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性格を治したい
自分の性格が嫌で、最近やっと気づいたのですが、私は典型的な「自己顕示型」なのです。 これまでもカウンセリングを受けたり、心理学系の本を読んだりしてきたのですが、どうも私に必要なものとは違ったような気がします。 自己顕示型の性格を治したい、という理由で精神科や心療内科にかかるのはお門違いでしょうし、実際の症状も「病気」と診断するほどひどくありません。 病的とまではいかなくても、「胡散臭いやつ」「信用できないやつ」「わがまま」「自己中」「根性なし」「いい格好しい」「人から良く見られたい」「自分が一番でいたい」人間です。 わかっていても自分でそういう気持ちを持つことがやめられません。 本なども探してみましたが、これだ、と言うものを見つけることができませんでした。 「がんばりや」「よくやっている」「すてき」「おしゃれ」などという評価をうけることが時々ある私ですが、裏を返せばすべて上に書いた通りなのです。 ほめられたくて何かをしてしまう自分につくづく嫌気が差しますが、何をどう頑張ればこの考え方の固執から開放されるのか全くわからず困っています。 まず初めにどういった行動を取ればいいのでしょうか。
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他人に対して常に良い印象を与えていたいわけですね。 そのためには自分のやりたいことはぜずに他人にとって好ましいことを どうしてもしなければならなくなるでしょう。 それは他人を操作しようとしているのです。 自分の行動を使うことによって。 でも、いくら他人を操作しようと思っても,意外と上手くはいかないものです。 それは,誰でも他人から操作(コントロール)されることを嫌うからです。 それよりも自由にさせてもらいたがっているのです。 他人を操作しようとすることをやめると,自由を与えることになります。 そうすると自分を縛っていたものから自分を自由にすることが出来ます。 もちろん,そうなるには時間がかかります。 今までの自分を育て上げるのに時間がかかったように、あたらしい自分に なるためにも時間がかかります。 そして,思い通りにならないことにもたくさん出合うことになるでしょう。 その思い通りにならないことが自分を成長させるためのヒントを与えて くれるはずです。 失敗や間違いをいけないことにはぜずにそこから何かを拾い上げることで 自分を育てていきましょう。 他人がいいと思っている事と自分がいいと思っている事が違っている ことが普通のことなのです。
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- xdragonx
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こんにちは。30代女です。 ご質問者様は見た目もよく、浅い関係においては回りからも高評価をもらっているのでしょうね。自己分析もよくされていて頭の回転が速い方なのだろうと思います。 他人の反応で喜びを感じる習慣があるとだまされやすくもなるし、いいことありませんね。一人相撲、でも本人一生懸命ということになってしまいます。 他人は簡単に褒めますよ。べつに本心ではなくても、軽い気持ちで。だからあまり真にうけないほうがいい。他人ありきじゃ非常にむなしい。 いい子でなければ認めてもらえないと学習してしまったのはどこですか? 今自分の考え方の癖はどこでみにつけたものですか?過去は今に続いています。なので、どうして自分は褒められると嬉しく(過剰に)なってしまうのか自分の心を客観的に分析してみてください。理由があって結果があるのです。経緯を納得すると腑に落ちて生きるのが楽になると思いますよ。 それと他人もあなたと同じで、喜んだり苦しんだり悲しんだりという心があるということを想像してみてください。あなたをいい気分にさせるために他人が存在するのではないのです。他人の心に共感すること、そして共感されることを繰り返すと、不思議なほど自分本位ではなくなると思います。情緒のキャッチボールのようなものかなと思いますが。 