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女性の名前に「子」がつくことについて

歴史に疎いので質問させてください。 本日、NHK大河ドラマ「義経」を見ていてふと思ったのですが、 女性の名前に義経の時代は「子」がつくことが多かったみたいです。 例:平家の「時子」「能子」、その他大勢。「北条政子」など。 しかしついていない人もいます。 例:義経の生母「常盤」、義経の想い人「静」など。 義経の時代は「子」がついていますが 江戸時代になると「お○」という名前が多くなり、 「子」がつく名前はあまり無かったのですよね? 昨年の「新撰組!」ではたしか女性は殆ど「お○」という名前でした。 これまたテレビのドラマの話で恐縮なのですが フジテレビの「大奥」でも「お万の方」「お楽の方」など「お」がついた名前が多かったような気がします。 「子」のつく名前があった時代があり、 またあまり使われなくなった時代もあったようで、 そして現代は復活しています。 何故なのでしょうか? 詳しい方、宜しくお願いします。

noname#17153
noname#17153
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noname#35582
noname#35582
回答No.8

女性の名前で「○子」というのは、#2さんが印象で答えていらっしゃるのが正解に近いですね。 「○子」というのは、位を貰うときにつけられる名前なので、当然ながら位をもらえるような、「宮廷の貴族の女性に多かった」ということになります。 ちょうど、今年の大河ドラマ「義経」を引き合いに出されていますので、平家物語からお話しますと…。 平家物語の原文を読んでも、女性の名前って殆ど出てこないんですよ。 「女」としか書かれていなくて、名前がついているのは位を貰っている、高い身分の女性だけなんです。 すなわち、女性が後宮などで「女官」として働くる場合(天皇の后(皇后、中宮、女御、更衣)なども一種の女官)、従三位典侍や従五位命婦という位と官職をもらっていたので、その時には名前の登録をしなければならず、その時に「○子」とする-となっているのです。 大河ドラマの「義経」は、宮尾登美子さんの小説がもとになっており、女性の名前も宮尾先生が考えられたものもありますので(朝日新聞社刊「平家物語の女たち」にも載っていますのでごらんください)、そのまま全ての名前を史実として話されると困るのですが…。 「時子」は、二位の尼ともいわれるように、「二位」という位を貰っているので、記録に「時子」という名前が残っています。 「徳子」も高倉天皇の中宮になっていますのでこちらも記録に「徳子」と残っています。 ですから、「時子」も「徳子」も、生まれたときから「時子」とか「徳子」という名前だった訳ではないのですよ。 また、「能子」は、宮尾先生がつけられた名前で、「平家物語」では「廊御方」としか出てきませんし、歴史関係の書物でも「名前」は出てこないのです。 いつの時代においても、庶民は、位を貰って女官になる訳ではなかったので(将軍の大奥や武家の奥向きに勤めにあがるからといって、位や官職がもらえる訳ではありません)、○子という名前がつけられることはなく、家族からは「○」、近所の人からは「お○さん」とか「○ちゃん」と呼ばれていたのです。 「常盤」も「静」も本名ではありません。 「常盤」は九条院に雑士女として使えていたときの「候名(さぶらい-な)」ですし、「静」は芸名に近いものでしょうね。 江戸時代における将軍側室の「お万の方」や「お楽の方」は、本名から派生した「局名(つぼね-な)」です。 庶民出身であるが、将軍の側室となったので、一種の尊敬語(?)として「お」と「方」を付けた-といったところです。 ついでに書けば、豊臣秀吉の正室・おねも、位を貰っていますから記録に残っています。その名前は「豊臣吉子」です。 明治以降に「○子」が流行したのは、「○子」だと高貴な人と同じような名前で気分がいい-程度のことではないでしょうか? ただ、明治期か大正期には「○江」も流行したと聞きましたが…。 しかし、最近「○子」ってお名前、同世代以外では見かけなくなりましたね。 私も「○子」ですが…。 最後に、#6さんの「清和天皇の母親は「明子」と書いて「あきらけいこ」と読みます。」ですが、この方は、ちゃんと読み方まで記録に残っているのですよ。 この人と「高子(たかいこ)」さんと「多賀幾子(たかきこ)」さんだけは。 専門は平安期の日本史で、近現代の事情には疎いもので、中途半端な回答になってしまい失礼いたしました。

noname#17153
質問者

お礼

大変、詳しいご回答ありがとうございます。 「能子」は創作した名なのですね。 小説が読みやすいように考えられたのでしょうね。 他の脇役、「うつぼ」(上戸 彩)なんかは 多分、架空の人物なんだろうなと思っていましたが、 実在の人物でも呼び名が無いと困りますよね。 明治以降、子がつく名が多くなったのは やはり流行のようなんですね。

その他の回答 (7)

  • gbrokk
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回答No.7

「子」については皆さんのおっしゃる通りと思います 明治時代の後半から「子」を付けるようになった理由は徳富蘆花の小説・不如帰(ホトトギス)のヒロイン、浪子さんから流行ったと言う説があります 事実その頃から都会では「子」を付けるようになりました

noname#17153
質問者

お礼

ありがとうございます。 明治時代から子が流行ったのは徳富蘆花の小説のヒロインから流行ったという説もあるのですね。 明治時代以降でも、これまたテレビドラマで恐縮ですが 「おしん」のように農民はまだおを愛称でつける二音の名が多かったようですよね。 都会では明治以降は子をつけるようになったのですね。

