ちょっと乱暴なのですが、便宜的に人間を2種類に分けますね。 1. かわいくて大切な人が転んで痛い思いをしないように、杖をたくさん用意する人。 2. かわいくて大切な人が転んで痛い思いをするときのために、 泣く場所と、包帯を用意する人。 異論を唱えるという発想がない時期に1の人とたくさんの時間を共有してきた人は、 おそらく「転ぶのはいけないことである」「転ばないことが生きるために必要なことである」 ということを学習し、そのうち自らたくさんの杖を集め始めることになりそうです。 一方、2の人の近くにいた人は「転ぶのは当たり前である」ということを学習し、 転んだときの痛みもそのうちなくなること、転んでも生きていけることを学習し、 痛いときはどうしたらよいか考え始め、 どんな歩き方をしたら転びにくいのか考え始め、 どうしたら起き上がることができるのかなんかも考え始めるのではないかと思います。 1の人は自分も転ぶことを許されなくて、 あまり転んで泣いたことが無いのかもしれないですね。 本当は人のすることに失敗はつきものなのですが、 「失敗しないことこそが生きるために必要なことである」と覚えた人にとって、 「ひとつの失敗」を指摘されるということは 「自分の存在を否定された」「生きていけない」くらいの恐怖にもなります。 恐怖というのも放っておけば勝手にどこかに消えていくはずなのですが、 恐怖とお付き合いすることに慣れていない場合、どうしたらよいのか分からなくて、 恐怖の原材料になりそうなものの受け取り自体を拒否せざるを得なくなります。 相手が受け取りを拒否している以上、何かを伝えるのはとんでもなく困難です。 かたくなに閉ざされたドアに向かって何かを投げつけるのではなく、 まず、そのドアを多少でも、開けようとしたほうがよさそうです。 とても遠回りになると思いますが。 便宜的手段になってしまうかもしれませんが、必要なのは以下のようなことかと思います。 「わたしが指摘しているのは、あなたの『失敗のひとつ』についてです」 「わたしが不愉快に思う(疑問を感じる)のは(あなた自体に対してではなく)、  そのあなたの『問題のひとつ』についてです」 「わたしが気に入らないのは(あなたではなくて)あなたの『言動のひとつ』です」 「『失敗や問題や言動のひとつ』というのは、あなたの持ち物の数億分の一です」 「『わたしは』その小さな持ち物を、あなたが捨ててくれるとうれしいです」 ということを、根気よく伝えること。 なるべく伝えやすくするには、 肯定言語 →  事実の描写(あなたはこのようなことをしました) → 主観(それについてわたしはこのように感じます) →  提案(このようにしてはいかがでしょうか) → ふたたび肯定言語 という順番にするとよいと思います。 例:配偶者に意見する場合 「いつも遅くまでお仕事おつかれさん。感謝してる。」 「あのね、洗濯物を干すときにシャツやズボンや靴下が裏返しになってるの。」 「だからって洗濯機が壊れるわけぢゃないんだけど、干すのがちょっとめんどくさいの。」 「ちょっと手間だけどなるべく元に戻してから洗濯機に入れてくれる?」 「聞いてくれてありがとう。それじゃあゆっくりお風呂に入って。」

