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万世一系は 誰もに当てはまる

○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論    第五章 多神教は その一まとめとして一神教である 補論 § 5-c 万世一系は みなに当てはまる   1. 万世一系は 誰もに当てはまるのではないか?   みな その血筋は 万世一系である。   万世一系として生まれて来ていない人は ひとりもいない。  ☆ 常識が ややもすると これを否定しようとする。または 知らないでいる。または 知っていても 知らないふりをしようとする。と思われるので 確認としてでも 問います。

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  • 0fool0
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回答No.6

>というよりも 答えは分かっている。おおむね質問者の趣旨説明が妥当である。こういうことであるから そしてただしその内容は 一般の既存の権威についての悪口になるのだから あまりほんとうのことは言いたくない。こういう事情であると ハナからじつは分かっています。 また余計な一言をw 貴方の前提にと言うのは、検証の仕様の無い思い込みだから、そこを一々突っ込まないだけですよ。 国譲りの件を奪取と思っているのでしょう? これは仮定として、間違ってはいませんが立証はされていません、何しろ神話で物語ですから。 桃太郎が桃から生まれる等、生物学的に異常だと、貴方はほざいているのですよ。 それを議論しようというなら、それはそれでいいですよ。 しかし其処を前提に其の先の話を展開しようというのは愚の骨頂。 ですのでそういった内容は、狭いコミュニティで行った方が貴方の為にもなります。 そんなコミュニティに参加したがる人が居ればいいですけどね。 そして私は権威主義ではありませんし、どうでもいいのです。 どうでもいいのですよ、そんな事は。 レッテルを貼る事によって世界を理解しようとしている時点で議論の出来ない自分を理解して欲しいものです。 貴方は入ってくる情報に、先ずレッテルを貼ってから議論をしようとしているんです。 何故、国譲りが奪取だなどとレッテルを貼るのか? それは貴方が権威を否定する事に目的があるから。 根本が全く見えていない。 ホントに不毛。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 貴方の前提にと言うのは、検証の仕様の無い思い込みだから、そこを一々突っ込まないだけですよ。  ☆ ほら ごらんなさい これこれこういう事例として説明することが出来ますよと いちど一つでも例証してもらえると話が噛み合うでしょうね。  靴の上から痒い足を掻くみたい。な感じが これまで初めからずっと続いています。  ★ 国譲りの件を奪取と思っているのでしょう?  ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  4. いや だから よこせとは言ったが オホクニヌシらが 《くにゆづり》をしてくれたのだと言うのなら そのホノニニギの統治権は ゆづられたものである。アマテラスの統治せよという委任によって 有効となったのではない。民主的な話し合いによる。アシハラの人びとの善意によるものだ。いまもその恩恵の上にある。  5. けれどもしかし それは このアシハラの土地の中でも オホクニヌシらのほかの先住民であるアイヌの人びとのことが まだ問題である。けっきょく ゆづられていないので 征服した。ただそこはおれたちの土地だと言ってだだをこねつづけた頑固一徹の単なる帝国主義である。民主主義に悖った。無効である。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ イヅモに対しては 曲りなりにも《外交交渉》によって 統治権を得たといってるぢゃないですか。(4)。  ただし おそらくアイヌは 同じく先住民であるが 外交交渉をも行なったとしても けっきょくチカラで征服した、(5)。こうも言っています。  また 細かいことを言うならば イヅモでも オホクニヌシは息子がふたりいて 一人(コトシロヌシ)は非戦論を採ってゆづる考えを持ったが もう一人(タケミナカタ)は すんなりとは従わず チカラで挑みチカラに屈した。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~  桃太郎が桃から生まれる等、生物学的に異常だと、貴方はほざいているのですよ。  それを議論しようというなら、それはそれでいいですよ。  ~~~~~~~~~~~~~~~   ☆ 《例証》の片方のタトエが挙げられていますが それをわたしのどの文章・どの見解のこととして言っているのか? これが一向に分かりません。  全体だと言うのなら それがレッテル貼りです。  ★ レッテルを貼る事によって世界を理解しようとしている時点で議論の出来ない自分を理解して欲しいものです。  ☆ これも 半面としてのタトエは挙がっています。では どの推論のことを言っているのか? わたしの議論は どの主題のどの推論にしても ちゃんと中身があります。どこやらの何々教とは違います。いったいどの議論のどの《レッテル貼り》であるのか?  この例証が結局のところないのならば そちらのほうがレッテル貼りでしかないということです。  ★ 何故、国譲りが奪取だなどとレッテルを貼るのか?  ☆ どの文章がですか? どこで・いつわたしが くにゆづりを《奪取》だと言いましたか?  あぁ なるほどその服属の要求は 帝国主義であると言ったところですか?  そうではないのですか?   軍事にかかわりうる船や飛行機を近辺に遣って ゆづれという行為は 戦火をまじえることをまぬかれているとしても すでにチカラづくの《奪取》的行動です。  これが レッテル貼りだということでしょうか?  このように言うのは  ★ 権威を否定する事に目的があるから  ☆ だと言えるのでしょうか?  

