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洗脳を解く方法は何ですか

私はある職場でアルバイトをしてゐます。そこでは、「○○教」といふ宗教が信奉され、すべてがトップダウンで、自分で判断するといふ姿勢が見られません。会長「様」をあがめたてまつり、こびへつらふことが常習化してゐます。一般企業でのいはゆるイエスマンとは質的に異なります。さらに「波動科学」なるものが業務や健康管理に適用されてゐます。ちなみに平社員のかなりの人は「○○教」信者ではありません。 これは「洗脳」なのですか。 かうした状態は「幸福」であり、邪魔しないほうがよいのですか。 状態を解除する方法はありますか。

noname#214841
noname#214841

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • heisenberg
  • ベストアンサー率23% (591/2556)
回答No.4

元創価学会員です。 >>◇洗脳を解く方法は何ですか 一般に、「洗脳」と呼ばれているものは、厳密に言えば、「マインドコントロール」に当たるもので、「洗脳」とは異なります。 おなたの会社で実際に行われているものがどういうものか、見ていないので、確信はありませんが、多分、「マインドコントロール」では」ないか、と思います。 創価学会などで行われているのが、これです。 マインドコントロールは、普通、余程のことがない限り、自然に解けることは、ありません。 学会員を見れば、分かります。 勿論、中には、自然に解ける人もいますが・・・。 そういう人は、学会や学会員の実態を見て失望したり、教義の誤りなどで、「この教団は、おかしい」と感じるようです。 でも、そういう人は、少ないですね。 既に、マインドコントロールされているので、学会の実態や学会員の在り方を見ても、また、間違った教義を指導されても、、疑問に思うことはないようです、 正常な感覚ですと、「異常だな・・・」と分かるんですが・・・。 マインドコントロールは、専門家でも、「解くのは、至難の業」と言います。 私見では、これを解くには、「理性」に頼るしかありません。 ひたすら、正論を説き、理性の覚醒を待つ・・・。 僕は、そう、思います。 なお、その宗教がカルトではなければ、「放置」という手もあります。 オウム真理教や創価学会のようなカルト教団ですと何とかしないといけませんが、そうでなければ、傍観・・・。 反社会的教団でなければ、放っておくのも手です。

noname#214841
質問者

お礼

heisenbergさんから回答をいただくのは2回目ですね。 創価学会の話題につきましては、ねこさんとのやりとりをいつも興味深く拝読してをります。 >>多分、「マインドコントロール」では」ないか、と思います。 少し調べてみました。「洗脳」の場合は圧力などにより別人にしてしまふ、といつた要素があるのですか。それでしたら、ご指摘のとほり「マインドコントロール」です。 >>マインドコントロールは、普通、余程のことがない限り、 >>自然に解けることは、ありません。 はい、今実感してゐます。いつまでたつても何の変化もありません。さういふ人たちに囲まれてゐると、自分の方が「マインドコントロール」のもとにあるのではないかとすら感じます。まさに映画「マトリックス」の世界です。 >>私見では、これを解くには、「理性」に頼るしかありません。 >>ひたすら、正論を説き、理性の覚醒を待つ・・・。 回答番号2のぶらげろさんも類似の趣旨の回答をしていただきました。「ひたすら」といふ要素が大切なのかもしれません。 >>反社会的教団でなければ、放っておくのも手です。 近所迷惑といふのは確実にあるのですが、反社会的といふほどでもありません。ただ自分の仕事にもかかはるので困つてゐます。 実体験にもとづく御回答をありがたうございました。またそのうちお聞かせください。

noname#214841
質問者

補足

今回のベストアンサーは、創価学会のなかでの実態を見てこられたheisenbergさんのご意見をベストアンサーとします。 みなさま、ありがたうございました。

その他の回答 (16)

