- ベストアンサー
真珠湾攻撃のとき
真珠湾攻撃のとき アメリカは何故日本海軍機動部隊の動きを察知できなかったのでしょうか? 全く偵察機とか飛ばしてなかったんでしょうか? 飛ばしていたら北方から日本の艦隊が来るのが分かると思うのですが?
- あずき なな(@azuki-7)
- お礼率92% (13409/14560)
- 歴史
- 回答数9
- ありがとう数12
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
真珠湾攻撃のとき アメリカは何故日本海軍機動部隊の動きを察知できなかったのでしょうか? → 1.日本方面からの戦艦の移動が確認できない。 →日本軍はアメリカに察知されないように、北方を大回りして艦隊を移動させました。 2.実際の戦争を兵士達も指揮官も予想できていなかった。 →まさかということです。オアフ島には日本人スパイがいて、その様子もわかっていました。 3.そのずさんな防備ぶりは、レーダーについても言えます。実際に当直のレーダーを見ていた兵士が異変に気づき、上官に報告したものの、その上官はとりあわず、問題ないと無視してしまいました。 4.レーダーだけでなく、アメリカの戦艦ワードが日本軍の潜水艇を発見、撃沈したにもかかわらず、これを軽視し、大丈夫と思ってしまいました。 5.宣戦布告がなかった。 →戦争となれば、慣習上、宣戦布告がなされるはずです。実は、日本軍は、宣戦布告をする予定でしたが、ワシントンの大使館で暗号解読に手間取り、大幅に戦争宣言が遅れてしまいました。真珠湾攻撃後のことでした。 日曜日は、特に軍事演習もほとんどない日でした。そこを日本軍はねらったのです。 全く偵察機とか飛ばしてなかったんでしょうか? →7時49分に攻撃開始となるまで、未明に空母をつぎつぎと飛び立ったわけです。この時間は偵察機を飛ばすような(危険が察知されていないわけですし)時間ではなかったのです。 飛ばしていたら北方から日本の艦隊が来るのが分かると思うのですが? →仮に飛ばしていたとしても、西から来ると思っていたでしょうから、北方からの攻撃を見つけるのはできたかどうか、疑わしいところです。 なお、アメリカのエンタープライズ、レキシントンなどの空母は、航空機を移送中でいなかったとされています。これをもって、アメリカは、わざと真珠湾を攻撃させたとする説もありますが、もしそれが本当だとすると、アメリカにとっては大問題です。その可能性はほとんどないと私は思います。 以上、ご参考になればと思います。
その他の回答 (8)
- makocyan
- ベストアンサー率39% (1039/2623)
偵察機(この場合は哨戒機ね)は飛ばしていましたよ。主にハワイとアリューシャン列島から。 ただね、この時代の哨戒ってのは、まだ機上レーダーは実用化されていなかったので、要は人の眼頼り。雲があったら見えないし、タイミングが合わなければ見逃しちゃう。何よりこの時期のアリューシャン方面は冬場は大荒れになるわけで、下手すりゃ哨戒機は発進さえできない。 「アメリカは真珠湾攻撃を知っていた」説は確かにあるのだけれど、果たしてそれが確実なものかどうかは未だ結論が出ていないと思います。 そもそも、当時のアメリカ海軍は日本海軍を以下のように見ていた可能性が高いです。 (1)真珠湾は日本本土から3500海里も離れている。日本軍の艦艇は基本的に迎撃型であり、航続距離は大きくない。この時期の北太平洋は大荒れであり、燃料の洋上補給もままならないはずで、真珠湾まで容易にやってこられるとは思えない。 (2)上と同じ理由で、それだけの航海中に哨戒線や民間船舶に発見されずにいられるとは思えない。(実際にはうまいことすり抜けたのだけれど) (3)航空機に搭載できる兵器で戦艦を撃沈可能なのは基本的に魚雷であるが、真珠湾内は浅すぎて使えない(というのが当時の常識。浅深度魚雷の開発をアメリカは知らない)。 (4)戦艦の水平装甲を貫通できる航空爆弾を日本は保持しているとは思えない。 要は、航海術的には相当難しく、有効な攻撃手段も有しているとは思えないということ。であるならば、やつらの攻撃目標は南方だ、日本軍が真珠湾を攻撃してくる可能性はあるとしても、優先度はかなり低い、と考えるのも無理はない話。 だから北方哨戒線の動きも緩慢なものであったし、ウォード号(戦艦じゃないよ、駆逐艦)の「敵性潜水艦」との接触(撃沈を確認したわけじゃないしね)も眉唾物、地上レーダーでの探知にしたって、日本機がハワイまでやってこられるなんて末端の兵士が思うわけもない。 ということで、真珠湾陰謀説で取りざたされる様々な「?」も、それなりに納得できる理由がないわけじゃない。少なくとも「知っていた」を確定づける理由にはならんと思うのだけれども。
お礼
なるほど アメリカが当時の日本を軽く見た結果の真珠湾での敗北だったのですね ありがとうございます
- kanden
- ベストアンサー率21% (176/802)
アメリカが察知していたと言う事は事実でまずは日本から手を出さしてリベンジすると言う名目で戦争を始めると正義はアメリカにありと言う事を世界に発信できたからです。 ベトナム戦争でもトンキン湾にいた米観戦の攻撃を受けたと言う理由で戦争を始めました。 最初のイラク戦争の時はその理由が無く苦慮した結果クエートに侵略したと言う理由で無理な撤退条件をつけて約束を守らなかったと言う理由でアメリカ主導の湾岸戦争を始めました。 9・11だってそうです。アフガンへの侵攻はイラクへの戦争行為の手始めです。 今までのアメリカ主導の戦争は全てそんなプロセスを踏んでいます。
