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韓信はなぜ張良・蕭何に評価されたのですか?

漢の三傑で、彼がいなければ天下統一は不可能だったとされる韓信ですが、 若い頃は以下の理由で評価が低かったようです。 ・喧嘩を売られて相手に股をくぐった ・親戚の嫁に手を出した ・食事を恵んで貰ったのに不遜な態度 しかし三傑の一人である張良に推挙され、 実際に士官した時も蕭何・曹参といった重臣に高い評価を得ています。 最初は税金の徴収役や食料官という仕事を任されますが、 劉邦が重く取り立てなかったので、逃げ出しました。 この時蕭何・曹参の二人は夜中に馬で追いかけるまでしました。 その後、韓信は大元帥になり漢を全国統一させました。 そこで質問なのですが、 1.なぜ張良、蕭何、曹参はそこまで韓信を評価したのでしょうか? 2.劉邦が見抜けなかった才能をどうやって3人は見極めたのか? 3.食料官しか実績がなかったのになぜいきなり大元帥にできたのか? 現代で言えば、大統領が反対してるのに首相・副首相・参謀司令官が ただの将校に、いきなり軍の全権を任せたようなものです。 かなりの決断だと思うのですが、そのような賭けに出たのは何故でしょうか。 劉邦軍が田舎におしやられてから5~6年で軍を鍛え、一気にケリをつけたのも 韓信がいたからこそで、その評価は正しかったわけですが、 どうやってそのような才能を見ぬいたのでしょうか? なにか知識だけではない、すごいモノを持っていた人だったんでしょうか。

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  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9577)
回答No.2

OKWaver2013 さん、こんばんは。 1.2.実は劉邦に仕官した時、張良や蕭何、夏侯嬰、曹参は彼と語らいを持っていました。その時に彼の器量を知ったのです。だから、彼が劉邦のもとを去ろうとしたときに引き止め役になったのです。 3.それはその中の蕭何が彼を推薦したからです。蕭何は韓信、張良と並ぶ3傑の一人だから、劉邦も彼の意見には耳を貸しました。もともと劉邦軍には項羽に匹敵する総司令官がいませんでした。だから、起用したのです。 詳細は下記のURLを参照ください。 韓信 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10491/32992)
回答No.1

韓信という人は、一言でいうと「嫌なやつ」だったんです。自称天才で周りを見下す態度を露骨にしていました。ほら、たまにいるでしょ、頭はいいんだけど「俺以外はみんなバカ」って態度をするやつが。だから劉邦も含めてみんなから嫌われていたのです。さらにいえばヒョロかったから力の強いやつに股くぐりなんかやらされることにもなりました。 韓信を我々が知るような人物で最も近い人がいるならば、それはきっとスティーブ・ジョブスでしょうね。スティーブ・ジョブスも大天才でしたが、傲岸不遜な御仁でした。概ね、彼は周囲の人物と「片っ端から」といっていいほどケンカしています。ペプシの重役をアップルにスカウトするときに「君は一生砂糖水のセールスマンに甘んじているのか?」といって口説いた話は有名ですが、この話も後日談があって結局この人と揉めて袂を分かっています。ジョブス自身も一度アップルを追放されています。 話を韓信に戻せば、蕭何や曹参は「あいつはキャラに問題があるけれど、優秀なやつだ」と見抜いていたから劉邦を説得しましたし、「あいつはそんなつまらない仕事じゃなくて一軍を任せた方がいいです」と劉邦を説得したのでしょう。そして「そうか。お前たちがそうまでいうならひとつ任せてみるか」といえたのも劉邦も天下を取っただけあって器の大きさがあったということだと思います。劉邦自身は韓信を信用してなくても、蕭何や曹参を信用していたから「俺が信用するお前たちが信用するなら、信じてみよう」となったのでしょう。 しかし韓信のプライドの高さは、結局仇となります。劉邦から危険視され疎んじられ、典型的な「狡兎死して走狗烹らる」になってしまいました。 戦乱の時代が終わり天下統一がなされるようになると、典型的な武人が疎んじられるのは世の流れです。三国志でも、曹操の魏が安定した大国となると、それまで曹操を支えてきた武将たちに代わってインテリ官僚である文官が台頭し、武将たちの居場所がなくなってきます。豊臣政権においても、天下統一されて仕事がなくなった福島正則や加藤清正らの武断派と石田三成らの文治派の対立が豊臣政権を崩壊に導きます。徳川政権でさえ、家康に過ぎたるものが二つあり、のひとつとまで賞賛された本多忠勝も晩年は不遇でした。 第二次大戦でさえ、太平洋戦線と欧州戦線でそれぞれ英雄にもなったハルゼー提督とパットン将軍。パットン将軍はその濃ゆいキャラが戦争が終わった平和時には疎んじられ憂さを晴らすかのような暴走の果ての交通事故で亡くなり、ハルゼー提督は退役後いくつかの企業から名誉的に役員として雇われたもののビジネスマンとしての才能はなく、最後は失業してかつての仲間でもあったスプルーアンス(←この人はキャラが穏やかだったので戦後もビジネスマンとして成功した)に借金を申し込むほどに生活に困窮したようです。

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