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アレクサンデル6世とフリードリヒ3世の関係について

彼らは2年間、同じ時代を教皇と皇帝として過ごしていたみたいですが、ネットで2人の関係に関する記事を調べても詳しいものを見つけることができませんでした。 教皇と皇帝は日本でいう天皇と将軍の様なものだと聞きました。しかし彼らにはあまり面識がなかったのでしょうか。 そしてよろしければこの時代の人物、国の力関係の分かる書籍(漫画、映画でも構いません)を紹介していただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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  • takeko85
  • ベストアンサー率65% (148/225)
回答No.1

>教皇と皇帝は日本でいう天皇と将軍の様なものだと聞きました。しかし彼らにはあまり面識がなかったのでしょうか。 ローマ教皇はもちろんローマ教皇領のローマに住んでます。国で言うとイタリアです。 神聖ローマ帝国皇帝はローマという名前が入っていますが実際にはドイツ国王です。名目上イタリアの支配者(ローマ王)ですが実際には支配していません。神聖ローマ帝国皇帝がローマに行くのは神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式に行くぐらいで息子のマクシミリアン1世からはそれすら行われなくなりました。実際フリードリヒ3世はオーストリアのリンツに住んでそこで死んでます。 物理的にドイツとイタリアに離れていますので面識は全くっていいほどありません。 >そしてよろしければこの時代の人物、国の力関係の分かる書籍(漫画、映画でも構いません)を紹介していただきたいです。 江村洋『ハプスブルク家』(講談社現代新書)ISBN 978-4061490178 フリードリヒ3世はハプスブルク家のででハプスブルク家が神聖ローマ帝国皇帝を世襲する礎をつくった。 塩野七生『神の代理人』 フランソワーズ・サガン『ボルジア家の黄金の血』(小説) 星野之宣『妖女伝説「ボルジア家の毒薬」』(劇画コミックス、集英社) アレクサンデル6世はボルジア家の出です。 塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』(小説) 惣領冬実『チェーザレ 破壊の創造者』(モーニング 講談社)(漫画) チェーザレ・ボルジアはアレクサンデル6世の私生児で教皇軍を率いてイタリア統一を目指しました。

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