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御前

平安末期の女性には「由良御前」「常盤御前」「静御前」など「御前」と呼ばれる女性と、「平時子」「北条政子」など、「御前」を付けて呼ばれない女性がいますが、この二つの違いは何でしょうか。

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  • Nakay702
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回答No.4

>平安末期の女性には「由良御前」「常盤御前」「静御前」など「御前」と呼ばれる女性と、「平時子」「北条政子」など、「御前」を付けて呼ばれない女性がいますが、この二つの違いは何でしょうか。 ⇒以下のとおりお答えします。 「御前」とは、もともと貴人の面前・貴人の前駆を表す尊敬語でしたが、その後、単なる貴人・貴婦人に対する敬称になりました。 お書きの「〇〇御前」は(ついでに、「巴御前」も含め)、いずれも世が世であれば、「(北の)政所」とか「~門院」などと称されたかも知れない女性ばかりで、どのお一人を見ても「悲劇の女王」と言えそうな観がありますね。ちなみに、「平徳子」は、建礼門院と称され、「北条政子」は尼将軍と称されました。これらの方々は、お若いころには「御前」と呼ばれた時期があったかもしれませんが、長じてそれよりはるかに身分の高い位置についたので、「御前」を付けては呼ばれない、ということでしょう。他方、「由良御前」「常盤御前」「静御前」「巴御前」などの皆さんはその位置どまりで、それ以上の地位につくことはなかった、ということを暗示していますね。

回答No.3

子は お殿様の子供 という意味で 高貴な女の子につけられた名前  御前は奥さん 女史 的な敬称

noname#252506
noname#252506
回答No.2

北条政子と呼び捨てにされるのは、政子が悪女として伝わっているからじゃないでしょうか?現に、尼御台として頼朝亡き後は呼ばれていたそうですから。それに反して、静御前など「御前」として呼ばれるのは庶民にとって悲劇のヒロインだからだと思います。

回答No.1

その女性の身分(位)の違いかと。 「平時子」「北条政子」などは彼女ら自身に三位以上の位を所持しており、「位記」など文書に記載された名前です。 「北条政子」は「位記」などに記載するために急遽付けられた名前で、本名は伝わっておりません。 由良御前は「身分が高い」と言われていましたが、「位記」に記載されるほどではなかったそうです。 上西門院の女房説があるため、九条院の雑仕女だった常盤御前よりは身分は高かったのですがね····· 静御前については「吾妻鏡」の創作説があります。 実在していても本当に身分が低かったとしか。 源義経の本妻は「郷御前」で本名は「河越萌子」または「郷子」と伝えられています。 また平時忠の娘(本名不明)も娶っており、「蕨姫」と伝わっています。

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