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.7

>これは「洗脳」なのですか。 その組織の在り方だと思います。 集団としての組織の理想的な在り方と言うのは存在するでしょうが その在り方で全ての人が対応できるものではないと思います。 >ちなみに平社員のかなりの人は「○○教」信者ではありません。 >すべてがトップダウンで、自分で判断するといふ姿勢が見られません。会長「様」をあがめたてまつり、こびへつらふことが常習化してゐます。 と言うことは、それが働いている人にとって都合がいいという側面が 有るから、その会社を辞めないと言うことです。 自分で判断するということは、自分で責任を持つということです。 職場でも自由度が増せば責任は重くなります。 表面上合わせておいて、それなりの給料でいいと思う人達が多い 集団としての会社組織が成り立っている状態ですよね。 >状態を解除する方法はありますか。 組織を解体する、つまり会社を潰せば解除できます。 本社があり、支社以下の立場の組織であれば そこだけ会社を売りに出していれば、その会社を買い 別の運用を考えるトップがつけば変わります。 会社運営に関わる事象は、その立場にある者だけが権利を持っています。 その組織に、どうしても歩調を合わせることが出来ないのであれば その人は自ら辞めていきます。 いわゆる転職です。 言いなりに動く組織には、私は馴染めないタイプですから その組織構成では、長くはもちませんね。 ちなみに洗脳の解除は、組織から個人を切り離してやります。 関わりを全て絶った状態で無いとできません。 その人の価値観をひっくり返すことになるので、どちらもすごいエネルギーが必要です。 仕事としての接点であり、退職すれば切れる縁でしたら 洗脳では無いと思います。 馴れ合いは、多々存在しそうですけどね。

noname#214841
質問者

お礼

こんにちは。外出してゐて、コメントが遅くなりました。kanto-iさんは、仕事に関しては一家言おもちでせうから、回答を期待してをりました。 >>それが働いている人にとって都合がいいという側面が有るから、 >>その会社を辞めないと言うことです。 たしかにさうなのでせうね。ここの会社は、正社員は新卒しか採用せず、他の企業がどんなものかを知らない人がほとんどです。「マインドコントロール」を意図した採用方法のやうに感じられます。新入社員も、離職率が高く、疑惑を抱いた人はすぐにやめてしまひ、結局「マインドコントロール」された人の集団となつてしまひます。 >>それなりの給料でいいと思う人達が多い集団としての >>会社組織が成り立っている状態ですよね。 製造業なので、正社員の給料はかなり高めです。私は運送業の経験が長いので、製造業との給与格差には驚きます。 >>組織を解体する、つまり会社を潰せば解除できます。 正直、様子を見てゐて、日本の恥、と感じます。特に、近所の人に挨拶もしない、迷惑をかけてもおかまひなし、とにかく、点数稼ぎにしか関心がない、そんな状態です。 いはゆる同族会社で、株式の一部上場もせず、買収されないやうに気をつけてゐます。頭はいいのだと思ひます。 >>ちなみに洗脳の解除は、組織から個人を切り離してやります。 >>関わりを全て絶った状態で無いとできません。 さうなのでせうね。ほかの回答者のかたがたのお話を伺つてから、もう一度読み直してみます。 御回答ありがたうございました。