noname002
質問者

お礼

>肯定言語 →  事実の描写(あなたはこのようなことをしました) → 主観(それについてわたしはこのように感じます) →  提案(このようにしてはいかがでしょうか) → ふたたび肯定言語 という順番にするとよいと思います。 私自身、日常では本来、あまりよく知らない人に、こうしたほうがいいとか、こうしなさいとか言いたくない言わないほうなんです。自分が過干渉な親の元で育ってますので、必要を感じない限り干渉するのも、されるのも厭なほうです。もし人に言わなければならない必要があるときは、これまでも、だいたい、教えていただいた方法をとってきたと思います。 ですが、近頃は本当に相手の知性や精神状態を疑ってしまうような出来事が多くて。。。 私も家庭事情等から過労が原因で不眠症と鬱を併発しましたし幼少からの障害も抱えていますが、ここまでヤワな精神じゃないので、唖然としてしまいました。 個々にいろいろな事情もあるだろうし個人による能力や感受性の違いもあるだろうけど、いったい何が、そんなに辛いからというので無関係の第三者を巻き込み愚弄して喜ぶのか…。末期的です。 それ以上に、こうした問題行動を起こす人への無関心のみならず、利用できるところがあれば利用しようとする周囲の浅ましさ。 私は、どちらかと言えばヒト嫌いですから基本的に無関心です。その代わり余分な欲も掻きません。ところが無関心でも利用できるところがあれば、、、と欲だけは掻く人、多いんですね。 「仲間としての情がある」などと言っておきながら、仲間が明らかに間違ったことをしていても、自分が巻き込まれたくないから黙認、いざ自分にメンドウが及びそうになると後も振り返らず、すたこら逃亡。これが最高学府の教育者などと聞けば青少年への影響も気にかかります。 無関心なら欲掻くな、欲を掻くなら責任持て、と言いたいところですが、その「責任を持つ」ということが実際どういうことなのかということ自体とんでもなく勘違いしてるのが、今回の質問に挙げた事例の人でもあります。 こういう人たちが増えちゃったら世の中どうなるんだろう。。。 御回答、とても分かりやすく参考になります。 有難うございました。

noname002
質問者

補足

ちょっと流れが分かり難い説明内容の質問になってしまったかと危惧していましたが、よく御汲み取りいただき有難うございます。 >おかしな運転の仕方をしてる人がいて、その人も事故っちゃうかもしれないし、他の人を巻き込んでしまうかもしれないから、 「アクセルはこうして踏んだ方がいいかもよ」 「ハンドルの向きはそっちぢゃなくてこっちなんじゃない?」 と伝えたいのだけれど、その人は「聞きたくない黙りなさい」と言って、憂さ晴らしにもっとアクセルを踏んでみたりする感じですか。 困るのは、その人が「自分はおかしな運転の仕方をしてる」ことに気付いてないことか、 本当は気付いてるんだけど「自分の運転はおかしくない」と思うことに必死なことかしら。 実に適切な比喩でございます! 恐らく『本当は気付いてるんだけど「自分の運転はおかしくない」と思うことに必死』だと思われます。 >「転ぶのはいけないことである」「転ばないことが生きるために必要なことである」 ということを学習し、そのうち自らたくさんの杖を集め始めることになりそうです。 とは言え、人一倍「転んで」きているはずの人だと思われるんです。 (小さな声で)あまり賢明な人とは言えなさそうで(苦笑)私自身を棚に上げますが;^^A より正確には、すでに「転んで」しまってることを認めない、周囲が集めてくれた「杖」さえ蹴り飛ばす、こんな感じです。 >自分も転ぶことを許されなくて、あまり転んで泣いたことが無いのかもしれないですね。 許されなかったかどうかまでは分かりませんが、自分で許せないあまりに「転んでいる」現実から目を逸らし、泣きたい泣いている自分すら認められない状態のように見受けます。要するに素直じゃないんでしょうか。 >恐怖とお付き合いすることに慣れていない場合どうしたらよいのか分からなくて、恐怖の原材料になりそうなものの受け取り自体を拒否せざるを得なくなります。 これも、そのように思いました。非常に小心な感じがします。 >相手が受け取りを拒否している以上、何かを伝えるのはとんでもなく困難です。 かたくなに閉ざされたドアに向かって何かを投げつけるのではなく、まず、そのドアを多少でも開けようとしたほうがよさそうです。 まさに困難でした。と言うより、伝わっていたとしても本人の都合が少しでも悪いと頑として認めませんし、それ以上に、もっと都合が悪いのは、勘違いと妄想が甚だしいこと(苦笑) 実のところ私が相手の「ドアを多少でも開け」たいのではなく、私に向かって相手が、めったやたらと「投げつけ」てくるのをやめてもらいたかったんです。先方が「投げつけ」てくる、と言うか捻じ込んでくる理由が、先方の思い通りに都合よくしたい、不利を取り返したいという意図のためで、でも、それは私に要求するべきことでなく他人に無理強いすることでもないと分かっていましたので。それすらも「人助けのためにやってるんだ」などと筋の通らない自己弁護を振りかざしてましたけど。 >「わたしが指摘しているのは、あなたの『失敗のひとつ』についてです」 「わたしが不愉快に思う(疑問を感じる)のは(あなた自体に対してではなく)、そのあなたの『問題のひとつ』についてです」 「わたしが気に入らないのは(あなたではなくて)あなたの『言動のひとつ』です」 ~ こういった促し方は、なされていたと思います。私自身については、もともと先方に何も言う気はなく静観していたんです。相手に関する情報も乏しかったので。 最終的に予想外の情けない事態を迎え、それでも先方は他人を貶めて、なおメチャクチャな自己弁護をうそぶく有様でしたので、そのときになって私も怒り心頭、ズバズバ言わせてもらいました。もちろん向こうはトコトン開き直っていましたが、ついに私のことを引き合いに出してまで事情を知らない第三者を欺き続けるのを目撃して、私が泥をかぶること承知で阻止しました。やっと少しは懲りたようです。 (お礼欄へ続きます)

