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お釈迦様が悟ったことはいったい何でしょうか?

お釈迦様が菩提樹の下に座り続けて悟ったことは何だと思いますか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

 すべての人が幸せになる根源  

ADATARA
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 人間だけを考えとも思えません。 しかし,大きなことを悟ったのでしょう。

その他の回答 (10)

  • wam_f756
  • ベストアンサー率8% (114/1333)
回答No.11

すべては、幻。

ADATARA
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人生は長い歴史から見れば実に短い時間ですね。幻のごとくです。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6245/18618)
回答No.10

苦行をしても悟りは開けない  ということを悟りました。

ADATARA
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。たしかに悩むより祈っている人の方がマシに見えますね!

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10491/32992)
回答No.9

「悟ってないやつは、まるで分かっちゃいない」ってことではないでしょうか・笑。

ADATARA
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。たぶん,重大なことを悟ったと思います。

回答No.8

 不退転の決意で 法螺を吹き見栄を張りつづけるなら そのペテンは 《生き続ける》ということ。  しかも 《この上なきとうとい知恵のさとりを得たのだ》というふうに 《最高》なることを強調するなら まづ死後も千年 いやいや 二千年を過ぎてもなお そのイカサマが生き続けるということ。  これを 身をもって示し 或る意味で歴史的に実際に証明したということでしょう。  そのための条件と言えば しかしながら 決してそのさとりの中身は明らかにしないということです。  じっさいシャーリプトラから――法華経で――そろそろ無上覚の内容を説明してくれませんかと懇願されても それを言えば 理解の乏しい人たちは混乱してしまう さとりは 仏と仏とのみ分かり合えるものなんだと言って 明らかにしないことの説明責任のみを果たして 死んで行くということ。  ペテンは 最期までつらぬくということ。  もっとも 自分のオシヘは 《大化城(つまり ただのまぼろし)》であるとも――たしかやはり法華経で――明かしている。部分的には 誠実なところをも見せるということ。  世界史上 人類最大のウソなら バレないということを 菩提樹の下でさとったらしいんです。

ADATARA
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。実に、実に面白い回答でした、

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.7

我欲を無くせば幸せになれる、ということです。 しかし、我欲を無くすなんて所詮は無理な話。 アドラーのように、自己に執着し過ぎるな、 という程度で十分だと思います。

ADATARA
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。何を悟ったのか謎ですが,その後の弟子たちの行動を見ると、人間の生き方とこの世のとらえ方のようですね。

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.6

生老病死の苦などないこと、バラモンのいう輪廻転生もないこと、そして私とか主体などないこと、そして12支縁起もないこと、そして生とか死の無いこと、そして最後に「悟り」もないこと、だからこそ、逆に生老病死の苦があり、バラモンのいう輪廻転生もあり、そして私とか主体があること、12支縁起もあること、生もあり死もあること、「悟り」のあること、それを知ったということだと思います。 大般若経のうちの金剛般若経でいう「即非の論理」です。 AはAにして、Aに非ず、ゆえにAなりという論理です。 生老病死は生老病死にして、生老病死に非ず、ゆえに生老病死あり、です。 輪廻転生は輪廻転生にして、輪廻転生に非ず、ゆえに輪廻転生あり、です。 私・主体は私・主体にして、私・主体に非ず、ゆえに私・主体あり、です。 12支縁起は12支縁起にして、12支縁起に非ず、ゆえに12支縁起あり、です。 生死は生死にして、生死に非ず、ゆえに生死あり、です。 「悟り」は「悟り」にして「悟り」に非ず、ゆえに「悟り」あり、です。 これが、お釈迦様が菩提樹の元で、悟られたことです。

ADATARA
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。謎ですが,当時の時代状況,環境及び文化状況を考えると,そういうことかもしれませんね。

  • g0721475
  • ベストアンサー率17% (82/481)
回答No.5

諸行無常  「一秒先は解らない、ミリミリと生きていく、ありとあら       ゆるものが常に同じでは無い」 我が身も空、無心なり「この世に我が身は存在しない、心も何も無い」       目に見えるのは映像で、生き物や花は死に又、生まれる。       その中に我が身を置き、日常の変化を身近に感ずれば生き       ているという証である。       欲が出れば、我が身が見えなくなり、悪いことをする。

ADATARA
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。そういうことを悟ったのかもしれません。もつと単純で,しかし,深いことかも知れませんよ。

  • ponyo7
  • ベストアンサー率18% (130/712)
回答No.4

天上天下唯我独尊

回答No.3

日常生活を過ごし、社会で生きる中で身に着けた、 種々の価値や意義が、無意味であるという事。 存在は虚構であり、生は他律であるという。

ADATARA
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 そういうことかもしれませんが,案外、単純で,当たり前のことかもしれませんが,知る由もありません。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.1

>>お釈迦様が菩提樹の下に座り続けて悟ったことは何だと思いますか。 全宇宙の構造とその過去と未来、人類の過去、未来などをごらんになられたようです。 筒井康隆の有名なSFマンガの「七瀬シリーズ3部作」の3作目「エディップスの恋人」で、七瀬は宇宙の創造者と対峙することになります。 そういう存在が作った成果物と、今後に予定されているストーリを一気に見せられたのが、彼の「悟り」みたいです。 こういう全宇宙を創造した者の視点と同じ視点で見れば、「地球なんてとてもちっぽけなもの」「そこに生きる人間の一生なんて、もっとちいさい」「しかも、その一生が終わり、死んでしまっても、あの世の次元で魂は生きているのだから、死を恐れる必要なんてない」 って感じになっちゃいますよね? だから、親や子供、友人などの親しい人が死んでしまっても、「嘆き悲しむのは、悟りがまだまだ足りないからだ!!」って昔の仏教では怒られることもあったように思えます。

ADATARA
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 何を悟ったのでしょうか。 もう少し、単純で,しかし当たり前と言えば当たり前のことのような気がします。仏陀はあの世があるとは一切,言っていないようです。 菩提樹の下に座ったつもりで,当時の文化レベルや時代状況を考えれば,おのずと単純ながらも普遍的なことに気付くと思います。

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