ここで自分はどう頑張ればいいのか、という質問も、自己愛の変形のようにもみえます。まだ自分自分になってしまうのです。なので、心して、他人他人をやってみることを提案します。相手の立場に立って相手の気持ちを想像することに努めてください。しかも必死で。 惰性でいい人をやっているぬるさ加減と生き辛さを天秤にかけた場合、まだいい人やっていたほうがラクだと心のどこかで思っていませんか?本心で変わりたいと願うなら、必死に心がけなければいけません。他人の気持ちを想像するのです。頑張らなくていいのです。でも必死に願い、想像するのです。周りの人の心を理解し、一緒に生きることを楽しみたいのだと。 とても知的な印象を受けるご質問者様ですから、きっとトンネルの向こうに明かりが見えてくるはずです。今悩んでいることもすべて意味があり心の成長につながっていると思いますよ。より魅力的な人になってくださいね。
補足
長文ありがとうございます。 力強い文章に考えさせられました。 今日までじっくり考えたのですが、私も「真剣に、心から願う」ということはとっても大事なことだと思います。 それは忘れないでいつも心がけるようにします。 頭の回転が速いと言うよりは、このテーマを20年以上考えに考え続けているので、まあそこそこ分析できているのかもしれません。 実は、妹は「他人、他人」タイプです。 それが極限までいってしまい「人に迷惑かけないために、なるべく他人と接しない」という結論に達したようで、本当に人が生きていくうえでの最小限のコミュニケーションしかとっていません。 私も長年考えている間に、妹の結論が正しいのでは?と思うことがありましたが、やはり「よくなって普通の人生を送りたい」という気持ちがどうしても消えません。 ですので、周りの人には迷惑をかけてしまうのを承知で、人との関わりは絶たないでいこう、と結婚も出産もしました。 人は生きている限り、多少お互いに迷惑をかけあっていくんだと教えてくれた人がいたので。 しかし、やはり、私の悪いところを治すには私が変わるべきだと思いますので「私はどうしたらいいのでしょうか」という質問になりました。 「いい人をやっている」のは決してぬるくありません。 なぜなら「いい人そうにみせてるけどメッキは、はげはげで本当の姿がばればれ」だからです。 これって、ただの悪い人間よりもっとたちが悪くて恥ずかしいです。 とにかく、時間をかけて頑張らないで必死にやってみます。 本当に、ありがとうございました。
- youchan37
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レスありがとうございます。 誤解があるといけませんので確認のためお知らせします。 まず「パーソナリティ障害」という大きな括りがあって、 その中に境界性、自己愛性、強迫性、反社会性、回避性、依存性…など沢山の分類があります。 境界性は自己愛が萎縮したタイプ、自己愛性は反対に肥大したタイプと云われています。 但し自己愛性が一時的に境界性に変化したりすることはあるようです。 又、どれか一つのタイプにだけ当てはまるというものでもなく、 私なら自己愛性が一番強く、その次が強迫性… といった感じです。 わがまま、自己中心的、甘えが残っているなどは、境界性、自己愛性その他多くのものに当てはまり、 しつこい性格というのは、強迫性かも知れません。 なんだかまるで自分のことを言われている気もします(苦笑)。 まぁ私の素人判断ですし、決して押し付けるものではありません。 勿論子供を全く傷つけないということは不可能ですし、無傷なのが最良ということではないと思います。 甘えというのは段階的に越えていくものですし、自立までの道のりには必ず心が傷つくことはあるでしょう。 良い意味での免疫というのも必要でしょう。 より心の傷が深刻なアダルト・チルドレンの方などは、よく「負の連鎖の終結」というようなことを仰います。 やはり一番大切なのは自己愛だと思います。全てのパーソナリティ障害は自己愛の障害だと述べる専門家も居ります。 もしご興味がお有りでしたら、パーソナリティ障害系の本をご覧になると宜しいと思います。 又、私も加藤 諦三さんの本を加えてお薦め致します。
お礼