  • 0fool0
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回答No.5

不毛ですよ。 仮定に仮説を積み上げている状態では、設問としても前提が独り善がりでしょう。 何故なら貴方の質問に答える為には、世間一般常識では通用しないのですから。 でしたら先ずは常識の議論から始めるべきで、その先は狭いコミュニティで議論をするのがいいです。 毎回毎回、前提から説明していたらお互いに大変ですし、説明が無ければ会話はチグハグ。 貴方の考えが特殊過ぎるのは別にいいのですが、単純に質問されればこちらの常識で答えますよ。 私は私の前提で書き込み、貴方は貴方の前提で否定する。 不毛でしょ?

bragelonne
質問者

お礼

 でしたら それは 哲学の問い求めとしての答えではなく 0ふーる0さんの言わば政治的な立ち場の表明であるかと考えます。  そのことで 自由をうばうわけには行きませんし と言ってもそのような自由の略奪などということは じっさいには出来っこないことですので 議論をすすめてもいいのですが ひとまづ この件については 休みを取ったほうがよいのでしょう。こちらからは じゅうぶんな説明をしましたから。  一点だけ まだ余地がのこるとしたら あなたは 結論をきちんと明らかにしておられますが その一つひとつの議論について例証は じつは ないのです。結果だけを述べておられます。  もし 一文づつを取り上げての例証があきらかなかたちになるなら その議論についてこちらからも摺合せをおこなえることでしょう。  というよりも 答えは分かっている。おおむね質問者の趣旨説明が妥当である。こういうことであるから そしてただしその内容は 一般の既存の権威についての悪口になるのだから あまりほんとうのことは言いたくない。こういう事情であると ハナからじつは分かっています。

  • 0fool0
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回答No.4

結局、権威を否定したいだけで、不毛な会話だなぁ・・・ 『万世一系』は証明も否定も出来ない話です。 貴方の質問は常に「悪魔の証明」を持ちかけているだけ。 まぁ、それに付き合う私もお人よしですがw

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  全体として・また前提の話として微妙に違うということをお伝えします。  ★ 貴方の質問は常に「悪魔の証明」を持ちかけているだけ。  ☆ これについてですが わたしの話の進め方は 微妙に違っていて 次のようです。  1. あくまで(しゃれではありませんが) 相手の言い分を出来る限りそのまままづはそうである(つまり 言い分がそれとしてただしい)と見なすかたちで認めて そうだとすれば そこから広くはどのように捉えられるか。こういう進め方です。  2. 《出来る限り》という意味は――この話は こまかくなりますが―― たとえばアマテラスやスサノヲは モノをかみ砕いて そのとき吐く息から子が生んだということになっているとき それをも生物学的認識に反してでも認めて その上で批判をしています。  3. そのとき或るひとの意見では 神なのだから単性生殖が起きたのだということでした。これをも仮りにみとめて 話をすすめる。こういうやり方です。  4. 言いかえると 《悪魔の証明》はむしろ どういうわけか こちらが要請されているのです。こちらは 相手にふつうにきちんと説明して欲しいと言っているだけですよ。  ★ 『万世一系』は証明も否定も出来ない話です。  ☆ つまりこれについても  5. 男系の血筋が途切れることなくつづいていることを証明せよとは ひとことも言っていません。仮りにそのように万世一系であるとしたら どういう議論や批判が出て来るか。こういう進め方です。一貫しています。  6.   ★ 結局、権威を否定したいだけで  ☆ いいえ。権威がそれとしてすでに現在でも あります。社会的な現実です。問題は その権威の土台について 哲学はどう考えるか。こういう切り口での問いです。  7. くにゆづりについても話が出ましたが これが 世界に誇ることの出来る――神話というかたちではあるけれど――歴史であるとしたら それは もともと服属を要求してきたアマテラス帝国の側が 立派なのではなく(そういう意味では権威などはなく) えらいのは 主戦論をつつしみ非戦論にて 敵をも迎え入れたオホクニヌシ市民らの側の度量と民度にある。こういう問題提起なのです。  8. つまり《権威を否定したいだけ》とは まるで違っています。ふつうの皆に納得の行ける権威のあり方や在り処を問い求めているのです。  9. これでも  ★ 不毛な会話だなぁ・・・  ☆ ですか?   これほど 生活日常にも足を置いた重要で切実な主題もなければ その解決の道もない。おそらくすでに 0ふーる0さんには お分かりのことと思います。  この世界認識は きっとわれらが復興にとってたすけと成りましょう。ふつうのただしいチカラに成ると思います。おのおの心の奥底にあるふつうの思いだからです。  この問いを推し進めるのは わたしの利己的な自己満足にかかわることですが その問い求めと内容は どこから見ても 私心はない。万人に納得の行く普遍的な哲学である。こう自負しています。

