過程を楽しむにはどうしたらいいのですか?
- 結果を求めすぎず、過程を楽しむ方法について考えてみます。
- 結果に執着せず、今を楽しむことが大切です。
- 目標を持ちながらも、プロセスを大切にすることが過程を楽しむ秘訣です。
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過程を楽しむにはどうしたらいいのですか?
結果を求めすぎると、逆に行動できないし、楽しくないと。 結果を求めすぎず、過程を楽しむにはどうしたらいいんです?
- inudaisukidesu
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質問者が選んだベストアンサー
良い結果を求めて考えながら、過程を改善し続けるなら面白いのでは? 大リーグの大谷も常に細かい部分まで検討して足の位置を変えたり腕の振り力の入れ方タイミングの取り方を改善し続けているでしょう。 色々研究しながら実行し完成度を高めた結果が現れる時、本当の楽しさを味わえると思います。 やってすぐに楽しい事は、同じことをやっても間もなく楽しい物ではなくなります。エンターテインメントも、一時はもてはやされてもすぐに消えます。
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- blazin
- ベストアンサー率50% (20056/39744)
結果を求めてあなたなりに前に進んでいる時は、実はそれなりに楽しんでいる状態とも言える。上手く結果が出なかった時には、なんとなくそれまでの過程そのものが無駄になったような虚しさを感じる事もある。でもそれは、結果という負のインパクトがあなた自身の心を強く濁してしまい、本当は楽しめていた過程を一時的に分かり難くさせているだけ。実はあなたなりに楽しんでいる。そう解釈して全然構わないんだと思う。結果を目指しながら、楽しんでいる自分を数値化する事は中々難しい。楽しむという言葉の明るい華やかなイメージに囚われ過ぎない事も大事。あなたにはあなたなりの楽しみ方がある。今の自分は楽しめているんだ!と明確に自負できる所まで至らなくても良い。あなたが書いているようにバランスなんだと思う。結果だけに尖り過ぎても、結果が出せなかった時に自分自身は何も残せなかったという無力感に苛まれる。それまでの積み重ねを無価値化するような、結果至上主義に偏る事は後々の自分自身を苦しめる事になる。でも、結果を目指してある程度ストイックに自分自身を束ねないと結果が出せない事も沢山ある。人によっては楽しむという気持ちが散漫に作用してしまう事もある。結果はあくまでプラスアルファであって、仮に思ったような結果が得られなくてもそれはプラスアルファのアルファの部分が生まれなかっただけだ(マイナスじゃない)。良い意味で自分自身に対する負荷を下げて、結果に囚われないプロセスの歩み方を選べる人もいる。目に見える結果と、目には見えない結果(変化や成長)の両方を慈しめる人もいる。それは本当に人それぞれ。人と違っていても全然構わない。実はあなたはあなたなりに楽しんでいる(た)。結果が出た時は過程もそれなりに楽しめていたと思い出す事ができ、結果が出なかった時には実は楽しめていた過程が上手く思い出せない(結果から翻って、なんとなく楽しくなかった)。そう思い込んでしまっている事も実は沢山ある。あなたはあなたなりに自分自身を導いていけば良い。不器用なあなたが目指す楽しむという感覚が、人様と同じである必要は全くない。周りにあなたの固有の感覚を伝えられなくても全然構わない。あなたにはあなたなりの進み方があって良いんだと思うからね☆
- nihonsumire
- ベストアンサー率27% (822/3031)
そうありたいと常々思っています。しかしながら、仕事では結果を求められるし、趣味の将棋は負けると嫌だし、家庭を楽しむと言っても女房も居ることだし難しいですね。 過程を楽しめるのは、ある程度実力のある人でないと難しいのではないでしょうか。 勝った負けたと騒いでも、結果を出せずに叱責されても、後々振り返った時に、あの時こうだったああだったと楽しく思い出せるといいですね。
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1247/3419)
分割する。 目指す結果が100だとしたら、1~100に分割する。 まずは1の結果のために動く。 もともとのハードルの設定が低いので、楽しみやすくなる。 中には楽しくない過程もあるかもしれませんが、短期間のチャレンジなので達成感は得られやすいです。 楽しめないと言ってる人ほど、基礎をおろそかにしてます。 基礎体力がなければ、長時間・長距離は走れません。 そもそもの基礎がわかりませんというのなら、理解その物が足りてません。 「自分がなんのために、今、これをしてるのか」がわからないなら、楽しめるはずもありません。 目的もわからず楽しみたいなら、だれかに指導を仰ぐこと。 その方に、楽しみながら身に着けられるよう、工夫してもらうこと。 なので、習い事なら、独学よりプロに習ったほうが断然早いです。 仕事についてなら、自分が「なにを求められているか」を明確にできるかどうかが別れ道になるんじゃないでしょうか。 ・今の自分になにができるのか ・なにが足りないのか ・一番最初に手をつけることはなんなのか(道具を揃えることか、人を揃えることか、知識を増やすことか) 結局は、ひとつひとつ丁寧に潰していくしかないですよね。 目の前のことに集中しすぎず、俯瞰した視点で現状を省みていくことも大切だと思います。
- m5048172715
- ベストアンサー率16% (860/5258)
目的を、楽しむことにする。つまり過程を目的にすれば良い。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2714/12238)
読んで字のごとくしかないですよ。過程を楽しむようにするしかないと思います。何をして、どのような結果を求めて、という具体的な例がないとそれ以外答えようにないと思います。
- tuyosik
- ベストアンサー率4% (130/2728)
今ここ自分に集中する、気づく、精進する、欲ばらない、与える、ちょうどよく、ふさわしく、軽快に、うまく、ちゃんとまっすぐやり終える、確信する、怒らない、ほほえむ、喜ぶ、願い叶うように、悩みなくなるように、考える話す動く、幸せであるように、すべて過ぎ去る、と思います。
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