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  • kigurumi
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回答No.3

良かれと思ってやったこと(本人がより良い生き方になるために敢えて注意したこと)が、目的とは逆の結果になってしまった事例ですよね。 上司に怒られた夫が、妻を痛めつけ、妻は子供を痛めつけ、子供はペットを痛めつける。 このような、復讐の連鎖は、より弱い立場の者に向けられる。 恐らくですが、気をつけながらも注意したと思いますが、まず信頼関係を築いていない状態で、やった場合、よかれと思う注意指導であっても、反発を招くことは必須だと思います。 しかし、注意した側の人が強い立場の場合、直接跳ね返さないほうが懸命。 それで、相手が発した負のエネルギーを体の持つことになるわけです。 相手の負のエネルギー(相手にとっては薬であっても、受け止めた側にとっては毒だったりする)が、受け取った側の心をどんどん蝕んでいき、早くそのエネルギーを放出しないと、どんどん膨れ上がっていくわけです。 で、やっと出せる弱い相手を見つけ放出したが、根はまだ体に残っているわけです。 それほどの大きなものに毒は膨れ上がってしまった。 最初の本人が発した小さな毒が、他人の中で培養され、巨大な憎悪のエネルギーに変化し、世の中にその不幸が蔓延することになるわけです。 もちろん、最初の本人は自分のケアレスミスが原因だとは気づけない。 相手との信頼関係を築いていない状態で、相手の生命に危険があると思った場合、強引に危険からひきはなすべきですが、それは相手も助けてもらったと直にわかるので、急にくびねっこつかまれ、投げ飛ばされても、それが善のための行為だとすぐわかります。 ところが、すぐにわからないケースの場合、権力があるものからやられたら、それは暴力になるわけです。 で、そういう悪い結果にならないためには、日頃からコミュニケーションをとっておくのが望ましいのですが、それでも、親しい相手からでも、自分の行為を否定されることは、たとえそれが正論であっても、痛いわけです。 でも、必要悪でも、やるしかないときもある。 それが責務であれば、自分がやらないと、上から自分が叱られるし、自分の評価が下がる。 責任を背負ったらやるしかないわけです。 現国の先生が言ってました。 『さんざん相手に良い点をあげて良い評価した後、「でも」と言った場合、それまでの良い評価は全て消し去られ、相手は総合点をマイナスだと受け取る』 真実だと思います。 Aは良い評価で1ポイント。 Zは悪い評価で、-10ポイント。 「あなたのここはAです。ここもAです。これもAです。でもこれに関してだけはZです」といった場合、総合トータル+2ポイントだと、相手は受け取らない。 -10ポイントだと受け止める。  つまり「あなたは悪」だといわれたようなもの。 良い評価を言われたことなど忘却するほど、強いダメージを受ける。 私は順序を逆にすればいいと思うんです。 さんざん悪い評価をしたあと、「でも」といい評価の部分を言う。 すると相手は、総合評価10ポイント与えられたような印象を持ち、かつ悪い評価の部分も覚えており、改善して総合評価+20ポイントにして、もっと誉めてもらいたい と思うようになる。 これだと、自分を注意した相手に対し、信頼を置けるわけです。 「自分のことをほめてくれた。 自分を好きだと思っているから、自分のために悪いところを教えてくれ、自分が損をしていると教えてくれた。自分が不幸になるのを防ごうとして、あえて注意をそそいでくれた。自分を認めてくれた。自分を愛してくれている。自分は相手に注目をされた。うれしい。」 このように、順序が逆なだけなのに、結果が違ってくる。 アフターフォローも大事です。 「お? 前言ったことに注意してくれたか。よし それでいけ がんばってるな いいぞ」と誉める。 たとえ、それが勘違いで相手は直していなくても、いいんです。 相手はそれは勘違いで、自分はやっていない と思っても、相手が勘違いでやったと思って喜んでいるのなら、悪いことはやらないでおこう」って、再度言われたことを想起するわけです。 自分が相手から注目され優しいまなざしで見守られていると感じたら、自分も他の人に同じことをして、自分も他人も安らかになりたいと思うし、他人が安らかを与えられたら、それが自分にはねかえってくると学習するわけです。 