長文ありがとうございました。 加藤さんの本はとっても有名のようですね。 色々読んでみました。 ゆっくりやっていくことにします。 本当にありがとうございました。
- youchan37
- ベストアンサー率37% (248/669)
「自己愛性人格障害者」という言葉があり、同時に又「自己愛性人格者」という言葉もあります。 「障害」と「性格の偏り」との間には、明確な線引きは難しいのです。 「自己顕示型」というより「自己愛性人格者」をキーワードにした方が、世界が広がると思います。 学問として定義された心理学では、例えば自己顕示型の人に対してはこういうマーケティングプランが宜しいとか、 自己顕示型の人そのものをどう扱うか、という方向が比較的強く、 一方精神医学や精神分析学の方面は、この自己顕示欲がその人を生き辛くさせている場合、 それをどう改善・解決していくか、になります。 精神医学というと「精神病」等の深刻とも思える心の問題を想像しがちですが、 「性格」という範疇においても、大いに役立つものを得られます。 自己愛性人格は「パーソナリティ障害」という精神医学の学問中の分類の一つです。 ですから、パーソナリティ障害を扱う心療内科等でレベルの高いところであれば、 「自己愛性人格障害とまではいっていないのですが…」ということで、相談に乗って貰えると思います。 それで、パーソナリティ障害は、その一番の発現原因を「親につけられた心の傷」と考えます。 といっても、特別虐待等の行為を行ったものでもなく、普通に子供が可愛いと思っている親でも、 悪意が無くても子供の心を傷つけることは往々にしてあるのです。 ですから、例えば親にはとても可愛がられたと思っていても、念のためその可能性を一考してみることは とても意義あることだと思われます。私がそうなのです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5045904.html よって蛇足ながら、例えば遺伝子的・生来的なものを持って生まれた人の場合であっても、 それによって、子育てにおいて親が扱い辛かった場合は、親に心を傷つけられることは充分考えられます。 すると併発的な心の問題が形作られるのです。そういう併発的な診断も往々にしてあります。 ですからそこまで考えれば、パーソナリティ障害を扱う精神科を受診することは、 一番念のいったやり方でありましょう。 さて、自己愛性人格者たる私の自己顕示欲と、又、同胞かも知れないな、という一方的な 思い込みにも近い愛情によって少々長くなったこの回答が、少しでも貴方のお役に立てば幸いです(苦笑)。 自己愛性人格を脱するということは、自己嫌悪を脱することだ、とも言えると思うのです。 ですから、もし貴方にも強い自己嫌悪があるなら、どうかご自分を好きになって下さい。 そして、だとしたら、私は貴方が好きですよ。貴方を嫌いにはなれません。 何故なら貴方を嫌うことは、自分自身をも嫌いになってしまうことに繋がるからなのです。
お礼
長文ありがとうございます。 私自身も「境界例っぽいなあ」と思うときがありますが、私を境界例と呼ぶと本当に境界例で苦しんでおられる方に失礼な気がします。 私のは単なるわがまま、自己中、甘ったれ、だと思うのです。 しつこい性格ですから神経症的な思考をしてしまいますが、いづれも「病」という辛く、人の援助を必要とするものではなく、ただ精神的自立ができていないだけだと思うのです。 なので私ごときが忙殺されている精神科医ないしは心理士の方々をわずらわせるのも、もうやめた方がいいかと思うのです。 かといって、苦しい事には変わり無く、どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。 昨今では禁煙外来などというのもありますから、自分探し外来のような気分で精神科を訪れるのもありなのかもしれませんが。 そして、最近とくに焦り始めた理由が、子供たちなんです。 次の世代へは絶対つなげたくない。 私で終わりにしたい。 という気持ちがとても強いです。 でも、おっしゃる通り、「子供を傷つけない」というのは相当難しそうです。 「傷つけられても自分で回復する力」を持つ子供になって欲しくて頭を悩ませています。 私と同じ思いはして欲しくありませんから。
