モース『贈与論』の批判的な解説とは

このQ&Aのポイント
  • モースは、ポリネシアやメラネシアにおける贈与の体系や古代法の分析をもとに、道徳的な観点から贈与の役割について論じている。
  • モースは近代の経済社会において人間のつながりが希薄になっていることを指摘し、貨幣経済の利己主義に反対している。
  • 贈与は現代でも意味のある行為であり、社会を豊かにするために取り入れる価値があるが、過去の交換体系に戻ることは短絡的であると論じられている。
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モース『贈与論』 早わかりとしては ブーではないか

 ちょっと検索で知るかぎりでは どうも評判がわるいようです。  しかも 勉強として薦められたものですから みなさんに問います。  次の批判的な解説を ここでは出汁(たたき台)としました。  ▲ (モース『贈与論』を解読する) ~~~~~~~~   http://www.philosophyguides.org/decoding-of-mauss-don/  [前書き]  (あ) 本書でモースは、ポリネシアやメラネシアにおける贈与(* ポトラッチとして取り上げている)の体系や、ローマ法やゲルマン法といった古代法の分析をもとに、社会一般において贈与が果たし、また果たすべき役割について“道徳的”な観点から論じている。        *  [或る結論]  (い) モースには、近代の経済社会では人間同士のつながりが希薄になっているという直観があった。貨幣経済はただ利益を追求するためのものであり、ポトラッチにあるような人間関係の形成という側面は見られない。社会全体が金儲け主義の利己主義に陥ってしまっている。これは反道徳的だ。そうモースは考えていた。   (い-b〔ragelonne〕) 資本主義にかんする理論的な分析による     認識は書かれていないらしい。  (う) もちろん贈与は現代の私たちにとっても意味あることだ。贈与のアイディアを取り入れることで、社会をより豊かにすることができるかもしれない。  (え) しかし、過去の交換体系が贈与で成り立っていたことと(それ自体そもそも疑わしいが)、私たちがそこに戻るべきだということはダイレクトに結びつくものではない。それは短絡的だ。大名行列はポトラッチ的な消費だから、江戸っ子は気前がいいからといって江戸時代に戻るべきか?そんなことはないだろう。   (え‐b) 《贈与》は 一般に《外》の者とおこなうものだ。     身内のあいだでおこなう生活上の《助け合い》とは別だ。     むろん狩猟・採集・漁労の経済生活であっても その暮らし     を立てることが 基礎である。        参勤交代は明らかに各藩の富の余剰をつくらせない      ための幕府の政策である。  (お) 私たちが自由な社会を維持しようと望むかぎり、義務としての贈与を経済制度の基礎とすることは原理的に不可能だ。モースは贈与を理想的なものとして描いているが、時にはきわめて抑圧的に働くこともあったはずだ。返礼できない人に対する制裁は、平たく言うとリンチだ。リンチされたくないので、村八分にされたくないので贈与を行っていたひともいるかもしれない。「原始社会は各人が各人を思いやっていた世界だ」というのは、甘ったるい古代ロマンだ。   (お‐b) これほど目くじらを立てずとも 成っていない議論なの      ではないか? 社会人類学のフィールド・ワークとしての      成果つまり資料としての値打ちより以上の見るべきものは      ないのではないか?   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ というふうに短兵急で生半可な判断を下しました。  いろいろおしえてください。(読む前に 問うておいてよいと判断しました)。

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  • SPS700
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回答No.1

