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真珠湾攻撃の前に小規模な日米紛争があれは開戦回避?

eroero4649の回答

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  • eroero4649
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回答No.4

ノモンハンは実はソ連軍はしっかりした兵力と、日本軍の想像を絶する資材を投入してかなりガチで日本軍を叩きに来たということがソ連崩壊による情報公開で明らかになりました。 スターリンがなぜそんなに気合を入れて(全面戦争のリスクも負って)関東軍を叩きに来たのかの真意は不明です。これはあくまでも私の推理ですが、スターリンはヒトラーとの戦争を本気で考えていて、そのために後ろから日本に襲いかかられないために日本軍に対して「ソ連軍は強力である」ということを思い知らせてやろうと思ったのではないかと思います。独ソ不可侵条約は、ヒトラーもスターリンもそれを信じるほどお人好しではないと思います。 さて、太平洋地域主にフィリピンやインドネシア辺りに展開していた米軍兵力は装備も時代遅れで数も不十分だったのでもし小規模な衝突が発生したら日本側が勝利した可能性は大きかったと思います。アメリカの本気がすさまじいことになったのは1943年以降で、第二次大戦に参戦した1941年当時には、実質的に陸軍なんてのはほとんど存在しなかったほどです。主力となる戦車もM3スチュアート軽戦車でしたし、戦闘機もF2バッファローなんかが主力だったのです。 よくいわれるのが石油の禁輸措置で開戦が決まったといいますが、石油以上に命運を決めたのがクズ鉄の禁輸でした。鋼鉄の製造にはクズ鉄が必要ですが、当時のアジアにはクズ鉄を供給するほど鉄製品そのものが出回っておらず、そのためクズ鉄は100%アメリカからの輸入に頼っていたのです。 クズ鉄が入ってこなければ鋼鉄が生産できません。近代戦とは鋼鉄を投げ合うようなものですから、鋼鉄が作れなければ銃も大砲も輸送船も生産できないから詰みますよ。

glass-rabbit
質問者

お礼

日本がアメリカに負けて、日本の首脳部に対米恐怖が染みこんで、海軍の対米強硬派が押さえ込まれるのを考えてたのですが、 米海軍が弱いので、日本が勝って調子に乗ってしまうパターンもありうるんですね。 その後、アメリカが日本を怖れてABCD包囲網~ハルノートをやめるかというと、それはちょっと考えにくい。 とすると、太平洋戦争前に日米間で小紛争があっても、大きな歴史の流れにはあまり関係ないかもしれませんね。 ノモンハンはこれまで日本惨敗・ソ連圧勝と言われてたのが、 近年の研究ではソ連も被害多数というのがわかってきましたが、 ここから出て来た軍人はソ連はジューコフ、日本は辻、服部で 比べてみればやっぱりソ連に軍配があがるかなと。 No2さんの回答のように真珠湾攻撃をしないで引き延ばしてたら、満州や華北で大慶油田や鉄鉱石、石炭などが 手に入った可能性もあるんですよね。

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