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真珠湾攻撃の前に小規模な日米紛争があれは開戦回避?

mm058114の回答

  • mm058114
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回答No.5

まず、陸軍はノモンハンで惨敗しても、北進を諦めていません。 その結果が、関特演です。 関特演も、戦力集中が、思い通りのスピードで進んでいたら、 日ソ戦もあったかもしれません。 また、海軍で小規模な紛争が起こる可能性は、 陸続きで、国境不明瞭で始まったノモンハンと違い、 海を隔てた太平洋なので起こりにくいでしょう。 もしある可能性があったとしても、 比島では、起こるはずは考えられないし、 グアム島? 若しくわ、また中国において、河用砲艦にそそうしてしまう? モンロー主義のアメリカは、戦争を起す事自体ができなかったでしょう。 たとえ、起きたとしても、日本の制海権下なので、 アメリカは、比島、グアムは、最初から捨石で、救助はできない事は、オレンジ計画で分かっていました。 また、アメリカは1941年当時、陸軍は師団数は日本の1/4だし、防衛計画は州兵に頼っており、とても外征できる状態ではありません。 海兵隊も1コ師団半の組織であり、外征組織でなく、島嶼警備のレベルで、後の様な戦術もなく、沿岸警備隊レベルです。 半歩譲って、紛争が起きても、日本海軍陸戦隊に軽くひねり潰されていたでしょう。 まして、海軍の艦艇同士では、紛争は起こらないでしょう。 よって、申し訳ないですが、貴殿の質問は全て成り立たないと思います。

glass-rabbit
質問者

お礼

ノモンハン後の関特演で陸軍・関東軍がどこまで本気で北進を考えていたのかは、ちょっと疑問が残ります。 北進を完全に諦めるわけではないが、ちょっとブラフを打ってみる・・・あたりですかね? 太平洋戦争中はソ連に対峙してるうちに、戦力を南方に引き抜かれて満州侵攻では大惨敗という結果になってしまいました。 日本はアメリカとは海で隔てられており、直接国境線を接してるわけでないので、海軍が暴走して偶発的な小紛争というのは、なかなか起こりにくく、これは中国に進出して簡単に紛争・謀略を起こした陸軍との違いかもしれません。そして、アメリカ領はフィリピン、グアム、ウェーク、ミッドウエー、ジョンストン、ハワイで、日本が戦端を開く動機に乏しい場所で、日米開戦しなくてもよかったんじゃないのという気持ちが残ります。 また、アメリカの太平洋戦力がかなり少ないので、日本海軍は戦闘でかなり優位に立てて、惨敗はしない可能性が高そうです。 アメリカは工業力や資源力で援蒋がメインでした。実際に米兵が中国大陸に大規模投入されて、大陸での主要プレイヤーになってたら、日中戦争や国共内戦の流れもかなり変わってたかもしれません。スティルウェルがあまりいい将軍ではないので、アメリカも占領地では苦戦しそうですが。 ともあれ、日米が太平洋戦争前に小規模紛争を起こし、惨敗して国力の差を知るというシナリオはかなり現実味が薄いことがわかりました。

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