回答No.6

こんにちは。 No.4さんのおっしゃるように、これは洗脳ではなく、マインドコントロールだと思います。しかし、plapotaさんの御質問の目的は、術語が正しいかどうかではありませんよね。 >かうした状態は「幸福」であり、邪魔しないほうがよいのですか。 結論から言ってしまいますと、「幸福」だとは思いませんが、成行きに任せるしかないと考えます。責任感のお強いplapotaさんには、無責任な態度のように思われるかもしれません。 しかし、マインドコントロールに似た現象というのは、宗教に限らず、日常生活の小さなことにもしばしば現れます。たとえば、テレビのワイドショーで、アーモンドが健康に良いとか、特定のヨーグルトがインフルエンザの予防になると聞けば、主婦たちはスーパーマーケットにすっ飛んで行き、数週間は売り切れ状態が続きます。こういう傾向は、人間には本質的なことなのでしょう。 また、腰痛で整形外科に行けば、低周波治療を受けます。これは、単なる対症療法で、腰痛の根本原因を治すものではありませんが、少しでも痛みが和らげば、「腰痛を治す治療」として信じられます。それで治らず、代替治療を受けて治った人は、代替治療の信奉者になります。極端な例を挙げると、病院の癌病棟で、もう助からないと診断されている患者たちが、なになにが癌に効く、という情報を仕入れてきます。たとえば、足を塩水につけるとよい、などという、考えられないものもあるのですが、皆で毎日一生懸命やっていると、癌細胞が小さくなったりします。要するに、前向きに考え、生きることで、自然治癒力がアップしたと考えるべきで、塩水のせいではないのですが、本人たちがそれに気が付かなければ、塩水が信じられます。「波動」にしても、同じようなことが起きる可能性はあるのではないでしょうか。それを信じることで、効果が出てしまう。本当は、自分で自分を治しただけなのに、それに気が付かなければ、「波動」のおかげだと思うでしょう。 宗教的なマインドコントロールも、新興宗教に限ったことではないと思います。まだ私が若いころ、自分よりさらに若い人が二人、洗礼を受けました。その時点から、会話が成り立たなくなりました。一人の男は、「自分はもう恋愛はしません、神の愛を知ったからです、下心がないからです」という手紙をよこしました。勝手にしてくれ、という感じで返事は書きませんでした。もう一人は、結局、理想と現実のギャップに耐えられず、精神を病み、若くして亡くなりました。 つまり、ある人をマインドコントロールから解こうと思ったら、その人の過去の人生に起きたことをなるべく多く知る必要があります。そういう人がたくさん集まっている場所では、一人の力ではどうにもならないでしょう。深刻な人は、専門家のカウンセリングが必要でしょう。マインドコントロールされる原因は、視野の狭さや思考の狭さが原因ですから、もしできることがあるとすれば、折に触れて、周囲の人たちにいろいろな話をして、ほかのことにも興味を持たせるということぐらいしか考えられませんね。 bragelonneさんのように、アクマも屁の河童という人がたくさんいてくれればありがたいのですが、大部分の人はそうじゃありません。独り相撲をなさらないように。以前、食品偽装について進言された時のお話を拝見しました。生活の基盤を失っては、元も子もありません。bragelonneさんがおっしゃるように、まずは淡々と仕事をこなし、その合間を縫って、周りの人に少しずつ話しかけられるのが一番良いのではないでしょうか。 私は、組織の中で働いたことがないので、他人事としての回答になりますが、例えば、オーケストラの指揮などをする場合、集団の心理を把握し、一定方向に導かなければならないことがあります。マインドコントロールではもちろんありませんけれど、もしかすると、マインドコントロールに対抗するには、マインドコントロールをもってする、という発想もあるかもしれませんね。 いずれにしても、自分が何とかしたい、という考えも立派だと思いますし、また一方、自然淘汰されると達観してしまう道もあるでしょう。人それぞれなのだと思います。

