• 締切済み

般若心経と浄土教

Y  Y(@yy8yy8az)の回答

回答No.6

 “色即是空空即是色”に「無」という表現はありません。  色は空であり、空はまた色である、と云うのはこの世の現象の事を云っているのだと思います。  この世の現象は一つとして変化しないものは無いと云う事、それを、いずれ時がたてば変化してしまうので実体とは言えない、言い換えれば「空」である、と表現したんだと思います。  色は空である、と云うのは結構理解されやすいと思いますが、空は色である、と云う事をうまく説明できるんでしょうか。  今回の質問に接して改めて考えてみました。  宇宙の存在。  我々が今こうしてここに生存しているのは両親があってこそ。  宇宙の存在にも両親が居るはず。  『宇宙の本体は“絶対(唯一無二・相対する物のない)”の大心霊体』  これを信じることが出来れば、この宇宙の親は“絶対”の大心霊体だと云えます。  親の子に対する思いがあるように、大心霊体の“思い”がこの世を現象させているんでしょう。  あるお坊さんは、このこと(宇宙と云う現象)を「大心霊体(如来)の意志の力(エネルギー)」に依る と云っています。  空は色である、とはこのこと、即ち空=この世(宇宙)、の現象は色であると。  その“色”の世界に誕生した生命が発達し、高度の精神を獲得し発揮している人間が生きる上で体験せざるを得ない苦しみから逃れようと“救い”を求める対象が神仏。  赤子が親の御胸にい抱かれて心安らぐように、人の精神は宇宙の生みの親の懐に飛び込んでこそ安心(救い)は得られると思います。  そうしたいがための方法が念仏。  赤子が母を求めて泣き声を上げるように、人は念仏するのです。  そして、その神仏の懐に飛び込むことを、明治から大正にかけて活動された我らが日本のお坊さんは『帰趣』と表現しました。  

utayomi_2011
質問者

お礼

  念ずるのである。 この世の全ては無であり空であるとただひたすら念ずるのである。 念ずることにより生きることの苦から解き放たれ救われるのである。   いかがでしょうか。 これでよければ答えは出たことになります。      

関連するQ&A

  • 般若心経 の色即是空、空即是色を唱えた人は誰ですか

    般若心経 の色即是空、空即是色を唱えた人は誰ですか? 般若心経を書いたのは誰ですか? 色即是空、空即是色の意味はどう捉えていますか?

  • 般若心経と末法思想

      色即是空空即是式、この世の全ては無であり空であると説く般若心経の教えは後の末法思想への基礎となったと考えて良いか。  

  • 般若心経は間違った経典

    日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老の著書に「般若心経は間違い」があります。特に「空即是色」この言葉の扱いについての指摘が印象に残りますが、般若心経肯定派は、この意見に対してどういう反論がありますか? 色即是空、これは上座部仏教でも言われることで経典にも根拠を求められるそうですが、空即是色、これが事実無根の創作だろうということです。 いろいろな角度からのご意見お待ちしてます。 返事は遅れると思いますが、どうぞ宜しく。

  • 仏教の教えは唯一つ

      仏教は唯一つのことを説いているのではないか。 色即是空空即是色、この世のあらゆるものは空であり、無である。 仏教が説いているのは唯これだけであり、それ以外には何も語っていないのである。 色即是空空即是色、仏教においてはこれが全てであると思っております。 仏教はあの世のことなど何一つ語っていない。 極楽浄土のこと、地獄のこと、人が死んで成仏するとかしないとかのこと、六道輪廻のこと、戒名や戒名料のこと、お題目のこと・・・等々、これらについて仏教は何一つ語っていないのである。 仏教が説いているのは唯一つのこと、色即是空空即是色である。 この世のあらゆるものは空であり、無である。 あの世のあらゆるものもまた空であり、無である。 何故ならあの世はこの世が作り出したもの、あの世とはこの世のことだからである。 故に極楽浄土は空であり、地獄は無である。 これで良いのではないか、これで何の問題もないのではないか。 私はこれで十分であると考えます。 このように考えると極楽浄土も、地獄も、成仏も、戒名も、六道輪廻も、お題目も、・・・およそ坊主の考える一切が空であり無となるのではないか。    

  • 般若心経は間違い?

