• ベストアンサー

大政奉還は1回しかないのですか?

今までの日本の歴史において 大政奉還は1回しかないのですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.5

幕府とは、朝廷から征夷大将軍の官職を貰い、開幕の許可を貰い、政権を朝廷から委託されていたのです。 大政奉還は将軍職を返し、委託を返す事です。 ですから、1回でなく半回のみです。 朝廷は大政奉還を受けましたが、政権は引き続き徳川家に委託しています。 委託を解除をせずに突然、王政復古と称して親政を始めました。 大政奉還から王政復古までの数ヶ月が本当の下克上です。薩長に都合悪い事は表に出ません。 未だに闇です。 因みに坂本龍馬は徳川家支持でしたから船中八策は、全く別人の物です。

pypdxquz
質問者

お礼

どうもありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (4)

  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2196/4861)
回答No.4

>今までの日本の歴史において、大政奉還は1回しかないのですか? 一回ですね。 「奉還は、謹んでかえす事」ですよね。 かえす者が、権力を無くしていれば「奉還」ではありません。 平家政権は、形式的に朝廷内の機能として政治を行いました。 平家が滅亡しても、朝廷は存在していますから「奉還」ではありません。 鎌倉幕府は、後醍醐天皇派が「武力で幕府を倒した」ので「奉還」ではありません。 室町幕府は、末期には権力を失っていましたから「奉還」ではありません。 結局、江戸幕府が存続・機能している間に権力を返したので「大政奉還」ですね。 慶喜が、自らの権力で「大政奉還」の意思表示をした事重要なんです。^^;

pypdxquz
質問者

お礼

どうもありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.3

 「奉還」の「奉」は、「たてまつる、献上する、ささげ物」や、「捧げ持つ」などの意味です。「還」は「帰る」「本来の状態に戻る」というような意味です。  奪ったり、奪った物が奪い返されたりするのは「奉」ではありません。  朝廷から奪った「大政」が、後日朝廷側によって奪い返された事例としては「大化の改新」「建武の中興(新政)」などもありますが、「つつしんでお返し致します」という心とともに、奪った側から自主的に返還されたことは1度しかありません。  したがって、「大政奉還は1回しかない」といっていいでしょう。

pypdxquz
質問者

お礼

どうもありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.2

朝廷から政権奪い取ることあっても、朝廷に返上することは 江戸幕府くらいしかないかも知れません。

pypdxquz
質問者

お礼

どうもありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • mpascal
  • ベストアンサー率21% (1136/5195)
回答No.1

江戸幕府が朝廷に政権返上した事件を「大政奉還」というのです。なので1回だけですね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%94%BF%E5%A5%89%E9%82%84

pypdxquz
質問者

お礼

どうもありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 大政奉還

    今や国会議員連中は全く当てになりません。 民主党はじめ自民公明ろくでもない。 どうでしょう。この際大政奉還するって言うのは。 こんな事を書くとばかばかしいとおっしゃる方がたくさんおられるのは予想できますが、 優れた意見や優れた考え優れた人物は迫害されたり馬鹿にされたりすることは歴史が証明しています。 幕末から明治にかけての日本の激動の歴史を皆さんも勉強したでしょう。 幕末に大政奉還なんて考えた人がどれだけいたでしょう。 でも明治になってからの日本の発展は素晴らしいものがありました。 軍事国家への道をひた走ったことで、先の大戦での屈辱を味わうこととなりましたが、 大政奉還がなかったら日本の近代史はどのようになっていたでしょうか。 僕は陛下が被災地へ毎週行っているのを行かされていると思っていましたが、 どうやら皆さんの意見を聞くと陛下自らが望んで行かれているとのこと。 こんな素晴らしい日本人は他にいません。 この際、やはり陛下には国の最高責任者になっていただき、この未曾有の事態を打開していただきたいと思うのです。 もちろん無能な政治家どもは一新し、新たな政治機構を作らねばなりません。 今こそが日本を変えるチャンスではないかと僕は思うのです。 大政奉還についてどう思いますか。

