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姓名の間の「の」
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平安時代の貴族は、名付け親と結婚相手以外、本名を明かす ことはありません。名前を明かすことは、その相手に全人格を 渡すことになる・・・と考えられていたからです。 なので、平清盛なども、本当の名前が「清盛」なのかどうかは 実は不明です。あくまで「自称」なんですね。 同様に、姓も、今の姓とは考え方が違い、○○一族の流れを汲む という意味が優先します。○○家の生まれ、という意味じゃない んですね。 なので、○○一族の○○という意味で、「の」が入ります。今で 言えば「嵐の櫻井君」ってな感じですな。 戦国期になって「の」が入らなくなったのは、自称の手紙など が多く残されているからで、その中で署名した名前が定着して いるからです。名前を明かすと全人格を渡すことになるという ような「言霊」的考えが、実利志向の武士ではあまり受け入れ られなかった・・・ということもあります。 もっとも当時も「木下藤吉郎」~「豊臣秀吉」のように、頻繁 に名前を変えている例が多いので、今の姓名とかなり意味が 違う点には注意が必要です。要は名前や姓は「自称」でしか ないので、将軍などに言われて簡単に変えることができたん ですね。 今のように「家」と「名前」という形に姓名がなって、原則と して死ぬまで固定的になったのは、明治以降戸籍制度を整備する 関係上、庶民も姓名を名乗れるようになってからです。
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- ithi
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tzd78886さん、こんばんは。 源平藤橘と言って、4つの姓は天皇から下された姓であり、大事にされました。だから本姓とも言っていました。北条四朗平義時も(ほうじょうしろうたいらのよしとき)と名乗ります。 氏姓制度 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F%E5%A7%93%E5%88%B6%E5%BA%A6
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15295/33014)
姓はある階層に限られていた時は「の」を入れ、全国民一様に姓を持つようになってからは廃止されました。あとの例外は、慣習です。
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