• ベストアンサー

哲学的に善悪とは何?

schneewittchen7の回答

回答No.13

補足を御要望ですので簡単に。 ヴィトゲンシュタインの著書『論理哲学論考』に、こう述べられているそうです。 『梯子を登りきったのち、それを投げ捨てなければならない。』 申し訳ないことに私は、この著書を読んでいません。今のところ、あまり読む必要を感じませんもので。御質問者様は、もし御興味を持たれましたら一度御読みになられてみては?著者は、なかなか人気が高く有名です。 「梯子」というものは、当然ですが、掛けないでいる限り、はずすことなどできません。当たり前ですね。 哲学的思索というものは言うなれば「梯子を掛け、それを一段一段上って行く」作業のようなものでしょう。 そのプロセスを一足飛びに端折って、いきなり見下ろすことをしたがる人は天才でなければ横着者か、うぬぼれやです。 (根本的な思考能力の差を指摘なさる人もいますが) 少なくとも哲学向きではないでしょう。たとえ天才の名に値する人でも最初から端折ろうとはしていないのじゃないかと思います。 登りきってこそ、次は投げ捨てる番です。だが登ってもいないうちから投げ捨てる梯子とはなんでしょうか。 私は、このように単純に理解しています。

pas26
質問者

お礼

>もし御興味を持たれましたら一度御読みになられてみては? そうですね、暇ができたら読んでみます。 >だが登ってもいないうちから投げ捨てる梯子とはなんでしょうか。 哲学的思索が完成の域に達していないということでしょうかね。 補足に対するご回答と説明ありがとうございました!

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