noname#214841
質問者

お礼

以前、今回と関連した「波動科学とは何ですか」の質問のときにも回答していただいて、ありがたうございました。あのときは、回答者の皆さんが完全否定でした。何か褒めるものがないかと、質問したのですけれど。 >>結論から言ってしまいますと、「幸福」だとは思いませんが、 >>成行きに任せるしかないと考えます。 私としても、そんなふうに考へてゐます。仕事内容とは無関係の些細なことには、一般人以上の不満をかかへてをり、幸福さうには見えません。すぐにどうにかなるやうな問題ではなく、どうしようもない状態です。私は責任感はありませんが、自分の仕事のやりかたがいつまでたつても改善されないのが困ります。 商品の注文データはオンラインでやりとりしてゐるのに、わざわざ紙にデータを印刷して封筒に入れて毎日送付します。相手先にも同じデータがあるから、そんな必要はない、ゴミになるだけだ、と伝へても、無視されるだけです。しかもその一方で、紙の節約は「徳を積む」ことだと唱へて自画自賛してゐます。すべてがこんなレベルです。 >>マインドコントロールに似た現象というのは、 >>宗教に限らず、日常生活の小さなことにもしばしば現れます。 気づいてゐなくても、自分自身にもあるのだと思ひます。 食品の例は、今の職場でも困つてゐます。テレビ番組で豆乳の宣伝があると一気に注文が増加して、在庫が足りなくなつてしまひます。 >>低周波治療を受けます。 これはうちの親がやつてゐました。もう飽きたやうです。 >>本当は、自分で自分を治しただけなのに、それに気が付かなければ、 >>「波動」のおかげだと思うでしょう。 「病は気から」はそのとほりだと思ひます。 >>ある人をマインドコントロールから解こうと思ったら、 >>その人の過去の人生に起きたことをなるべく多く知る必要があります。 表面的なことだけでは、効果がほとんどない、といふわけですね。この点は、肝に銘じておきます。 >>bragelonneさんのように、アクマも屁の河童という人が >>たくさんいてくれればありがたいのですが、大部分の人はそうじゃありません。 >>独り相撲をなさらないように。 さうなつてゐます。ぶらげろさんを見習ひます。 >>オーケストラの指揮などをする場合、集団の心理を把握し、 >>一定方向に導かなければならないことがあります。 これがいちばん、むづかしいのではありませんか。個性派ぞろひの演奏家を束ねるのは至難のわざだと感じます。動画を見るなら、本番の演奏よりも、リハーサルのほうがおもしろいと思ひます。不謹慎な発言で申し訳ございません。 >>マインドコントロールに対抗するには、マインドコントロールをもってする、 >>という発想もあるかもしれませんね。 有効な手段に思へます。 細部にまでわたる御指摘のかずかず、ありがたうございました。

noname#225664
noname#225664
回答No.5

日本も世界も、宗教を利用して勢力を維持してきた歴史はありますよね。国のために神様を利用したことは事実です。現代ではもっと組織的に行われているわけですね。困ったことだと私も思いますが、信じれば救われることもあるので、まあ、無視することでしょうね。

noname#214841
質問者

お礼

オペラの質問をなさつた方ですね。私にはさつぱりわかりませんでしたが、作曲家の先生が答へてくださいました。 >>日本も世界も、宗教を利用して勢力を維持してきた歴史はありますよね。 >>国のために神様を利用したことは事実です。 おそろしいことですが、事実です。正当化する手段を手にすると、どこまででも行つてしまひます。 >>信じれば救われることもあるので、まあ、無視することでしょうね。 さういふ面はあると思ひます。 見てゐて、それなりに不満、たとへば休日が少ないとか、直接仕事の内容とは関係のない、ある意味くだらない不平はしばしば口にしてゐます。少なくとも「幸福」であるやうには見えません。 できるだけ無視しようとは思ひます。 御回答ありがたうございました。

回答No.3

言葉や活字でなく、自分の目で見えているものをより深く 認識する事だ。 知識とは、働くための道具ではなく、見えているこの世界 そのものの深まりなのだ。 そして、究極的に「自我仮説性(時間軸=虚数=超光速)と 時空仮説(空間軸=実数=光速下)の、潜在的認識可能性 (感受表面=量子相互作用=光速=0)からの相補分化」と して、自己の認識のみが存在の実体であり、そこに基づく 自律的生=生きること自体による精神的充足が、真の 生きる目的である事が知れる。 生きるための他律性(お金、法規)や外的権威(神、権力)は、 低認識に由来する自己チューさを補完する必要悪である。 長いものには巻かれながらも、抜け出す努力は怠るべからず。