その言動の非礼さを注意した人は、恐らく他人も自分と同じで、マイナス評価されても、立ち直りがすぐできて、やらなくなるだろうと踏んだんだと思います。 そういう人ばかり 世の中にいません。 中には、別な人種もいて、注意の順序を間違うと、相手のためにと注意したことが原因で、世の中に不幸を撒き散らす原因にもなってしまうこともある。 信頼関係が無い状態では、特にダメージは強いし、たとえ信頼関係があっても、順番を間違うと、マイナスになる。 自覚とかの問題じゃないんです。 順序を間違えているから。 相手のせいにしても、解決しません。 自分が順序を間違えてしまった、やり方を間違えたのが原因で大きくなってしまった と気づかないと。 信頼関係とはどうやって築くのかはよくわかりません。 ですが、絶対的な信頼関係の築きというもので、<ボストン パブリック>ってドラマで、デビッド・E・ケリーはそれらしきものを描いています。 公立高校で、生徒たちは不良ばかり。 その高校にいろいろな先生がいます。 高圧な態度で、生徒にとても厳しく、彼が教室に来ると、不良たちですら、血相を変えて席に着席し、先生は教室を睨み渡す。 かたや、生徒の中に飛び込んで、生徒の目線の高さと同じところに立って、生徒をひちびく先生も登場します。 もっとも尊敬する先生として、生徒が選んだのは誰か? 生徒が選んだのは、その高圧な態度で不動の威厳を見せる先生の方。 不良の生徒たちは、自分達が絶対的な信頼ができるのは、その威厳に満ちた厳しい先生しかいない としたわけです。 もう信仰みたいまもので、この先生が彼らにとって神。 <飛ぶ教室>という小説でも、正義先生はあくまでも生徒たちのおもちゃ。 絶対的な信頼を生徒から勝ち取っていたのは、威厳に満ちて、ジョークのジョの字も出さない威厳先生の方。 実際 どうでしょうか? 日本だとキンパチ先生が生徒の中に飛び込んで、こういう先生がいいなぁ と人気ありますが、友達先生止まり。 新しい理想の先生像として、物議をかもしたしました天海祐希の主演したドラマが今までの友達先生とは逆のリーダーの理想像を出していましたよね。 もちろん 実際そんなことをやれば、裁判沙汰になるので、誰もやるほどの熱意を持ったリーダーなどいないでしょう。 ただ、威厳先生のような存在は大事だし、威厳先生から注意されたからといって、逆恨みから他人に八つ当たりをしようなど考えるはずはない。 その人は中途半端な指導をしたから、結果 悪くなったのではないでしょうか。 優しいだけのリーダーじゃだめだし、友達リーダでも人は育たない。 リーダーって嫌われてなんぼ。 「でもぉ」とか「リーダーにダメージ受けたから、手下をいじめる」という感情すら起こせないほど、絶対的な威厳を持って指導するほどの力を持っていないのなら、どれも中途半端で、自分のやった指導が余波を生むのは避けられないと思います。 人に嫌われるがイヤなら、リーダーになるべきじゃない。 尊敬は努力して得るものじゃない。 自分の策略など関係なく、他人が勝手に自分を評価するわけです。 都合のいい人は、尊敬を得ることは無い。 逆恨みなどは中途半端な行為の結果 はねかえってきたり、他人に害を与える道を残すわけですよね。 被害者意識を持っているのは、その注意した人。 自分が間違えていたと気づけないくらい能力が低いのに、どうして他人に是正を求めるのでしょうか。 被害者意識により盲目となり省みれずにいて、それが不幸を生んでいる。 とまあ 分析するとそうなるのですが、普通の人なので、他人に分析されて気づくってことも多々あるので、、、、。 それに聖人君主として生きろって他人に対していえるほど、私も誰も立派な人はいませんので、「まあ 仕方ないんじゃないの? 世の中受け取り方いろいろだし。 神様じゃないので予想外の展開を事前に知ることなどできないし。 なったらなったで しょうがないなぁ って考えればいいんじゃないの?」ってことで、ここで書いたその人の非は指摘しない方がいいと思います。 指摘したとろこで、反発されるだけだし、あなたとの関係も悪くなるでしょうし。 自分で気づくまでほうっておいたらどうでしょう? それまで、その注意した人が起源の不幸の連鎖が起こるから指導の間違いを止めないと? それで潰される程度の人間なら、彼が非をやらなくても、他でとっくに潰されてますって。