  • 大政奉還について

    僕は歴史が好きで、特に幕末~明治にかけては大好きなのですが、大政奉還がいまいちよく理解できていません。 どうやら坂本竜馬が船中八策を考え後藤象二郎に提案したところ、後藤象二郎が土佐藩藩主山内豊重(容堂)に進言し、山内豊重(容堂)がかなりの勢いで「それやっ!!」と乗り気になった例のあれです。というのも、この当時幕府はすでに力もなく薩長の倒幕にびびっていたんでしょう。そこで大政奉還することにより、朝廷側が倒幕の密勅を出せないからです。この部分がわかりません。 山内豊重(容堂)は後藤象二郎から大政奉還について提案された直後、徳川15代将軍徳川慶喜に進言し、慶喜は悩んだ挙句大政奉還を受け入れ政権を朝廷に返しました。 徳川家終焉の歴史的な日です。 しかし、幕府としては朝廷に政権を返したところで朝廷には政治を仕切る力はないと仮定し、実質的には幕府に政権が戻ってくると考えたのでした。 しかし、そこで朝廷側は王政復古の大号令を出し徳川幕府を崩壊させました。これは幕府側にとってかなりの誤算だったみたいです。この朝廷側の決定に小御所会議で文句を言ったのが土佐藩藩主山内豊重(容堂)です。かなりのカウンターをくらったことでしょうね。 ここまでは何とか独学で学べたんですが、ひとつ理解できないことがあるんですね。さっきも書いたように、なぜ大政奉還(朝廷に政権を返す)することによって、倒幕の密勅が出せなかったのか??ということです。僕個人的な見解としては、大政奉還することにより政権は朝廷にあるのだから、その時点で倒幕をさせることはできなかったのか??ということです。 本当に気になってます。教えてください。

  • 大政奉還

    大政奉還の前と後で、天皇の立場や、扱われ方(?)というのは変化があったのでしょうか? また、孝明天皇は君主としてどのような教育を受けてきたのでしょうか? 歴史にあまり詳しくないので、できるだけ分かりやすく説明していただけると助かります。 ※また、参考書物などもあれば教えて頂けると助かります。 宜しくお願い致します。

  • 大政奉還について簡単に教えてください。

    なぜ徳川慶喜が大政奉還を行ったか教えてください。

  • 大政奉還

    慶喜が大政奉還を決意させられた内外の情勢を教えてください!!!!レポートを書かなきゃいけないのでお願いします。

  • 大政奉還についてお尋ねします。

    大政奉還についてお尋ねします。 大政奉還で徳川幕府の将軍徳川慶喜は明治政府に江戸城を明け渡します。 しかし、現在の皇居を見ると、明け渡したと言うより、むしろ迎え入れたような感がします。 革命的に敵を倒して入場した勢力が、旧勢力の敷地で心休まるとは思えません。場所を占領しても大規模な破壊や改修はあるのが普通の歴史ではないでしょうか。 質問1. 江戸城明け渡しの時、徳川幕府の官僚たち(旗本・与力・同心たち)は、そのまま居残って天皇に仕えたのでしょうか。それとも、京都から天皇が公家を率いて江戸城に入場して、幕府の役人たちは追い出されたのでしょうか。 質問2.もし、100%の居残りとか追い出しがなかったとすれば、大政奉還の直後の皇居には、どれくらい徳川幕府の侍が残っていたのでしょうか。パーセントで示していただけませんか。個人的見解でかまいません。 質問3.明治初期、宮内庁に相当する政府の部門はありましたか。あったとすれば、その規模(予算・人員)はどのくらいだったのでしょうか。はっきりしない場合は、今日との比較でもかまいません(例えば、今日の宮内庁よりも政府内での相対的規模は大きかった。など。) よろしくお願いします。

  • 大政奉還

    大政奉還の時の江戸城で慶喜が武士達に命令している絵を探しているのですが、なかなか見つかりません。 それと、明治天皇が京都から江戸へ行幸しているところの写真も探しています。 お願いします。

  • 薩長同盟と大政奉還

    「薩長同盟」と「大政奉還」に関する質問です。 坂本龍馬は「薩長同盟」と「大政奉還」を斡旋したとされていますが、これって変ではないでしょうか? 坂本龍馬の独創ではない、という意味での「変」ではなく(坂本龍馬の独創ではなく、数多くの人間の考えを元に行われたことは承知の上です)、この二つを斡旋するのは矛盾ではないか、という意味での「変」です。 薩長同盟は幕府の武力討伐のために結成されたものだと思いますが、大政奉還は逆に、幕府の権力を穏便に朝廷へ返上するものですよね。 つまり、この二つって真逆だと思うのです。 討幕のために薩長同盟に協力していた龍馬が、次は討幕ではない大政奉還に協力するというのは、私には「転向」に見えます。 龍馬は勝海舟を会いに行ったときに尊皇攘夷の考えを捨てていますから、「転向」はありえない話ではありませんが、散々薩長を振り回しておいて、土壇場で大政奉還に協力するなんて、何だか筋が通っていないようにも見えます。 これはいったいどういうことなのか、教えていただけると幸いです。

  • 黒船来航~大政奉還までの資料

    日本史(主に江戸時代が舞台の)小説やマンガが好きな者です。 小説やマンガだと当然ではありますが、脚色、創作によるところが大きいと思うので、歴史的な事実に基づいた「資料」として読める本、若しくはHPを探しています。 江戸時代の中でも、時代が大きく動く黒船来航~大政奉還までについて、詳しいものがあれば教えていただけないでしょうか?

  • 大政奉還と王政復古の違い

    大政奉還と王政復古の違いって何ですか?