お礼
ありがとうございます
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8861)
もちろん、哨戒機や艦艇を出していました。 しかし、米軍は荒天の多く航行困難な南方からは来ないだろうと 北方にしか偵察機を出しませんでした。 南雲機動部隊は、偵察機が出る以前に、 南方航路に転針してました。 しかし、さすがはアメリカ軍です。 夜のうちに発進した特殊潜航艇を真珠湾に入る前に 駆逐艦ワードが発見、撃沈しました。 しかし、ワードの警報にもかかわらず警戒はされませんでした。 そして、オアフ島の山上に仮設されたレーダーサイトは、 空母を飛び立ち真珠湾に向かう攻撃隊を探知しましたが、 司令部は、同日、ハワイに増派されると連絡のあったB25 と思いこみ、何の対策もしませんでした。 ※これらは映画「トラ!トラ!トラ!」にも紹介された 著名な史実です。 zzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
お礼
ありがとうございます と いうことは 真珠湾攻撃を発案した山本五十六がいかに天才であったか ということですね
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7194/21844)
その手の情報があったことは確かとされています。 しかし、そういう情報は、現実には無数存在する 訳です。 でたらめな情報も、間違った情報もあります。 その中から正しい情報を選び出し、分析するのですが、 それから洩れたのだろう、という説が有力です。 しかし、31代大統領フーバーは、ルーズベルトは 事前に察知していた、というメモを残しています。 元大統領ですから、これは重いです。 このフーバーは、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に 引きづり込んだ狂気の男、と評した書見も残しています。
お礼
ありがとうございます
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
海上の艦艇を偵察する航空機を哨戒機と呼びます。 日本海軍機動部隊は12月8日の未明にハワイの北から南進し、攻撃部隊は現地時間日曜日の午前8時前に奇襲に成功しています。 つまり、”開戦前(平時)の日曜日の夜明け前”という条件を狙って奇襲攻撃を掛けたわけで、敵の将兵は日曜の朝にキリスト教の祭事に集合していることを計算にいれたのでしょう。 なお、第二次世界大戦初期の哨戒機は基本的に日中に飛び、海上の艦艇を目視で探すものでしたので、未明に哨戒機を飛ばすと言うのはよほどの事件が起きている(=平時では無い)場合だけだったと思います。
お礼
完全な奇襲でしたか…
- hiromititan
- ベストアンサー率21% (31/147)
アメリカは知っていましたよ。 アメリカは日独伊の3国同盟にある日本の満州進出における制裁として日本に対して経済制裁を行い。引くか戦争かに誘導してました。 だから、日本の電算機もつつぬけでしたので、当然知ってましたよ。 ただ、日本人の力や技術を過小評価(ゼロ戦)したため、当初の予定より終戦が長びいたのです。 日本はアメリカに負けたのではなく、資源に負けたのです。 仮にアメリカと同じ資源があれば、アメリカ本土に原爆を落としたのは日本です。
お礼
ありがとうございます ???
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
アメリカの偵察機は、察知して報告していたようですね。 でも、黙殺されたようです。 No.1さんの回答のとおりでしょう。
お礼
察知していたのに黙殺ですか それは戦犯ですね
真珠湾の真実は、実は完全に日本軍の奇襲を察知していたようで、当時の日本を潰すために戦争を開始する大義名分のために、敢えて犠牲になったらしいのです。 根拠としては、海戦で主役の空母が、何故か真珠湾には一艘も居なかったという事実があります。
お礼
日本はまんまと引っかかったと…
関連するQ&A
- 真珠湾奇襲の成功はアメリカのおかげ?
次のような説があります。 日米開戦の劈頭、ハワイのアメリカ海軍基地を奇襲するために日本海軍の機動部隊(司令長官南雲中将)が密かに単冠湾から出撃してハワイに向かった。機動部隊の行動をアメリカ側に察知されないため、山本連合艦隊司令長官は機動部隊に対して無線通信機による電波発信を一切、厳禁した。部隊はこの命令を良く守り、アメリカ側に気付かれることなく真珠湾に到達することができ、奇襲に成功した、というのが戦後の通説でした。 ところが、ワシントンの米海軍省は無線傍受などの諜報活動を通じて、ハワイ攻撃の任務を負う日本海軍の大艦隊がハワイに向かって航行している状況を、刻々、把握していた。機動部隊は山本長官の命令に違反して電波を発信しながら航行していたという説があるのです。 そして、ノックス海軍長官はハワイの基地(キンメル大将)にその情報を知らせなかった。キンメル大将が警戒態勢を取らなかったため、機動部隊はハワイ奇襲に成功した。ハワイの基地に警戒態勢を取らせないという方針は、ルーズベルト大統領の方針であり、ハル国務長官もスチムソン陸軍長官も承知していたというのです。 そうなると、真珠湾奇襲に成功できたのはアメリカのお蔭という事になってしまうのですか、どうなのでしょうか。
- 締切済み
- 歴史
- 真珠湾攻撃は、知られていた?