noname002
質問者

お礼

「信頼関係が無い状態では特にダメージは強い」 むしろ、そのことを指摘し、だから言動に注意を促したわけです。 主催者の自分に対し気づかいは不要だけれど、気分を害した友人は同じ職場ということで、現実的関わりの重みも違うんでしょうね。 注意された当人と、当人によって気分を害した人のやり取りを頭ごなしに制したわけでなく、信頼関係などあるはずもない人に対して非常識なもの言いをしたことを見かねて注意した。 注意したが、そこまで病的な感覚の持ち主だと思わなかった、むしろ、初対面の人つかまえて、かくも非礼な言動をとるくらいだから図太いタイプかと思ったようです。この「図太い」というような評価、もっと長年やり取りしてきて信頼関係があるはずの人からも言われてました。 結局、あまりに珍奇な言動をとる人は、そのことが災いして叩かれたことを病的なまでに気にする人である可能性を念頭に置いて、腫れ物に触るように扱わなければなりませんね。 >その人は中途半端な指導をしたから、結果 悪くなったのでは 主催者としての厳しさと個人としての大らかさと兼ね備えた妥当な注意の仕方だと私は思いましたが(気分を害した友人の方は確かに、ご立腹のようすだった)一方で、長年やり取りしてきて固い絆と信頼で結ばれてると豪語するところの別の人にも(実質のリーダーだったかは不明)やんわり遠回しに注意されたとき、「関係ない!」と言って、当人アタマから突っ撥ねてました。 どっちでも当人の態度が改まらなかったのに違いはないです。 >ここで書いたその人の非は指摘しない方がいい 指摘したとろこで反発されるだけだし、あなたとの関係も悪くなる >それで潰される程度の人間なら 実は、もうすでに指摘済みです。 反発もさることながら先方が原因で(先方は私が先方のものを横取りした悪者みたく言う 苦笑)元から関係は良くなかった。こちらが、どう譲歩しても、根本の希望を叶えてあげられるのは私じゃなかったんで。 長く放ってましたが、先日とうとう、あからさまに私のことを引き合いに出したものだからガツンとやりました(笑 「潰される」と言うより、当人が自分を潰してると思います。早く、そのことに気づくのが当人のためでもある。とは言え私自身イイカゲンうんざりしてますし、もともと先方に興味はないんです。 この質問は今後の用心のためです。 御回答、有難うございました