    スマナサーラさんの『般若心経は間違い?』という本を読みました。 彼が言うには、「色即是空、空即是色」という部分で、空は色の上位概念であり色即是空は正しいが、空即是色は正しくないというのです。例えば、「みかんは果物です。」は正しいけど、「果物はみかんです」は正しくないのと同じだと。もし、「色即是空、空即是色」が成り立つなら空=色となり、わざわざ別の単語を使う意味がないではないかと。 この経典の著者は空を正しく理解していないとのことです。 皆さんはどう思われますか? それから、この本とははなれますが、こんな説があります。サンスクリット語で書かれたこの経典の世界最古のものは7世紀の法隆寺のものです。カナダ人の学者が、この経典は中国人が作った偽経をあとの時代になってサンスクリット語に逆翻訳したものではないかと言っています。

  • 「浄土真宗と般若心経」のベストアンサーを読んで。

    「浄土真宗の教義に反します。」とありました。  教義に反すると、どうなるのですか? 私は大乗仏教の経典の中で、般若心経が一番ありがたいお経だと思っています。浄土真宗の門徒です。「般若心経を捨てろ。」と言う仏様には救って欲しくは無い。

  • 仏教の教えは唯一つ

      念ずるのである。 この世の全ては無であり空であると、 ただひたすら念ずるのである。 嬉しかろうが、楽しかろうが、有り難かろうが、苦しかろうが、悲しかろうが、そのようなことはどうでもよいのである。 念ずるとは如何なる場合であれ、この世の全ては無であり空であると、ただひたすら念ずるのである。 このように念ずることにより、 人はみな生きることの苦から解き放たれ、 救われるのである。 仏教の教えは唯一つ、これではないか。 補足:  「色即是空空即是色」 → この世の全ては無であり空である。 「義無きを以って義とする」 → ただひたすら念ずる。  

  • 般若心経は上げてはダメ?

    私の家は浄土真宗ですが、般若心経は上げてはダメですか?? 父がある霊能師の方から般若心経を進められ、般若心経をあげるようになりました。その他に霊能師の方に1人みて貰ったのですが、私に19歳の女性と65歳の女性の霊が取り憑いていると言われ、また妹にも赤ちゃんの霊が取り憑いていると言われ、浄霊として般若心経をあげると良いと教えて貰い33巻をあげなさいと言われました。鍋にグツグツのお湯を沸かし、その中に茶っぱを入れ 線香の煙が絶えることないように、線香を3本を3組づつ供え、般若心経を33巻を23時までに称えました。これを一週間ほど行いました。 私自身、般若心経を本を買い勉強したところお釈迦様の教えに 共感しました。般若心経は生きる指針なるなと思っていました。とても共感したので般若心経を暗記し、見ないで上げれるようになりました。 今現段階では、霊能師の方から先祖供養の為般若心経を33巻朝9時までにあげるように言われています。実施中です。 浄土真宗本願寺派のお寺の方には般若心経を上げても良いが、先祖は浄土真宗なんだから、阿弥陀経も上げてくれと言われました。 でも阿弥陀如来の力を般若心経は無にしてしまうのですよね、、、、。? 般若心経も阿弥陀経も両方あげるのはマズイですか? 私自身、般若心経の教えは好きですし、ためになります。 供養の為に阿弥陀経が良いなら、阿弥陀経をしっかり上げれるようになりたいです。 自分自身で解決出来ません。 専門の方に教えて頂きたいです。 霊能師の方、僧侶の方教えて下さい。

  • 浄土真宗と般若心経

    主人が5年程前に亡くなり、その時仏壇を購入しました。 夫の実家は浄土真宗を信奉していて、その時実家の懇意のお寺でうちの仏壇に魂入れをしてもらいました。 最近娘が病気になり、写経をしたくなり般若心経を写経していました。 ところが、浄土真宗では般若心経は唱えないということを最近知りました。 私の実の母が、真言宗の信奉者なので私はお大師様の方に親しみを感じます。 仏壇は浄土真宗であるのに般若心経を写経するのは良くないことでしょうか、教えてください。

  • 「色即是空、空即是色」 この世の全ては無であり空な

    お坊さんの話 「「色即是空、空即是色」 この世の全ては無であり空なのです。 だからあなた方がいま持っているそのお金もまた無なのです、空なのです。 そんな無なるもの、空なるものを大事に大事にもっていても意味はないのです。 心が乱れるだけなのです。 心が乱れて不幸になるだけなのです。 すべて私によこしなさい。」 「色即是空、空即是色」 実はこれが狙いなのではございませんか?