1。 下記の日本語版でははっきりしませんが、トロブリアン島では、里芋系の貨幣とクラ交易のような儀式交易の二重経済が行なわれていることが分かります。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E8%AB%B8%E5%B3%B6 2。これと北米国西部のポットラッチを同一視するのは、モースの見方の弱点の一つですね。 3、さらにポットラッチを「古い」形態と言う影には、違法としたキリスト教宣教師の影響が見逃せません。人類学者のボーアズの指摘などがかき消されているのも気になります。 4。でも良い勉強になりました。ありがとうございます。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 1.[・・・] トロブリアン島では、里芋系の貨幣とクラ交易のような儀式交易の二重経済が行なわれていることが分かります。  ☆ わたしも詳しくは覚えていませんでしたので ヰキぺをさらに見てみました。:  ▲ (ヰキぺ:クラ(交易)) ~~~~~~~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9_(%E4%BA%A4%E6%98%93)  § 1 規則  §§ 品物 (=じつは 儀礼的交易)  ・品物はヴァイグア(キリウィナ語)と呼ばれ、2種類がある。  ・赤い貝から作るソウラヴァという首飾りと、白い貝から作るムワリという腕輪である。    ・いずれも大規模な儀式的舞踊や祝祭などの重要行事で身につけられ、日常の装飾には使われない。  ・ソウラヴァはクラの交易圏内を時計回りに動き、ムワリは反時計回りに動く。品物が1周をするまでに、2年から10年ほどを要する。  § 2 機能 (=実質的な交易)  ・クラにともなって副次的交易が行われ、天然資源の確保がなされる。  ・クラの相手が欲しがる品物を積んで贈り物としたあと、故郷へ持ち帰る品物を手に入れて運ぶ。  ・遠征の途中で品物を調達する場合もある。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ (i) 確かに《二重経済》と言いますか シルシないしシンボルを介した象徴的なかたちの経済社会的・共同体間的ないし人間的な交流という側面とそして 実際の生活のための品物の交換(売買?)という側面との村際関係のようですね。  (ii) 《里芋系の貨幣》は ほかの英文等のヰキぺに出ていましょうか?  (iii) トロブリアンは フランス人の最初の来訪者なのですね。‐ドをつけて読むのは 英語等の習慣ですか。    ★ 2。これと北米国西部のポットラッチを同一視するのは、モースの見方の弱点の一つですね。  ☆ (iv) なるほど。確かに《消尽》にまで行きつきかねないような《贈与競争》を クラ交易がおこなっているようには見えません。おっしゃるとおりだと思います。  (v) なにごとも きちんと捉えなくてはいけませんね。専門の人に尋ねるという姿勢ではいるのですが。  ★ 3、さらにポットラッチを「古い」形態と言う影には、違法としたキリスト教宣教師の影響が見逃せません。人類学者のボーアズの指摘などがかき消されているのも気になります。  ☆ まづは 日本語版ですが ヰキぺを見てみます。:    ▼ (ヰキぺ:ポトラッチ) ~~~~~~~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%81  § 1 概要  ・この言葉は、チヌックジャーゴン(Chinook Jargon)で「贈る」または「贈り物」を表す言葉に由来する。  ・ポトラッチは太平洋岸北西部先住民族の重要な固有文化で、裕福な家族や部族の指導者が家に客を迎えて舞踊や歌唱が付随した祝宴でもてなし、富を再分配するのが目的とされる。  ・ポトラッチは子供の誕生や命名式、成人の儀式、結婚式、葬式、死者の追悼などの機会に催された。  太平洋岸北西部先住民族の社会では、一族の地位は所有する財産の規模ではなく、ポトラッチで贈与される財産の規模によって高まった。  ・ヨーロッパ人と接触する以前は、保存性のいいキャンドルフィッシュ(Thaleichthys pacificus)の油や干物、カヌーが贈与され、特に裕福な者のポトラッチでは奴隷が譲与されることもあった。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆(vi) キリスト教や政府の措置については:  ▼ ~~~~~~~~~~~~~~~~  宣教師や政府の役人は「ポトラッチは浪費を促し非生産的で非文明的な悪習で、文明化と布教の障害である」と見なしたため、カナダ政府は1885年から1951年までの間、ポトラッチの開催をインディアン法により禁止していた。  アメリカ合衆国政府も19世紀末にポトラッチを禁止した。  しかし先住民族の人口があまりに多かったため反ポトラッチ法の執行は非現実的で、罰則は次第に緩められた。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆(vii) フランツ・ボアズの調査研究の件ですが 検索してみますとそれについてもさらに新しい調査が 今度は日本人研究者によっておこなわれたようです。:  ■ (岸上伸啓:北アメリカ先住民の事例からモースの『贈与論』を再考する)~~~  ――共同研究 ● 贈与論再考:「贈与」・「交換」・「分配」に関する学際的比較研究(2012-2014)――  http://www.minpaku.ac.jp/sites/default/files/research/activity/publication/periodical/tsushin/pdf/tsushin143-03.pdf  ・1890 年代前後のフランツ・ボアズ(Franz Boas)らによる調査から、北アメリカ北西海岸先住民クワクワカワクゥのポトラッチは、出生祝いや成人式、結婚式、地位の継承式、葬式の際に開催される莫大な財の贈与や消費を伴う競争的かつ異常な儀礼であるとされてきた。  ・たとえば、あるクランの首長の継承式で別のクランの首長たちを招待し、ポトラッチを開催した場合、その後、招待された首長は招待した首長を招き返し、返礼として盛大な饗宴と利子を付けて財の贈与を行なうとされていた。このため、この招き、招かれるポトラッチは義務的なもので、時間の経過とともに繰り返され、過激な贈与競争のようになる。  ・この見解では、一方的に財が贈与されるポトラッチが当事者(クラン)間で繰り返されると、長期的に見ると、それは 2 つの首長(クラン)の間での財を交換する形態になる。  ・ボアズは、このようなポトラッチの実践を「利子を生み出す将来への投資」と解釈した。  ・その後、ボアズの弟子たちは、ボアズがポトラッチを調査した時代的脈絡を考慮し、ポトラッチは「異常な」実践ではなく、「理解可能な」実践であることを解明しようと試みた。  ・すなわち欧米人との接触が引き起こした伝染病による先住民の人口減少など歴史的社会状況や、カナダ政府によるポトラッチの禁止(19 世紀後半から 20 世紀半ばまで)などの政治的状況を考慮に入れて分析し、修正点を指 摘してきた。  ・ポトラッチの研究史を丹念に整理した立川陽仁は、   (1)主催者に賛同しない者は招かれても参加しない点、また、招かれて参加してもその人物が存命中に必ず 招き返すことが確証できない点、   (2)招待者と招待された者の間では、ポトラッチは利潤を生み出す、返済が期待されるやり取りではない点、    (3)ポトラッチにおける財の異常な贈与や破壊は、人口減少によって社会の再編成を余儀なくされた社会の序列を新たに確定するための一時的な現象であった点、   (4)ポトラッチは寛大さを売りにした「ふつうの」贈与である点  を明らかにした。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ 4。でも良い勉強になりました。ありがとうございます。  ☆ じつはわたくしも こういう勉強にまで到るとは思っていませんでした。  研究というものは あたらしいものが出て来るということも何か身につまされるように感じました。  また キリスト教は大したことをやりませんね。あたまが固い。

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