noname002
質問者

補足

ちょっと流れが分かり難い説明内容の質問になってしまったかと危惧していましたが、よく御汲み取りいただき有難うございます。さて >本人がより良い生き方になるために敢えて注意したこと それよりも、黙ってると、その注意した人の交友関係を台無しにしてしまいかねないほど失礼な言い方だったんです。私も自分の人間関係を壊されたかたちになったので、その注意した人の気持ちは分かりますし、その場の主催者としての責任もありますから。 >気をつけながらも注意したと思いますが、まず信頼関係を築いていない状態で、やった場合、よかれと思う注意指導であっても反発を招くことは必須 信頼関係を築いていると、注意された当人だけが思い込んでたと言うか。これは注意した主催者のかたに対してだったとしても、当人がマナーのない言動を向けたのは主催者の友人に対してなんです。それも初対面ですから当然その人との間には信頼関係もヘッタクレもない状態だったわけです。 >注意した側の人が強い立場の場合、直接跳ね返さないほうが懸命。それで、相手が発した負のエネルギーを体の持つことになるわけです。 相手の負のエネルギー(相手にとっては薬であっても受け止めた側にとっては毒だったりする)が、受け取った側の心をどんどん蝕んでいき、早くそのエネルギーを放出しないと、どんどん膨れ上がっていくわけです。 で、やっと出せる弱い相手を見つけ放出したが、根はまだ体に残っているわけです。それほどの大きなものに毒は膨れ上がってしまった。 このへん同感です。でも普通、ああいうのが「毒」になるほうが珍しいと思います。 主催者という確かに強い立場の相手だからか、その人にだけは謝ってました。どうも上下関係を、すごく意識するタイプみたいです。私には憎まれ口叩くばかりで、ただの一言も謝りませんでしたがプンプン。自分のほうが古参だから立場強いはず!と踏んだんでしょうね口先では「平等だよ」などと言ってましたけど >「あなたのここはAです。ここもAです。これもAです。でもこれに関してだけはZです」といった場合、総合トータル+2ポイントだと、相手は受け取らない。-10ポイントだと受け止める。つまり「あなたは悪」だといわれたようなもの。 良い評価を言われたことなど忘却するほど、強いダメージを受ける。 なるほど~。確かに、そういうメカニズムみたいですね。ちょっと病的な感じがします。 >さんざん悪い評価をしたあと、「でも」といい評価の部分を言う。 すると相手は総合評価10ポイント与えられたような印象を持ち、かつ悪い評価の部分も覚えており、改善して総合評価+20ポイントにして、もっと誉めてもらいたい と思うようになる。 これだと、自分を注意した相手に対し信頼を置けるわけです。 ん~、私が見てきた限りでは、ちょっと誉められたりとかすると他の改めるべき点も一切不問に付されたものと自惚れてしまって、めったやたら、はしゃいだあげく調子に乗り過ぎて大事な理解者にも逃げられるというパターンのようでしたが。 そもそも人の意見に耳を傾けること自体が超苦手のようで、日常でも職場の人等に、頑固過ぎて困ると指摘されたことが多いみたいです。それでも本人は、自分は頑固じゃなく筋通してるんだとか義理堅いんだ、みたいに言ってましたが要するに固いシンネン持っちゃってるってことでしょうか。 でも教えていただいた注意の仕方のコツは今後の戒めにさせていただきます。 >その言動の非礼さを注意した人は恐らく他人も自分と同じで、マイナス評価されても立ち直りがすぐできて、やらなくなるだろうと踏んだんだと思います。 そういう人ばかり世の中にいません。 中には別な人種もいて、注意の順序を間違うと、相手のためにと注意したことが原因で世の中に不幸を撒き散らす原因にもなってしまうこともある。 信頼関係が無い状態では特にダメージは強いし、たとえ信頼関係があっても、順番を間違うとマイナスになる。 自覚とかの問題じゃないんです。 順序を間違えているから。 相手のせいにしても解決しません。 自分が順序を間違えてしまった、やり方を間違えたのが原因で大きくなってしまった と気づかないと。 >被害者意識を持っているのは、その注意した人。 自分が間違えていたと気づけないくらい能力が低いのに、どうして他人に是正を求めるのでしょうか。 被害者意識により盲目となり省みれずにいて、それが不幸を生んでいる。 う~ん理想を言えば、そういうことになるんでしょうか。 でも、注意した人を責めるのも酷なように思います。それだと良識ある優しい人の側ばかり何かと気苦労や負担を一方的に背負い込まなければならないですね。 顔も知らないアカの他人それも一応、大のおとな相手ですからねえ。シンドイ話です。。。 (お礼欄へ続く)