- aeromakki
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性格は、変えられる。 変わらなく見えるだけで、日々本人が強化しているから変わらないのだ。 それでは、性格を実際に変えるには、…。 という内容を、精神科医が書いた本があります。 加藤諦三氏の訳です。 「自己創造の原則」。 役立つと思いますよ。
お礼
なるほど、役に立ちますね。 良い本を紹介していただきありがとうございました。
褒められる喜びに捉われすぎていませんか? 対人関係の基本をそこに置いてしまうと、人と付き合える範囲が狭くなってしまうと思います。 人から余り褒められなくてもいい、という楽な気持ちで ちょっと馬鹿になって演出してみると これが実に楽しいものです。 褒められるより楽しいくらいです。 利口でないと、馬鹿は演出できません。 世の中にはこれが実に上手い人がいます。 私も時々(というか年中)やっていますが、上には上ありで、かなわない人が沢山います。 まあ、時と場所と人を見て、ということになりますが これが出来ると、人の付き合いも楽しく、広がる感じがします。 失礼とは思いますが 手始めに(友達なんかに) 俺も馬鹿だな~・・・ とやってみてはいかがでしょうか。 (私がこれを言った時ですが、隣にいた達人?がすかさず やっと分かったの、随分時間がかかったな~~・とやられました。 もっと早く分かりそうなもんだ・・・と追い討ちもかけられました。) 褒められる喜びよりも、こっちの方が楽しいし 結構頭も使います。 どんな馬鹿になってみるかな~・・なんて考えるのも楽しいですよ。
お礼
まさに私の悩みは「褒められることにとらわれすぎている」ことなんです。 常に、常に「人に良くみられたい」「褒められたい」、時には「自分に良くみられたい」とさえ思います。 「馬鹿のふり」。 おっしゃっているのと同じ意味かどうかわかりませんが、馬鹿になったりもするのですが、その根底に「そんなことないよ」と言われたい気持ちが強く付きまとうのです。 逆に言えば、「そんなことないよ」と言われるためにわざと馬鹿のふりをするんです。 そんないやらしい自分が本当に大嫌いです。 なぜ、素直に自分自身として生きていけないのか、というよりは、なぜ素直に自分自身を出してはいけないほど悪い人間なのか。と悩みます。 なんとなく、「煙草は百害あって一利なし」とわかっているのに煙草がやめられない人の気分でしょうか。 そしてそんな自分に腹が立つ。 すべてわかっていて、あとは自分の腹ひとつなのにいつまでたっても良くなれない自分に本当に嫌気が差します。 甘えているんですよね、私は。
補足
お礼の言葉を忘れてしまいました。 具体的な行動の例を示していただき参考になりました。 ありがとうございます。
所謂伸し上がることによって報酬を感じるという心理だと 思います。社会的に最近はそれは良いとされていますが個人的には ちょっとどうかと思います。はたから見られなければ個がなりたた ないというのはちょっとどうなのかと・・・受けて側は気分が盛り 上がるという効果で高評価を出しやすいと思いますが「現実は?」 というのがキーワードになるということですね。 悪い例で言いますと選挙では煌びやかな発言をして騒ぎ立てられて 表ざた良いように見せておいて裏では欲の塊みたいな人も居ますから ねあまり表面に頼りすぎるという行為自体どうなのかと思うところで す。良い例で言いますとお祭りや映画などの役者、もっと庶民的な セールスマンやアドバイザー、営業などでは相手の信頼度が 上がるなんてこともありますからね一概に良し悪しが語れるものでは ないですが問題はそうせねばならない何かがあるということです。 なので>わかっていても自分でそういう気持ちを持つことがやめら れ>ない訳です、なのでその何かというところを見つけるの先決だ と思います。
- izayoi814
- ベストアンサー率33% (68/205)