noname#214841
質問者

お礼

おはやうございます。私の質問に回答をいただけるのは2回目ですね。最初は規約違反の指摘でしたので、実質初めてです。 ときどきアンケートカテゴリで、楽しい回答も拝見してゐます。私は人の集まる場所が好きなので、アンケートカテゴリはちよこちよこ覗いてみます。 >>知識とは、働くための道具ではなく、見えているこの世界 >>そのものの深まりなのだ。 生きるために食べるのか、食べるために生きるのか、正直わかりません。でもpsytexさんのご指摘が基本的な考へだと思ひます。少なくとも職場では決断が重要なので、わからないでは済みません。 >>自分の目で見えているものをより深く認識する事だ。 私は若いころ視覚障害者の点字図書の作成にかかはり、今でも友人にさういふ人がゐます。「目で見えているもの」が「世界」だといふ表現には、どうしても違和感を抱いてしまひます。 >>そして、究極的に「自我仮説性(時間軸=虚数=超光速)と >>時空仮説(空間軸=実数=光速下)の、潜在的認識可能性 >>(感受表面=量子相互作用=光速=0)からの相補分化」と >>して、自己の認識のみが存在の実体であり、そこに基づく >>自律的生=生きること自体による精神的充足が、真の >>生きる目的である事が知れる。 人の道さんにブータンヤマト語の語学書についてたづねたのですが、少なくともamazonでの取扱ひはない、との返答でした。用例にぢかに当つて勉強するしかありません。 外国語カテゴリに、たまにゾンカ語やチベット文字についての質問が投稿されます。もし、おもしろいとお感じになるものがございましたら、回答を寄せていただければ幸ひに存じます。 >>長いものには巻かれながらも、抜け出す努力は怠るべからず。 大切なのは、極端にはしらず、バランスを保つことなのでせうか。たしかにおつしやるとほりです。 今後とも御教示たまはりたく存じます。御回答ありがたうございました。

回答No.2

 アクマも屁の河童なぶらじゅろんぬです。  仕事と宗教ないし洗脳の問題とは切り離して扱いましょう。  と言っても それが 出来ないのでしょうか?  《会長》というのは その会社の会長なのですね。その人が そのシュウキョウを信奉している。  ここまで来ると 理論は その理論外の社会力学のあふれる潮の中で 人びとに届かないでしょうね。  仕事に徹することではないでしょうか。  じっくり時間があって面と向かって話ができるときには 理論を語ってやってください。  シュウキョウというのは 自分の殻に閉じこもるとしたら その神――ブッダ?――は ほかのシュウキョウの神を みづからの内に含まないことになる。  ふくむことがあって初めて 神と言える。あるいはまたは ほかのシュウキョウの神は かくかくしかじかの理由でマチガイであるとしっかりと言えるようでなければ もう普遍的なりっぱなシュウキョウとは言えない。と伝える。――こういった事情を説明するとよいと考えます。  どちらも出来ないし しないとなれば それは オママゴトの宗教ごっこであるとなります。まだ原始心性なる縄文人の段階にある。ということではないでしょうか。そう見てそう認識して 立ち位置をご自分で決めるよりほかにないように思います。

noname#214841
質問者

お礼

おはやうございます。アクマのplapotaです。 組織宗教の弊害を、この歳になつて改めて感じます。すべてとは言ひませんが。 >>《会長》というのは その会社の会長なのですね。 >>その人が そのシュウキョウを信奉している。 「会長」ではなく「会長様」とあがめたてまつられ、ごますり、へつらひ、点数稼ぎ、そんなことにしか目が向かない人がほとんどです。どんな劣悪な業務方法であつても、感謝して働きませう、と唱へて、改善しようといふ姿勢がありません。早朝にトラックのエンジンをふかしつづけるのは近所迷惑だと指摘しても、会長様のおことばを拝聴する朝礼は重要だ、と言つて、意に介しません。早朝から鐘や太鼓を鳴らしてゐる「○○教」ならではの考へです。 >>仕事に徹することではないでしょうか。 おつしやるとほりです。さう思ふのですが、自分の仕事にもかかはるので、さうもいきません。日本でも最低レベルのコンピュータシステムで、無駄な作業、作業ミスの増大、やつてゐてあほらしくなります。本社からあたへられるものに、何の疑念もいだきません。不思議で仕方がありません。 >>じっくり時間があって面と向かって話ができるときには >>理論を語ってやってください。 私もこれがいちばん大切なことだと思ひます。でも「洗脳」状態の人には、何も通じません。質問文にも書いたのですが、かなりの社員は、信者ではありません。ここがまた不思議なところです。 しばらく回答者のみなさんのご意見を伺つてみます。ご回答ありがたうございました。

