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「気持ちの上で」分をわきまえるということ
とにかく自分の性格が厄介で、苦しいです。どうすれば直せるんでしょうか。そもそも直せるものなんでしょうか。 歪んだ性格のいちいちを挙げるときりがないんですが、一番大きいのは「自分の分際をわきまえない」ということです。自分で自分を過大評価しているのに、世間の評価は低いというか客観的に見れば「分相応」ということに激しく自尊心が傷つけられます。 単に人から悪く思われたくない、変に思われたくないという体裁上の気持ちから、社会生活上では一応分をわきまえて行動しています。たとえば人気者や教養のある人、上品な人や美人などがそれぞれ中心であるべきTPOにしゃしゃり出ていくということはしません。 でも、そういう場所にしゃしゃり出て行けない自分が苦しく、その気持ち(自己顕示欲でしょうか?)を抑えようとするとものすごく精神的な負担を感じます。その「負担を感じる」ということについてさらに落ち込んでしまい(心の綺麗な素直な人と比較してしまいます)、絶望すらしかかるのをようやく引き戻しているという毎日です。 気持ちの上で(根っこの所で)分をわきまえていないので、日常生活ではわきまえていると言ってもどこか隠し切れないというかにじみ出ているものがあったり高飛車っぽい発言をポロッとしてしまって、周囲の人を不愉快にしている(「あなたがどれほどのものなの?」と思われる)こともあると感じます。 そういう「気持ちの上で分をわきまえる」のに方法というものがあるでしょうか?あるとすれば、どうか教えてください。
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お礼
アドバイスをありがとうございます。 冒頭にも書かれていらっしゃいますが、読み進むうちにもbluepsycheさんが本当に私に共感してくださっているのだな、ということが伝わってきました。bluepsycheさんも同じように苦しまれたのでしょうか。あるいはその途上にいらっしゃるのでしょうか。…… 指摘いただいたことが一つ一つそのとおりです。私はプライドが高く、そのプライドがどこから来ているのかまったくわかりません。むしろ中身はゴテゴテと飾り立てた塗り壁のようです。地のままでいい物を何ひとつ持っていません。 それに反して「ダメでどうしようもない自分を愛」するということが難しいです。自己愛の塊のような自分なのに、半面で嫌いで仕方ありません。このように書くとまるで思春期のようですが、とうの昔にそんな時期は過ぎています。何年も克服しようともがき続け、見つけたと思ったことが虚しく思えたり、また立ち上がっては転びと……そんな繰返しでやってきました。ですがやはり、 >愚かな自分を向上させる努力は大切ですが、おそらくいつまでたって も自分の愚かさを完全に克服することは無理でしょう。 ということなのでしょうか。少なくとも、今の私の段階では実体験からおっしゃるとおりとしか言いようがありません。本当なら克服して少しでも良い人間になって、同じように苦しんでいる人がいたら「きっと大丈夫」と確信を持って言えるような大人になりたいのですが。 >ダメでどうしようもない自分を愛してあげればいいと思います。 多くの人はそうしていると思うのです。 私も方向転換をすべき時なんでしょうか。よくよく考えてみれば、自分を愛するというのは良い人間になろうと努力すること以上に困難なことのようにも思えます。私はそこから逃げてきたのかもしれませんね。多くの人がそうしているのなら、私はその多くの人たちを心から尊敬します。 余計なプライドは捨てる。これも私にとっては心の生皮を剥がすように苦しいことですが、そうやって心を鍛えていくべきなのでしょうね。 こんな稚拙な悩みに親身にに回答くださったことを心から感謝いたします。ありがとうございました。