こんにちは。 どうしてそんな自己嫌悪に陥ってしまったのでしょう? 「うさん臭い…」等は周りの人たちから本当にそう思われているのですか? それとも、ご自分で見つけ出した短所ですか? 私は後者だと思いますが。 それでは、ご自分の“自分から見た”長所を探してみて下さい。 短所ばかり見ていると、長所はどんどん消えていってしまいます。 また、時と場合によって、長所も短所に、短所も長所になり得ます。 他の回答者の方もおっしゃっているように、自分を好きになりましょうよ。 少なくとも否定するのはやめましょう。 “褒められたい”という気持ちは人は普通にみんな持っています。 罪悪感を抱く必要はありませんよ。 “性格を変える”のではなく、“見方を変える”努力をしましょう。
お礼
回答ありがとうございます。 長所は、ありません。 なぜなら長所の元になっている原動力すべてが「人によくみられたい」だからです。 すべての行動の源が「人にどう見られるか」では、生きていてもむなしいものです。 性格は変わらないようなので、思考のパターンを変えたいのですが、具体的に、何をどうしたらいいのかわからず困っています。
- ringo_red
- ベストアンサー率20% (1/5)
「人にばれて嫌われるのが怖くて」という言葉で、 white-anaさんは一生懸命、人に好かれようと頑張ってる、頑張りやさんだなぁって私は思いました。 本当に協調性のない人はこんなことすら、考えません。 だから、大丈夫! white-anaさんはご自分で考えている以上に良い人です。 本当に悪い人は、自分のことを省みることすらしませんから。 きっと、white-anaさんが人から嫌われてしまった時も、 自分の性格が悪いからなんだってご自分をいつも責めていたのでしょ? 本当の悪人は自分の悪い所を治そうなんて、思うこともありません。 だから、もっともっとご自分に自信を持っていいんですよ。 性格にいいも悪いもありません。 すべての要素が表裏一体だからです。 わがままな人=自分の意見を言える人で、 おくゆかしい人=自分の意見を言えない人 だと捉えることだって、できるからです。 多分、white-anaさんが気付いておられるように、 問題は「自分を嫌ってること」これだけです。 何か過去経験が元で、素の自分を嫌いになってしまっているのですよね。 素の自分を受け入れてもらったことはおありですか? 親御さんにご自分の悪い所ばかりを指摘されて育てられたことはありませんか? 自分が嫌い→自分を隠す→自分を隠してるから、人から好かれるんだ と思い込んで、ますます自分を隠す。 ますます自分を隠す→人と会うのが疲れる→ますます自分不信 という悪循環になっているのです。 そう、「自分が嫌い」ここを変えれば、変化しそうですよね。 でも、white-anaさんはこれを不可能だと思うのですよね? じゃあ、いっそのこと「自分を隠す」をやめてみませんか? 友人達にそのままの自分をさらけだしてみてください。 そこで、離れてしまった人がいれば、その人はそれだけの人だったと思えばいいんです。 残る人も必ずいます。その人が本当にwhite-anaさんとつきあえる人です。 white-anaさんがどんな発言をしても、 受け取る側はどんな受け取り方をするのか、 white-anaさんはわからないのです。 white-anaさんが人に「信号が赤だよ」と教えたとしても、 「別にいいじゃん!white-anaさんはくそまじめでつまらない人」って受け取る人もいれば、 「教えてくれて、ありがと~。white-anaさんはよく気が利く人ね」と受け取る人もいる ってことです。 だから、受け取る側のことを気にしていても、意味がないんです。 white-anaさんは受け取る側に振り回されずに、自分らしく。 人は人、自分は自分。 誰とも比較しない。 自分はこう思う。あなたはこう思うのね。 じゃあ、どうすれば、二人が良いようになれるかな? なーんて人と自分を認め合って、考えることができるようになりたいなと私は思っています。 私も失言して、相手に悪いように受け取られてしまうことがあって、よく落ち込みます。 でも、そんな自分も認めています。また、失敗しちゃったってね。 私はいつも楽しくをモットーに生きるが目標なので、 考えても仕方ないし、次回頑張ろうと思うだけなんですけどね^^ 人に伝えるのは難しい。自分が伝えたいこととは全く逆に受け取られることもある。 white-anaさんに私の伝えたいことが伝わったかな?