回答No.3

これほどまで誰にでもあてはまることにしたいというのは哀れなもんだ。 しかし、それはまず、勇気をもって母親に聞け。 父親は、豚かナメクジに違いないが・・・ この際、本当のことを聞いた方がいい。 ちなみにお前の母親がデベソかどうかについては、興味がないし、 何度も言うがこちらから、言い出したことではないので、教えてくれなくていい。知る必要がない。 これと同様に、お前の母親が膣に何を入れたかなど私は知らなくていいからね。 >万世一系として生まれて来ていない人は ひとりもいない。  オー ジーザス!

  • 0fool0
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回答No.2

ここで議論する内容ではないですよ? これは多分に政治的議論を要します。 貴方の質問の仕方だと、捕らえようによっては世界中が天皇陛下(日本)のものだと言わんばかりになります。 万世一系は日本の皇室独特のものだと理解して下さい。 大体、王室の血統が保障されている中での一番歴史の長い国は先進国では日本が一番なのは当たり前なのですから。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ☆☆ 1. 万世一系は 誰もに当てはまるのではないか?  ☆ この問いをめぐって 次のように受け取ったということですよね?  ★ 貴方の質問の仕方だと、捕らえようによっては世界中が天皇陛下(日本)のものだと言わんばかりになります。  ☆ たぶん 別の質問をも合わせてそういう反応が持たれたのでしょう。  かんたんにこたえて 問い求めを進めるなら こうです。  八紘一宇という思想が それですよ。  そして 覇権を追い求める中国も――その天子ないし独裁者による《神勅》のもとに―― 同じ思想です。  クリスチアニズムやイスラームも 〔かつては〕 同じくでした。  むろん 八紘一宇(はっこういちう)は 現在の憲法のもとでは 過去の話です。  ★ 万世一系は日本の皇室独特のものだと理解して下さい。  ☆ まづ  【Q:万世一系は アマテラスからなら 女系ではないか】  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8393793.html  この質問でのやり取りをとおして分かったことは どうも男系か女系かの議論およびその説の実行は ことの本質ではないと理解するようになっています。  言いかえると 別の質問の    【Q:アマテラスによる神勅は 独り善がりである】  で問い求めているように この《神勅》が問題なのだという理解です。  そしてこの万世一系のことは それについても事実問題を確認しておくことがよいという考えで 問うています。  そして別の質問のほうでやり取りするほうがふさわしいのですが ここで触れるならば   (あ) 主宰神による統治の委任を内容とする神勅は けっして独自のものではなく また人間の有効な意志行為をみちびくものではない。  (い) つまり 王権神授説とひとしく同罪である。ローマ法王についても 同じくである。いくら神勅だからと言っても その委任なる命令は 当然のごとく 相対的な効力をしか持たないから。人びとのいだく神の数だけ 神勅があり得ます。つまり 相対性のもとにあります。  (う) つまり 相対的な効力をしか持たない思想を 絶対であると見なしてそのまま行動するなら けっきょくほかの神勅とのあいだに互いに相手の意志を踏みにじるという不法行為が 必然的に現われる。ゆえ。  (え) それから もし男系の万世一系が 日本の天皇家に独自のものだと言うとすれば それは おそらく側室の存在というひとつの事由によっているはずです。ヨーロッパで 男系が絶えたのも その側室の不存在ゆえだというふうに見られるのですから。じっさい現在において 日本の皇室もそのような問題に突き当たっています。  

  • 0fool0
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回答No.1

何処に答えを求めているのか・・・ そりゃ、バクテリアから考えれば、創造論者でも無い限り『万世一系』で間違いないが・・・ そもそも議論の域に達していない。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 『万世一系』で間違いないが・・・  ☆ という確認で満足します。

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    万世一系って何の価値があるんですか? 世間が騒いでる理由が分かりません。 先祖の名前が分かって何が嬉しいんですか? 国民と皇族とを区別するのは階級社会ですか?