かの有名な日本軍の真珠湾攻撃は、ルーズベルト大統領に 察知されていたと書いてある文献があります、またそうでなく本当にアメリカは知らなかったと書いてある本もありました。どちらが、正しいのでしょうか。 できれば根拠も知りたいのですが・・
- 締切済み
- 歴史
- 日本海軍は真珠湾奇襲に『成功した?』、『成功させてもらった?』
第二次世界大戦での日本の軍事作戦について質問です。昭和16(1941)年12月8日の早朝(日本時間)、日本海軍機動部隊は、ハワイのアメリカ太平洋艦隊基地の奇襲に成功した。これを皮切りに日本とアメリカは戦争状態に入った。というのが、戦後の長い間の定説だったと思います。私もそう信じていました。 ところが一方で、日本海軍は奇襲に「成功した」のではなくて、アメリカに「成功させてもらった」のだという説があります。つまり、機動部隊がハワイへ向う途中、無線電波を発しながら航行したためアメリカ政府の首脳は機動部隊がハワイに近づくのを知っていた。ローズベルト大統領は既に始まっていた大戦に参戦したかったのだが、アメリカの世論が参戦反対だったため、その機会がなかった。 で、日本に第一発を打たせれば(ハワイを奇襲させれば)参戦の口実ができるので、ローズベルトは機動部隊がハワイに近づいていることを太平洋艦隊に知らせなかった。そのためハワイの米軍は警戒態勢を取らなかった。そして、日本の航空部隊は奇襲に成功した。だから、日本海軍は真珠湾を奇襲できたのだというのです。 日本海軍は真珠湾奇襲に『成功した』のでしょうか、それとも『成功させてもらった』のでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- 真珠湾攻撃 北方航路だったのは何故?
真珠湾攻撃には日本からハワイへ3つのルートが想定されていました 択捉島に艦隊を集結させてハワイへ向かう北方航路 九州から南太平洋を経由する南方航路 その間を通る中間航路 南方航路は敵艦隊に発見されるリスクが高すぎるとして却下となりました 北方ルートだとしても 当時は12月で雪や凍結などで船が動けなくなる可能性もあった とすると中間ルートが妥当だった気がするのですが あえて北方ルートを使って真珠湾へ向かったのは何故でしょうか?
- 締切済み
- 歴史
- 真珠湾攻撃ではなくて
今日は真珠湾攻撃のひですが、日中戦争が終わってないのに、なぜ米英と戦争するのですか? わけがわからない。中国を完全に降伏させてから、米英とするのが普通です。米英と戦う力を全て中国に注がないのはなぜですか? 真珠湾攻撃ではなく、連合艦隊から南京に奇襲攻撃すべきです。なんで順番をまもらないのですか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 真珠湾攻撃の資料について。
どうも。 現在、真珠湾攻撃について調べているのですが、アメリカ側から見た真珠湾攻撃という感じの資料というのは無いものでしょうか・・・。 もちろん英語版でもかまわないのですが、なかなかいい資料が見つけられなくて困っています。 もしご存知の方が居ましたら教えてください。 また、これは当時の日本軍側の資料なのですが、「なぜわざわざアメリカを攻撃しなくてはいけなかったのか。なぜハワイだったのか。」などの資料も出来ればほしいです・・・。 私の探し当てた資料には、真珠湾攻撃とは何か。しかかかれていなく・・・前景がわからないのです。 どうぞよろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 空想真珠湾攻撃
こんにちは。 あくまで、空想の話であります。 1941年12月、旧日本海軍は真珠湾にて米太平洋艦隊を奇襲攻撃しました。 この時点で、旧日本海軍は戦艦大和や武蔵(少し後かな)を建造せず、正規空母を4隻位建造 していたとします。 また、この作戦で、米主力空母(エンタープライズ・レキシントンだったか)が湾内にいて、沈没或 いは大破させたとします。 更に、石油タンクや修理工場等も破壊したとします。 翌年の珊瑚海海戦、その後のミッドウエイ海戦で勝利し、ハワイを占領したとします。 こうなった場合、アメリカは講和条約を飲んだでしょうか。 宣戦布告の遅れや、そもそも奇襲攻撃を知っていて攻撃させたとかは考慮に入れません。 お暇なときで結構ですので、上記の空想では多分こうなっていたでしょう的なお考えをお願い します。
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
1 あの時期は千島は流氷や雪に覆われて 北方から艦隊が来ることはない というアメリカの油断ですね?