お礼
長文ありがとうございます。 優しい励ましの言葉、ありがとうございます。 頑張りや。というのはたまに言われるのですが、それの原動力が「人に良くみられたい」なので、辛いのです。 とにかく、生い立ちなども関係あるかもしれませんがいい歳をしていつまでも親のせいにしているわけにもいかず、なんとかしたいのですが・・・。 本当の自分をさらけ出したら、きっとすべての人が去っていくと思います。 誰にも、誰にも本当の自分を見せたことはありません。 自分をすら欺いているような時もたくさんあります。 私は本当に良くならないといけないと思いますが、どうやったらいいのかわからずに困っています。
- sukeken
- ベストアンサー率21% (1454/6647)
こんにちは。 ある意味個性だと思うんですけどね。 まずは、自分を好きになって見ませんか? そうする事で、もし意識的に直したいと思う箇所があるのなら、なんらかの考え方や行動が起きると思いますよ。 自分が嫌いなうちは、なにも進みません。いやかもしれませんが、まず自分を受け入れる。全てはそこからだと思います。 自分なんですから、自分で面倒見ましょうよ。 では。
お礼
こんにちは。 回答ありがとうございます。 自分の事を好きになる・・・。 これは今までずっと考えてきたテーマですが、皆目わかりません。 本当に、さっぱりわかりません。 好きになる根拠がないのに好きになるのは単なるうぬぼれだし、受け入れるといっても、なんのことかわからないのです。 自分を受け入れる事が理解できない私が、他者を受け入れられるわけがありませんね。 うぬぼれの強い、いけ好かないやつっていますよね。 私はそういう人間だと思うんです。 そんな自分が大嫌いなんです。 それで、それが人にばれて嫌われるのが怖くて「本当の自分以上に自分を良く見せよう」と思ってしまうのです。 結果、協調性がなくなったり、嘘をついたり、必要以上に執拗になってしまいます。 個性で済まされるものではないと思います。 まわりにいる人は迷惑でしょうし、冷笑していると思います。 自分を変えられるのは自分しかいないだろうと思っています。 でも、何をどう努力したらいいのかわかりません。 まるで思春期の子供のようで情けない気持ちです。
- boke-chan
- ベストアンサー率22% (137/604)
質問者の書いているように、裏を返せば、欠点も長所になるのです。 欠点(と自分で思っている事)をあまり出さずに 長所が出れば良いわけですが、長所も逆に欠点になるとすれば、 気にする方が無意味でしょう。 ・我が強い・自己中←→芯が強い ・自己顕示欲が強い←→リーダーシップ型・がんばりや ・ほめられたい←→よくやっている 自分に都合が良いように受け取って良いではないでしょうか? 質問者が、少し何かを変えたいのであれば、 今までより、少々の協調性を加えるとか、 人の話を、もう少しだけ聞いてみるなどで十分ではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、表裏一体ということですね。 しかし、程度はごく軽いとは言え境界例的な言動をすることがあるのです・・・。 「自分を本当の自分よりよくみせていたい」という気持ちです。 そのためには、とっても頑張れるし、時にはちっさな嘘もついてしまいます。 以前は考えなしに自分の心のままにしゃべったり、行動していましたから、周りから見たら非常に浅はかな、恥ずかしい人間だったと思います。 今はそれをうまく覆い隠す術を身につけたと言ったところでしょうか・・・。 もうすこし我慢強くならなければいけないのでしょうね。
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お礼
回答ありがとうございます。 他人を操作しようとしている。 まさにそのとおりですね。 だからうまくいかないんですね。 今まで、失敗してもどうしてそうなったかわからず、だから成長することもできませんでした。 考えて見れば、私は思い通りにならない事が我慢できないわがままな人間です。 でも、それこそが自分を成長させるカギだとおもえば少しは我慢できるようになるかもしれません。 人それぞれいいと思うことは違うから、いちいちひとから褒められなくてもそれが普通という事なんですね。 すごいですね。 この答えをプリントアウトして持ち歩きます。 ご指摘の通り、すぐには変われないでしょうから忘れないように時々読むようにします。 しかし、人に言われないとこういう事に気づけないんですよねぇ、私は。