noname#113260
noname#113260
回答No.6

女性の名前ですが、聖徳太子の時代は「縣犬養広刀自」とか「大伴阪上郎女」「和気広虫」といった、男か女か分からないような名前でしたが、平安期になると「明子」のように「子」が付く名前が一般的になりました。 ところがまず読みは不明の場合がほとんどで、清和天皇の母親は「明子」と書いて「あきらけいこ」と読みます。 「良子内親王」という方もいますが、「よしこ」なのか何なのか不明で、昭和天皇の妻の香淳皇后が「ながこ」と読みますので、「ながこ」と仮に呼ばれて来ましたが、近年ある文献で確認されたようです。 また一般的に女性の名前は家族しか知らないのが普通で、本名が残る女性はよほど身分の高い方に限られます。 北条政子も「まさこ」と読んでますが本当は「せいし」と読んでたのかも知れません。(私は未確認) 北条政子は一応身分のある女性ですが、静や常盤は身分卑しき女性で、恐らく通称と思われます。 江戸時代は貴族を除けば「万」「玉」といった一文字が流行り、愛称を付けて「お万」「お玉」と読んだようです。

noname#17153
質問者

お礼

ありがとうございます。 平安時代から子がつくようになり、また「子」と書いても読み方は「し」かも知れないのですね。 貴族以外は子がつけられなかったのですね。 常盤、静は通称なのですね。身分が高くないと本名も残らないから分からないわけですね。 江戸時代は一文字で二音の名が流行ったから愛称でおをつけていたのですね。

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.5

時代による違いは、早い話「流行」です。 奈良時代末に。それまでの流行であった「~郎女(いらつめ)」「~女(め)」「姫」「君」などに替わって「~子(し)」が使われ始めました。この流行の元や理由は判りません。 それが、平安時代になると内親王(例:式子内親王)に「~子」が使われ始め、中期になると上流女性の"いみな"(名乗)は、「~子」と統一されました。(例:定子、彰子)。上流以外は「~女(め)」が一般的です。 鎌倉以降もこの傾向が続きました。ただし、「~女」については、「千代女」→「千代」(2音名)というように「女」を省略する傾向が出てきました(この傾向は奈良以前にもあります)。貴族の実名(正式名に近い)は「~子」、それ以外は仮名2音名がずっと明治まで続いたわけです。 その2音名には、よく「お」が前につき、「おちよ」「おはつ」と呼ばれることもありました。どうも日本人は2音名には「お」をつけたくなるようですね。ただし「ねね」のように必ず「お」がつく訳ではありません。また秀吉の正妻「ねね」は貴族の仲間入りするときには「寧子」と名づけられました。つまり両方の名前を持っていたわけです。 明治後期になると、戸籍制度も厳密に施行され定着し、女性でも呼び名ではなく正式な名前と認識され始めました。その際、貴族や華族のスタンダードである「~子」が庶民にも大流行したため、昭和中期までの女性の名前はほとんど「~子(こ)」になった訳です。(実際は「~子」だけではなく「~美」「~代」が流行したこともあります)

noname#17153
質問者

お礼

ありがとうございます。時代による女性の名の変遷がよくわかるご回答で、分かりやすくて助かりました。 流行もあったし、やはり上流の女性に子がついており、 他の女性は女がついていたのですね。 それを省略したのが二音の名で、呼びやすいようにおをつけたのですね。確かに仰る通り、ねねは「おねね」と呼びませんよね。 明治時代からは庶民も子をつく名が使えるようになったので流行したのですね。 明治時代でも子がつかない名もありますよね。

回答No.4

江戸時代まで、○子という名は、皇室や源氏、平氏など臣籍降下した者でしか使えない名前でした。 明治時代になって自由に使えるようになったのです。

noname#17153
質問者

お礼

ありがとうございます。 皆さん仰る通り、たしかに貴族の女性にのみ子がついているのですね。 明治時代からは名が自由になったので子がつく名を庶民もつけているのですね。

  • tatsumi01
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回答No.3

奈良時代や平安時代には「子」の付く名前は皇族や貴族で一般人は付けられなかったでしょう。清少納言の仕えた中宮定子や紫式部の主人、中宮彰子などが例です。 時子や能子も貴族でしょうし、北条政子も生まれは貴族ではないけど、頼朝は貴族です。常盤や静は本名か芸名か不明ですが、いずれにしても庶民です。 江戸時代の「お○」の「お」は愛称で、本名は「お」を取ったものです。 明治時代から「子」を一般庶民がつけることがはやりました。

noname#17153
質問者

お礼

ありがとうございます。明治時代までは貴族の女性に子がついていたのですね。 常盤や静は貴族ではないですよね。

  • gamy-cho
  • ベストアンサー率22% (73/326)
回答No.2

 あくまで私の考えで確たる証拠があるわけではないのですが…。  女性の名前で○子というのは、中世での宮廷の貴族の女性に多かったのではないかと思います。平家もほとんど貴族みたいなものですし、天皇家は現在でも女性はすべて○子さまですよね。(一般から入った人も偶然とは言え)  一方、お○というのは武家とか庶民の女性の名前に多いのではないかと思います。ただ、そう考えると北条政子が例外になってしまいますが。  

noname#17153
質問者

お礼

ありがとうございます。確かに仰る通り、貴族の女性に子がついていますよね。武家や庶民の女性はおがつく名のようですね。 北条政子は武家なので例外になりますね。

  • gamasan
  • ベストアンサー率19% (602/3160)
回答No.1

私も時代劇とか身の回りのことを参考にしてですが 江戸とか昭和初期まで 女性の名前は平仮名後期はカタカナも 含んで2文字の名前が多かったように思います 特に町民レベル 本名に「お」をつけて呼ぶような 単に呼びやすさ 便宜上だと思いますよ

noname#17153
質問者

お礼

ありがとうございます。二文字の名はやはり多かったのですね。「お」をつけると確かに呼びやすいですよね!

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