回答No.1

54歳 男性 苦しい時に助けられ、楽になったと感じるのが洗脳 医者からさじ投げられた人がオウムのトップに すがったら病気が治った人がいるとか 命を救われたのです 洗脳されますよね~ この人に信じていけないと言ってもムダですよね 自分を助けたたった一人の神様みたいな存在の人ですから

noname#214841
質問者

お礼

一番回答、ありがたうございます。私は小心者ですので、しばらく様子を見てから回答することが多くなります。 >>命を救われたのです >>洗脳されますよね~ かういふ状況のときは無理からぬものがあります。 >>この人に信じていけないと言ってもムダですよね たしかにさうですね。 今回の質問の場合は、さういふ切羽詰つた状況ではなく、単に職場での労働に関する問題です。何の改善の意欲もなく、ただ上からの指示をありがたく頂戴するだけ、そんな人間を見てゐると、おそろしさを感じます。 御回答ありがたうございました。今後もよろしくお願ひいたします。

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    去年、エホバが来たときに怪しい本(ホモビデオに出てくる様な外人の写真付き)貰ったんですが、エホバやるとホモビデオ男優やオネェみたいになるんでしょうか?(エホバの人はアレが模範的なエホバ証人と言っていました) 因みにホモやオカマになるだけでなく(去年のエホバのオッサンは、ピチピチのスラックスで、モッコリまでしていました)「今度来ますね」等と言い、約束の日時をすっぽかすアレフ信者や幸福の科学の人もしなかった事した最低な宗教でしたが、エホバはキモいだけでなく、約束破る嘘付き集団でしょうか? 別にエホバアイテム(エホバの歌や、キモい本やビデオ等)コレクション出来るなら、洗脳されそうなのでエホバ証人になりたくないんですが、魅惑のエホバアイテムは証人にならなくてもコレクション可能でしょうか?