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.1

>いわゆるイジメの問題から親子関係等における暴力の連鎖の問題まで様々な場面への影響が見て取れます。 :とおっしゃるように、これらと同根の原因があるように思います。 つまり、その本人のキャパシティを超える抑圧を受けた経験がある、ということです。 適度な抑圧はむしろ本人にとってのバネとなりますが、何事も程度問題です。 過剰な抑圧として作用してしまうと、その抑圧は、不要な、すなわちいずれ吐き出さざるを得ない記憶となって無意識に格納されることになるでしょう。 これはむしろ生体にとっての自然なメカニズムとさえ言えるように思われます。 このようにして、その記憶が、ある日ある時ある他人に向けて噴出することになり、これが基本的な連鎖の流れと言えるでしょう。 ところで、こういった抑圧を抱えていることは、本人にとって、無意識的であるにせよ非常な苦痛であることは容易に想像がつきます。 その苦痛となる要素を軽減するための方策として、その抑圧を無かったことにしようとするメカニズムが働くのではないか、という気がします。 どういうことかというと、自分が「>礼儀や常識に欠けていること」を平然と、あるいは日常的にされていたような場合。 それを無かったことにするというのは、それ(自分がされたこと)は「>礼儀や常識に欠けて」いたことではなかったのだ、と思い込もうとするのではないか、ということです。 結果として、他者に対しても同様に振舞いますから、結果として注意を受け、しかし、「>礼儀や常識に欠けていること」とは思っていないわけですから、「>礼儀や常識に欠けていることの自覚が殆んどない」という印象をnoname002さんに与えるような結果になるのでしょう。 この連鎖を食い止めるためには、その本人が元々されたことに対して、「あなたはとても辛い目に遭って来た」という共感の姿勢が非常に重要になってくるように私は思います。 そうすると、注意を受けたのは自分が悪いのではなく、過去に自分をそのような目に会わせた者が悪かったのだ、という本当の原因に気づくようになります。 自分が責められたのではないことになりますし、元々の自分はそうではなかったのだ、という自信が蘇り、自己変革への希望も見出せるのではないでしょうか。 「>そうとうな年齢」とのことですが、ある程度の効果は期待できるような気がします。 いい大人なんだから、そんなことは自己責任で改善していくべきだ、という声もあるでしょうが、それができれば誰も苦労はしないでしょう。 全て結果を出すことが重要なのであって、相手を責めて溜飲を下げたいと思うような人には、根本的な解決を委ねることはできません。 ただ、「甘やかし」ではありません。 相手の歴史に立って事実は事実として共感するところから始める必要がある、ということです。 自分の辛さをわかってもらえないのに、どうして他者への気遣いができるでしょうか。 このように考えざるを得ないほど辛い体験を記憶として抱えている場合もあるのだ、という認識に立つことによって効果があがることもあるのではないか、という気がするわけです。 この上で初めて、「>本人の問題行動について敢えて注意を促し改善を求め」ることが可能になることでしょう。 口で言うほど簡単ではないでしょうが、おざなりではない、根本の可決を目指されるのであれば、相手の心情への想像力がどこまで発揮できるか、といったあたりがキーになるのではないかと考えます。 ただ、これは一素人の私見にすぎません。 学問的裏づけは全くありませんので、その点はご了承願います。  

noname002
質問者

お礼

>おざなりではない根本の可決を目指されるのであれば、相手の心情への想像力がどこまで発揮できるか 結局、上記のような状態で手をつかねたまま取り返しのつかない事態に至ってしまってから私も本気で立腹してしまいまして、それは必ずしも問題を起こした本人にではなく、むしろ、その周囲の人たちの無関心と自己中心性に対してなのですが すでに解決しようのない現実の結果となってしまっており、それを越えても尚、問題の本人に関わっていく意欲は私にはありません。人類愛に燃えているわけでもありませんので。私の貴重な時間も、ずい分と失いました。ただ、この先、またぞろ似た手合いに出くわしたときには重々用心せねばと思うのみです。 早速の御回答、有難うございました。 (字数制限のため補足欄も利用致しました)