  • 日本教について

     ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論    第五章 多神教は その一まとめとして一神教である  § 5‐b 日本教について  この項目では ヰキぺもまだ 書きかけである。短いので まづ ぜんぶをかかげます。  ▲ (ヰキぺ:日本教) ~~~~~~~~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%95%99  (あ) 日本教(にほんきょう)とは、「日本人のうちに無意識に染み込んでいる宗教」という意味の概念を表す山本七平による造語である。    (い) 奥山実は日本教がすでに芥川龍之介によって語られていると指摘する。  (う) 山本七平は『日本人とユダヤ人』で日本人は自分が日本教徒であるという自覚を持っていないが、日本教という宗教が存在し、それは血肉として日本人自身も自覚しないほどになっているので、日本教徒の日本人を他の宗教に改宗させることが可能であると考えるのは「正気の沙汰ではない」という。  (え) 山本によれば日本教とは、神ではなく人間を中心とする和の思想である。  (お) 奥山実は芥川龍之介の作品である『神神の微笑』で老人が神父に語ったことば「我々の力というのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」に注目し、「日本は外来のすべてを日本化してしまう」と指摘する。また、『おぎん』・『おしの』といった作品にも日本教が現れているとする。  (か) 奥山によれば日本教に絶対はなく、絶対者を知らない日本教徒は相対の世界に生きており、日本教の最大の特徴は「相対化」であると述べる。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この質問は 初めに還って 日本教をめぐるいろんな議論や実態をまづはあらためて集めてみたいというところから出発するものです。  その一端を たたき台にしてもらってもよいかたちで 提出します。  (き) まづ(あ)にかんして 次のように思われる。   おそらくオシエのない《宗教として われわれの意識下に潜んでいる》ということですが たぶんそれに対してただし これも同じく山本七平の言葉ですが 《空気》というかたちでなら そのクウキについて人びとはすでに意識するようになっており 自覚をもともなって来ていると考えられる。  KY はむしろ未来志向であるとすら考えられる。  (く) 《宗教として》というのは むろん 市民レベルのシントウか または国家レベルのシントウイズムかとしてだと考えられる。   【Q:§ 5 多神教は その一まとめとして一神教である】   【Q:男系による万世一系は 神武天皇以前は別となるのか】  (け) 奥山実の(い)や(お)に言う議論にくわしい方は おしえてください。  (こ) 芥川のほかにひとり思い浮かぶとすれば 遠藤周作の次のようなくだりです。   ▼ (遠藤周作:日本の精神的な土壌について) ~~~~~~~   ――パードレ(=ロドリゴ)は決して余(=イノウエ筑後守)に負けたの    ではない――筑後守は手あぶりの灰をじっと見つめながら――この日本    と申す泥沼に敗れたのだ。   ――いいえ私が闘ったのは――司祭(=ロドリゴ)は思わず声をあげた。    ――自分の心にある切支丹の教えでござりました。   ――そうかな。――筑後守は皮肉な笑いをうかべた。――そこもとは転ん    だあと フェレイラに 踏絵の中の基督が転べと言うたから転んだと申    したそうだが それは己が弱さを偽るための言葉ではないのか。その言    葉 まことの切支丹とは この井上には思えぬ。   ――奉行さまが どのようにお考えになられてもかまいませぬ。  司祭は両手を膝の上にのせてうつむいた。   ――他の者は欺けてもこの余は欺けぬぞ。――筑後守はつめたい声で言    った。――かつて余はそこもとと同じ切支丹パードレに訊ねたことが    ある。仏の慈悲と切支丹デウスの慈悲とはいかに違うかと。どうにもな    らぬ己の弱さに 衆生がすがる仏の慈悲 これを救いと日本では教えて    おる。だがそのパードレは はっきりと申した。切支丹の申す救いは     それと違うとな。切支丹の救いとはデウスにすがるだけのものではな    く 信徒が力の限り守る心の強さがそれに伴わねばならぬと。してみる    とそこもと やはり切支丹の教えを この日本と申す泥沼でいつしか曲    げてしまったのであろう。  基督教とはあなたの言うようなものではない と司祭は叫ぼうとした。しかし何を言っても誰も――この井上も通辞も自分の心を理解してくれまいという気持が 言いかけたことを咽喉に押しもどした。膝の上に手をおいて 彼は目をしばたたいたまま 奉行の話をだまって聞いていた。   ――パードレは知るまいが 五島や生月(いきつき)にはいまだに切支    丹の門徒宗と称する百姓どもがあまた残っておる。しかし奉行所では    もう捕える気もない。   ――なぜでございます――と通辞が聞くと   ――あれはもはや根が断たれておる。もし西方の国々からこのパードレ    のようなお方が まだまだ来られるなら 我々も信徒たちを捕えずば    なるまいが・・・――と奉行は笑った。――しかし その懸念もない。    根が断たれれば茎も葉も腐るが道理。それが証拠に 五島や生月の百    姓たちがひそかに奉じておるデウスは切支丹のデウスと次第に似ても    似つかぬものになっておる。  頭をあげて司祭は筑後守の顔を見た。微笑は顔と口との周りに作られていたが眼は笑っていなかった。   ――やがてパードレたちが運んだ切支丹は その元から離れて得体の知    れぬものとなっていこう。  そして筑後守は胸の底から吐き出すように溜息を洩らした。   ――日本とはこういう国だ。どうにもならぬ。なあ パードレ。  奉行の溜息には真実 苦しげな諦めの声があった。  菓子を賜わり 礼を申しのべて通辞と退出をした。      (遠藤週作:『沈黙』 IX)   cf. 【Q:日本人は生ぬるいですか】   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (さ) (え)でその《和の思想》は分かるのですが それが《神ではなく人間を中心とする》というのは 具体的にどういうことだと考えられますか?  (し) (か)の《相対化》は けっきょく《貌がなく・のっぺらぼう》だという意味に受け取りますが さらにはどうお考えになりますか?  (す) その事例になると思うのですが (お)の《日本は外来のすべてを日本化してしまう》については 宗教ということで けっきょく次のように《多神教のかたちを採った一神教》であると考えられまいか?    日本教・総本山     =シントウならびにシントウイズム     日本教・ブッダ派     日本教・キリスト派     日本教・マルクス派     日本教・新興宗教派(遺憾ながら)     ・・・・  (せ) 民衆レベルのシントウであるなら それはむしろ集団としての宗教ではなく 個人にとっての信仰としてあって その神は いづれの党派の個別の人間にとっても同じひとつの普遍的な神であると考えられる。という見方を提出して来ていますが どうか?  (そ) そのほか 自由にご見解をしめしてください。