  • 組織宗教を 弾劾する。

     たたき台を述べて 表題について問います。     *  教祖と教義と教団とにもとづく組織は 教祖ないし教義を――そして時にはあろうことか 教団〔の存続〕を――《神》そのものとしてその会員に信奉するようにさせることがある。これは いかにその個人の自由意志によると言っても その結果も行為じたいも 無効である。  自由意志そのものを放棄する自由意志の発揮は 無効である。  組織宗教は すべからくすみやかに解散せざるべからず。    *  ▲ (K.マルクス:宗教批判) ~~~~  ( a ) 宗教的悲惨は現実的悲惨の表現でもあれば現実的悲惨にたいする抗議でもある。  ( b ) 宗教は追いつめられた者の溜息であり、非情な世界の情であるとともに、霊なき状態の霊でもある。  ( c ) それは人民の阿片(アヘン)である。  ( d ) 人民の幻想的幸福としての宗教を廃棄することは人民の現実的幸福を要求することである。  ( e ) 彼らの状態にかんするもろもろの幻想の廃棄を要求することは、それらの幻想を必要とするような状態の廃棄を要求することである。  ( f ) かくて宗教の批判は、宗教を後光にもつ憂き世の批判の萌しである。        (『ヘーゲル法哲学批判序論』)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ここでは総じて言って 個人にとっての信仰――わが心に非思考の庭が成るということおよびその生きる動態――が忘れ去られている。  個人が信仰をいだく前にも後にも 《現実的悲惨》は われわれの前にある。それは われわれのものでさえある。けれども 信仰であるなら――これはマルクス自身も言うように―― たとえ《阿片》であっても痛み止めはそれとして必要であり 持たれてもおかしくない。そしてそこまでである 信仰をめぐる《超現実》の必然性と必要性とは。  〔そのあとさらに積極的な信仰の保持は 一人ひとりの信教・良心の自由の問題である。そういう人が互いに語り合うのなら 組織宗教にはならない〕。    だから( b )で 《追い詰められた者のためいき》は 信仰に行き着いたとしても 組織宗教には到らない。到り得ない。   ○ ( b )の修正: 超現実への想像は追いつめられた者の溜息であり、そこにともかく《信仰》を得たならその信仰とは 非情な世界の情であるとともに、霊なき状態の霊でもある。  ☆ このように《個人にとっての・わがたましいの》問題である 信仰は。  その信仰から 瞑想を経て観想(テオーリア)を得て この観想から理論(テオリ=セオリ)を打ち出すとすると その命題が 組織宗教では教義とされる。教義は すでに信じるではなく 考えるの問題である。  人は人をころさないものだなぁという観想から 《汝 ころすなかれ》という教義をこしらえる。けれどもこの教えは 信仰の固定観念化である。偶像である。  教義をこしらえたからと言って その教祖にしたところで えらいわけではない。問題は 一人ひとりの内面における信仰としての心の伸びもしくは心の明けである。ところがこの個人の信仰は ついぞ 非思考なのであって 教義とは別物である。まして組織ないし集団の心をひとつにする手段にはなり得ない。その仮りの命題を持って来て その教義化によって信教と良心の自由を侵してはならないものである。  したがって  ▲ ( f ) かくて宗教の批判は、宗教を後光にもつ憂き世の批判の萌しである。  ☆ と言えたとしても 問題は すでに《教義ないし教祖を後光に持つ》というその組織宗教じたいについての批判が先である。後光でないものを後光としている。信仰から来る後光だと仮りにしても 後光の源をすでに忘れており ないがしろにしている。なぜなら 組織会員一人ひとりの信仰を 集団の教義ないし規則に従うようにする動きを必然的にもたらすからである。  この逆立ちは 個人の信仰の自殺行為である。  個人の信仰の宗教化(教義化)およびそれにもとづく組織化 つまり組織宗教というものは すでにその存在じたいにおいて 信仰の自殺行為である。  自由意志の放棄・従って人間の存在そのものの放棄 これらをおこなったところで成り立つ代物である。  仮りに信仰をも批判する人がいて  ▲ ( d ) 人民の幻想的幸福としての宗教  ☆ というくだりを 次のように言いかえたとしよう。  ○ ( d )の修正: 個人の幻想的幸福としての信仰  ☆ だからいけないという論法で信仰をも批判したとしてみる。どうなるか?  幻想ないし超現実を想像しない人間がいるか? まづこのように反論する。  つぎにもしたとえ《信仰は 幻想的幸福》でしかないとしたとしても 問題は 人びとどうしのかかわり(関係)とまじわり(交通)にある。共生の問題でもある。互いに言葉をとおして意思疎通を図っているのなら 問題はない。コミュニケーションが取れていれば 何も問題はない。蛸壺に閉じこもるのでなければ 話し合いをつうじて互いに幻想も現実に合ったものとして行ける。  信仰は 教義化をせずその観想――おしえのようなものになりうるが――を他人に押しつけない。語り合うまでである。そこで心から同意する内容があれば 自分で摂取するだけである。信仰ゆえに対話する。幻想的幸福は 練られて行くであろう。  よって 組織宗教は要らない。要らないだけではなく 信仰および自由意志を侵害する悪癖に満ちている。ゆえに ここに弾劾する。

