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君が代 5 7 5 7 7でないの。

君が代は古今和歌集では、『我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで』となっています。 ここでも、『さざれ石の』と6字になっていますが、ここの『の』はなくてはならないものなのでしょうか。 国家を歌っているときは、気が付きませんでしたが、5字でないのが気になります。 短歌などは素人です。宜しくお願いします。

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  • staratras
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回答No.2

「さざれ石の」は6音で、ご質問の通り「字余り」です。この「字余り」については本居宣長が指摘したように法則性があります。大まかにいうと、「字余りはその句の中に「あ」「い」「う」「お」の母音を含むときに限る」というものです。この歌も「さざれ石」には「い」の音を含みますので、この法則に合致しています。 二十一代集を「さされいし」で検索してみたところ、古今集のこの歌を含めて9首ありましたが、以下の通りすべて字余りでした。「さざれ石の」が8例、「さざれ石は」が1例あり、逆に字余りでない歌は見つかりませんでした。「の」はなくてはならないもののようです。 1.古今和歌集   我君は 千世にやちよに さされ石の いはほと成て 苔のむすまて 2.拾遺和歌集   君か世を 何にたとへん さゝれ石の いはほとならん 程もあかねは 3.拾遺和歌集   苔むさは ひろひもかへん さゝれ石の かすをみなとる よはひいくよそ 4.続古今和歌集 さゝれ石の なかの思ひの うちつけに もゆとも人に しられぬるかな 5.続古今和歌集 池水に 岩ほとならん さゝれ石の かすもあらはに すめる月影 6.新千載和歌集 浦ちかく 浪のうちくる さゝれ石の 中の思ひと しるやしらすや 7.新千載和歌集 葦鶴の むれゐる沢の さゝれ石は 千世の数とも おもほゆる哉 8.新千載和歌集 君か代は 長居の浦の さゝれ石の 岩ねの山と 成はつるまて 9.新続古今和歌集 君か代は ちくまの河の さゝれ石の 苔むす岩と 成つくすまて

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noname#235638
noname#235638
回答No.1

5 7 6 7 7 です。 の は、必要なのです。 払いの歌でもあるんですけど 悪いものはすき間から入り込むと考え すき間を埋めるためにあえて の を入れて字余りにしている。

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