noname002
質問者

補足

ちょっと流れが分かり難い説明内容の質問になってしまったかと危惧していましたが、よく御汲み取りいただき有難うございます。さて >本人のキャパシティを超える抑圧 >過剰な抑圧 キャパシティとか何が過剰となるかは個人によって大変バラつきが大きいと思います。相手側情報が殆んどない匿名での出会いなどでしたら、まずは一般的なレベルでの想定をするでしょう。 >こういった抑圧を抱えていることは本人にとって、無意識的であるにせよ非常な苦痛 >その苦痛となる要素を軽減するための方策として、その抑圧を無かったことにしようとするメカニズム その抑圧というものを、この先も繰り返し抱え込む恐れがあると予測できるだけの知性があれば、その抑圧が耐え難いものであるほどに、次回以降同様の事態を回避するため自分側の何らか改善を図る、それも困難を極めるのであれば根気よく相手側に理解と譲歩を求める等の手段を講じていくのが、まず普通やることだろうと思います。 事例に挙げた人物も注意を受けた時に一応の謝罪と弁解はしていたものの、相手側のほうが格段に節度を保ち論理的であるうえ相応の事情もあり、何と言っても、そもそも注意された理由というのが、いかにも悪印象を招いても仕方ないような言動でしたので、その弁解も力弱く、しどろもどろの有様でした。それでも注意したほうの人は、事後のフォローにも、じゅうぶん気を配られていたと思います。 >むしろ生体にとっての自然なメカニズム 至極安直な抑圧回避方法としては「自然なメカニズム」とすることもできるのでしょうが一般的なレベルで考えた場合には、上記に挙げましたような自己改善努力や相手との妥協点を探る話し合い等がなされるだろうと思います。ところが、こうした自分を守るための努力、有効な方策というものが全くと言っていいほど、とられない。 私は、むしろ「自然なメカニズム」から逸脱しているようにさえ思いました。 >自分が「>礼儀や常識に欠けていること」を平然と、あるいは日常的にされていたような場合。 それを無かったことにするというのは、それ(自分がされたこと)は「>礼儀や常識に欠けて」いたことではなかったのだ、と思い込もうとするのではないか 結果として他者に対しても同様に振舞いますから、結果として注意を受け、しかし「>礼儀や常識に欠けていること」とは思っていない >この連鎖を食い止めるためには、その本人が元々されたことに対して「あなたはとても辛い目に遭って来た」という共感の姿勢が非常に重要になってくる >そうすると注意を受けたのは自分が悪いのではなく過去に自分をそのような目に会わせた者が悪かったのだ、という本当の原因に気づく そうした場合もあり得ると思います。但し、今回の事例については、いまでは私のほうで、ある程度の情報を入手しておりますので、それを勘案しますと、本人が「礼儀や常識に欠けていること」をされて辛い思いをしたというよりも、まず第一に、礼儀や常識に欠けていること、もしくは、そういう言動を咎められないことが日常的な当たり前のレベルのことであるという価値観のなかで生育されてきたらしいということ。ですから私としては、いわゆる「親の顔が見たい」というような感慨を持ったわけなのですが、確かに本人自身「自分は粗野な育ちである」とは言っておりました。 どうも「抑圧」の原因としては、そういったことの外にあるようで、環境とか外部からの抑圧というよりも多分に生育環境で培われた価値観または、それ以上に本人の資質が招いたことが大きく作用しているように見受けます。 私などは「地獄図絵」とでも呼ぶべきような情況を幼い頃から、かずかず経験してきておりますので正直なぜこうも己の精神を律する力が極端に弱い人がいるのか…と思ってしまいますが能力・体力と同じで如何ともし難い個人差ですね。 >相手の歴史に立って事実は事実として共感するところから始める必要 御言葉を返すようで恐縮ですが、これは非常に困難なことで聖人のような人格者でもなければ限界があると思います。 まず、先にも申し上げたように匿名の場で、相手についての情報が、ほぼ皆無である段階から非常に無礼な言動をとった相手しかも一切の話し合いを拒絶する相手を、どうやって「相手の歴史に立って事実は事実として共感するところから始め」られるか。。。 私のほうは、じきに相手側の知能面と精神状態を疑わざるを得なくなり、それはそれとして相手の心情に、やむにやまれぬものが潜んでいそうだとの洞察から、ひとまず謝罪したうえで距離をあけ静観しようとしたのですが、先方から非常な執拗さと、あらゆる独特な手立てをもって絡まれましたので理解は可能でも共感は無理でした。 (お礼欄へ続きます)

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