- ベストアンサー
江戸時代の仏教の生まれによらない思想とは?
- 江戸時代の仏教には、生まれではなく行為の重要性を説く思想が存在していました。
- 日本の身分制度があった時代において、生まれを否定する思想が広まっていた可能性があります。
- 仏教では、行為によってバラモン(高貴者)であるか否かが決まると考えられていました。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (1)
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15295/33014)
関連するQ&A
- ティッサ・メッテイヤについて
~~~~~~~~~~~~~~~ sutta nipāta 4.7 Tissametteyyasutta http://suttacentral.net/pi/snp4.7 ~~~~~~~~~~~~~~~ sutta nipāta 5.3 Tissametteyyamāṇavapucchā http://suttacentral.net/pi/snp5.3 ~~~~~~~~~~~~~~~ mahāniddesa aṭṭhakavagga 7 Tissametteyyasuttaniddesa http://suttacentral.net/pi/mnd7 ~~~~~~~~~~~~~~~ cūḷaniddesa pārāyanavagganiddesa pucchāniddesa 2 Tissametteyyamāṇavapucchāniddesa http://suttacentral.net/pi/cnd6 ~~~~~~~~~~~~~~~ スッタニパータの第四章に、「ティッサ・メッテイヤ」 第五章に「学生ティッサ・メッテイヤの質問」があって、 共通した名前が出てくるのは、なんなのでしょうか? とはいえ、同じ経だとしたら別々にする理由もないですよね? どう考えますか? それから、 ~~~~~~~~~~~ 822 (俗事から)離れて独り居ることを学べ。これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。(しかし)これだけで『自分が最上の者だ』と考えてはならない。──かれは安らぎに近づいているのだが。 ~~~~~~~~~~~~ このようなことも書いてあれば、『犀の角』とつながりがありそうな、ないような?
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 仏教に感じる矛盾について
素朴な疑問です。こういう場所で訊くのは野暮な気がする一方、一度は訊いておいた方がよい気がするので思い切って質問します。 以下は最近、私が頂戴した回答の一節です。著作権に敏感な方があってはいけないので出典を記せば、 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5114865.html のNo.2です。 ここに、 >>仏教の目的は、「成仏」、つまり、お釈迦様と同じ境地、境涯に至るというです。 お釈迦様の境地、境涯というのは、お釈迦様と同じ境地、境涯になった者だけが解ると言われています。<<・・・・・(*) とあります。 私に仏教の素養はありませんが、多分、この一節は正しいのだと思います。「言われています。」と伝聞形であることからNo.2の回答者特有の認識ではなく仏教界全体に共通した理解らしいと見て取れます。そうだとすると大いなる素朴な疑問が生じます。 ・釈尊は出家し乞食生活に入りました(スッタニパータ)。 ・在家にあって帰依する者は法による供養に努めるのは勿論のこと、財物の布施によっても出家者を供養せねばなりません(維摩経、第12章「法供養」)。 さて、在俗の者が解脱を目指し精進するとします。よく精進し境地が進めば何時しか在俗のままでは修行の限界に達して乞食生活に入る必要が生じるでしょう。この結果、釈尊の境地に近づく者が増えれば増えるほど出家者が増え、これはまた、在家が減少することを意味します。救われる者の生活(出家)が救われない者(在家)によって支えられているために釈尊の境地に近づく者が増えれば増えるほど救われない者の負担が増え、よってまた救われる者の生活も破綻に向かいます。共倒れにならないためには圧倒的少数の救われる者と圧倒的多数の救われない者の存在を維持しなくてはなりません。救われない者の存在が条件になるのでは教えの根本に矛盾があるというしかありません。 人類の規範たりえる思想は経済的自立を主張することが必須の条件の一つだと思います。 この疑問は次のどれかに根ざしていると思います。 1 私が何かを誤解をしている。 2 (*)が誤っている。 3 釈尊は究極に於いて出家も在家も餓死してよいと考えている。 4 釈尊の思想には欠落があり仏教は人類の規範たりえない。 5 その他。 この質問は視点が非仏教徒の立場にあります。信徒向け限定ではなく万人向けの解説を望みます。また、アンケートでもないし詩歌の鑑賞でもありませんから、皆様の考えの開陳を望んでいる訳ではありません。単なる感情の吐露ではなく論理による説得を期待します。必要であれば宗派の明示を頼みます。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 輪廻と業によれば 被害もすべて自業自得ですか
輪廻とは 輪廻転生として 生まれ変わることであり 業とは 因果応報であり これら両者を合わせて 人生を捉えるとするならば そのときには 次のような疑問は起きないのでしょうか。 いまこの世において もしわたしが 悪なる被害を受けたとするとき そのことも その結果としての被害内容に対応した原因があったということでしょうか。すなわち わたしが いづれかの過去において 悪なる行為をおこなったその報いであるという解釈になるのでしょうか。 つまり 疑問は こうです。いま取り上げている応報(被害)というのは 現世に生まれてから 加害者と何の関係もなかったという場合であり その場合にも わたしの過去のおこないが悪かったから その縁起によるということですか という問いです。 《輪廻》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB 《業》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD なお 解脱によって 輪廻の種子を断つことが出来た場合には もう人間などとして生まれ変わるということはないということでしょうか。つまり 言いかえると いま生まれて来ている人は みな 過去において解脱を実現しえなかった者ということなのでしょうか。 単純な疑問が浮かびました。よろしくどうぞ おしえてください。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 江戸時代”禁教”が行われるまで、仏教は普及していたのですか?
今日本の宗教心というテーマで小論文を書いているのですが、少し分からないので質問しました。 江戸時代以前の授業で、空海最澄・・・法然親鸞と多くの仏教の宗派の人物を勉強したので仏教は普及していたのか?と思ったのですが・・・ 本当のところ教えてくださいm(__)m
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 幸福の科学さんは仏陀が再誕するということを、どのように説明されているのでしょうか
最近、仏陀再誕という映画がネット上で話題になっており、私も興味を持っています。 そこで疑問なのですが、仏陀が再び生まれ変わるなどということが、ありえるのでしょうか?私の記憶では仏陀(悟った人)というのは、輪廻転生から解脱し、二度と後生を受けない者だったはずです。幾つもの経典にもそのことはきちんと説かれています。 映画の原作は幸福の科学の教祖の方が書かれているようです。一体、幸福の科学さんは、自らの教義と仏教の教義との整合性をどのように説かれているのでしょうか。よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- 江戸時代から明治時代なり江戸時代とどう変わったか
社会の調べ学習をやっていて、江戸幕府から明治維新への移り変わりを調べているのですが…分からないことがあるので分かる人は回答をお願いします。江戸幕府の時代から明治維新の時代になって、江戸幕府の時代とどう変わったのですか?お願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代ってどういった時代でしょう⋯
タイトルにもある通り、どんな時代なのか分かりやすく教えてください。 また、江戸時代は封建社会が崩れ落ち、明治から大正時代にかけて民主主義の国になったのでしょうか、答えて頂きたいです。ぜひよろしくお願いします。
- 締切済み
- 歴史
お礼
回答ありがとうございます。 問題点がわかってきたような気がします。 出家によって、世俗といくらでも分離できる 利点というか欠点というか特徴があるわけか。