  • 再考: 《神は死んだ》か?

     ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論    第十章 《神は死んだ》のか  ▲ (ヰキぺ:神は死んだ) ~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AF%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0  (あ) 神は死んだ(かみはしんだ、独:Gott ist tot, 英:God is dead)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズムを表す言葉として広く引用される言葉である。  (い) ニーチェは、キリスト教的な神や価値観が、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰が消滅して、現実の生・世界が無価値・無意味になり、ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~    問い‐1. 《ニヒリズム》とは どういう思想ですか?   (う) こう問うわけは 虚無志向というのは あくまで往復の道があって 当初はその虚無の国行きだけの片道だと思っていたとしても けっきょくには 復路もあるとなるはずではないか。だから いったいそれとして言わば独立した思想があり得ますか? という問いです。   問い‐2. 《神》は 果たして《死ぬ》ものか? つまりいつか・どこかで《生まれた》ものか? きわめておかしな表現であると考えられるのだが どうか?  (え) 《価値観が消滅する》という意味で《死ぬ》と使っても むろんおかしくはありませんが。    問い‐3. この場合に《現実の生・世界が無価値・無意味になり》というのも おかしな表現(思惟)ではないか?  (お) なぜなら もしそれがほんとうだとしたら 《キリスト教的な神や価値観が〔無いところでは あるいは〕、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰》が無かった土地とそこに暮らす人びとにとっては もともと昔から《現実の生・世界が無価値・無意味》であったとまわり回って言っていることになる。のではないか? そんなバカな話があるのでしょうか?  問い‐4. ▲ (い) ・・・ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。  ☆ だからと言って 《超人・大地・大自然》を あらたな神のごとくに持ち出せばよいというものではない。はずだ。どうか?