  • 洗脳の方法

    って簡単に言うと 1.そいつのつかれたら痛い所を誇張拡大して攻撃する。 2.それにより不安を煽る。 3.それがわからなければクズ、ゴミ扱い。 ですか? だいたいプライドが高くて真面目な人間はこれで落ちると思います。

  • 洗脳の方法

    常に上から目線で確固たる理由もなく、それがそうなのであると罵倒してしまえばアホは洗脳できますか?まあこのサイトにもそういう人種いますがね。さも自分が当たり前だという人間が。

  • 弁護士の仕事=収入を増やす団体について

    弁護士の収入が増えることで喜ぶのは、弁護士やその家族の他に、どんな人がいるのでしょうか? どこかの宗教団体(一部の人だと思います)が弁護士業界にお金を流すよう動いている様子があり、やたらと弁護士の宣伝をしていたことがありました。 それはまるでバナナの叩き売り状態。 仕事の少ない弁護士に仕事を見つけて顧客を回してやろうなんていう慈悲深さ?もあるのでしょうか? そうやって仕事を作ったり金銭を回すのは、一つの経済活動として納得できなくはありませんが、弁護士費用は高いですし、よほどのことがない限り弁護士を必要とするような出来事はなく、簡単に依頼できるものでもありません。 ちょっとした金銭トラブルで依頼する場合や相談に乗って貰うことはあるかもしれませんが、お金がなければその費用も出せない人も多いと思います。 そのような人に対してもやたらめったら弁護士をアピールして弁護士依頼するよう洗脳し、弁護士業界にお金を流す姿勢は、とても胡散臭く思えます。 宗教団体にしても、メリットがなければ日々懸命に弁護士の仕事=収入が増えるよう事件を増やしながら顧客作りに励むということはないと思うのですが、何かしらの報酬など見返りがあるということですか? それとも単に、弁護士が同じ宗教団体に属しているから応援団として顧客作りに励んでいるのでしょうか?

  • 意味不明なことする、最低人間いませんか?

    みなさんがこれまでに目撃、体験した、身近な最低人間の意味不明な行為には、どんなことがありましたか? わたくしの周囲には、 ・人の自由な基本的人権、想像や妄想にまでも、土足で立ち入ったり暗示洗脳等、邪魔する行為をする変な人がいました。 (この行為の詳細についてご存知の方がいれば、よくわからないので教えてください。 宗教団体の広告塔がよくやるという、暗示、洗脳と売名行為のセットを執拗に繰り広げるものの様です。 どこかの宗教信者や医師等で、選挙の際に特殊な活動をする団体の政治に関わる運動行為なのでしょうか? そうした声もありました。) 具体的な行為の内容は、 誰かが、通常に好意を持つ異性がいるとします。 しかし、その人は既婚者であると告知している。 ならば、常識的にはそれ以上、どうということはないわけですよね。 好意は人間関係を円滑にするもの、ありがとう、の一言でですむもの、それ以上、一般に考えたら、邪心すらも必要ないことですね。 しかし、わざわざ相手の名前(その既婚者の面識もない配偶者)を、予め用意した親しい人に言わせて、記憶にしみ込ませ、異性本人からも同じ情報を発言させることをします。 その上で、何が目的なのか、メディアを使って売名行為が始まります。 つまり、別人なのですが、同じ名前のタレントが執拗に出て来て売名行為をする度、まるで見ている側は、こちらにしかわからない方法で、虐待を受けている状況にされます。 先方の思い通りに利用できる部分だけ利用し、恋愛感情等邪魔な部分は、心理操作的に止める行為? などを施しているという状態です。 一般的に考えたら、自意識過剰行為とも受け取れますが、こういう手の込んだことをする人(宗教人なのか、単なる嫌がらせなのか)がいました。 その、ものすごい執拗な行為は、十数年に渡り行われ、未だ続いています。