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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本が朝鮮統治する以前の、朝鮮の対日本意識は?)

日本が朝鮮統治する以前の朝鮮の対日本意識は?

jagd4の回答

  • jagd4
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回答No.3

>現在の反日の強さを見ると、ひょっとして、元々は日本を下に見ていたのかなあなどと想像するのですが、どこかに記録など残っていませんか? 戦後の反日は、韓国政府の政策による捏造教育の結果なので、それ以前と一緒には語れません。 >このカテは大丈夫だとは思うのですが、回答にかこつけての中国韓国批判はお断りします。 むしろ、ここでは回答と称した嘘情報で日本を貶める輩が湧いていると思います。 >古代から一応色々接触があったし、秀吉の朝鮮侵略などもありましたけど、日本を同等と思っていたのか、それとも、極東の島国として下に見ていたのか、どちらでしょう? 「いつの時代から」というのが不明なので回答が困難です。 高句麗以前と李氏朝鮮では民族も違うので、同一には扱えません なので、秀吉の朝鮮出兵前後(李氏朝鮮)ということで回答します。 回答:平民と貴族や時代で違うと思います。 貴族:中国様の柵封を受けてない野蛮な国 平民:貴族に搾取され、圧政に苦しんでいたのでそれどころではない。(日本への知識もない) 貴族についてですが、 朝鮮は古代から中国王朝の柵封や支配を受けており、それによって↓の中華思想や小中華思想に染まっていました。 【中華思想】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%80%9D%E6%83%B3 (中国が宇宙の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くからもち続けた自民族中心主義の思想であり美称である。漢民族とは異なる周辺の辺境の異民族を文化程度の低い禽獣であるとして卑しむことから華夷思想(かいしそう)とも称す。また夏、華夏、中国とも同義である。) 【小中華思想】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%80%9D%E6%83%B3 (小中華思想(しょうちゅうかしそう)とは主に朝鮮で唱えられた中華思想(華 夷思想)の一変種であり中華文明圏の中にあって、漢族とは異なる政治体制と言語を維持した民族と国家の間で広まった思想。自らを「中国王朝(大中華)と並 び立つもしくは次する文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想である。この「文化」とは儒教文化のことであり、中華文明への同化の程度によって文化の高低が判断されるものであった。) ↑によれば、「天皇」を名乗り中国の皇帝と同等の地位を主張していた日本は、身のほど知らずな蛮族ということになるので、日本のことを蔑んでいました。 中国も最近までこの関係を当然の事として認めていました。 日清戦争時の清は宣戦布告の文書において、 「朝鮮は我が大清国の属藩として二百余年、貢を歳に修めていることは国の内外で知るところである。」 と記述しています。 しかし、そのような立場を誇る一方で、朝鮮が日本より豊かで進んだ国であったこと一度もありません。(少なくとも百済以降は) そして、その差は江戸時代で既に圧倒的なものになっていました。 「日東壮遊歌」(日本に来た朝鮮の使者に記録)では、↓のように語られています。 【日東壮遊歌】 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9D%B1%E5%A3%AE%E9%81%8A%E6%AD%8C%E2%80%95%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%81%A7%E3%81%A4%E3%81%A5%E3%82%8B%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%87%91-%E4%BB%81%E8%AC%99/dp/4582806627 「大阪」 100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。 大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、銅の屋根で、黄金の内装である。この贅沢さは異常だ。 都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。 中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。 世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。ソウルの繁華街の10,000倍の発展だ。 北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。 穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。 そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。 嘆かわしく、恨めしい。 「京都」 街の繁栄では大阪には及ばない。しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。 山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。 この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。悔しい。 「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。悔しい。 この犬のような倭人を全て掃討したい。この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。 平民についてですが、 秀吉軍が上陸時の朝鮮の民衆は圧政に苦しんでおり、秀吉軍を解放軍として歓迎・協力しています。 彼らは戦乱に便乗して役所に放火して、借金の証文や戸籍(奴隷の身分記録)を抹消しています。 今の韓国で自称両班出身者が多いのは、彼らが勝手に名乗ったからです。 明治以降ですが、日本が発展する一方で、旧弊を捨てられず内部の権力闘争による失政を繰り返す朝鮮の差は開き続け、彼等の思想と現実とのジレンマは拡大していきます。 その後朝鮮は破綻し、1910年に日本は朝鮮の要請を受け入れて併合しました。 これは侵略でなく、植民地化でもありません。 併合時の施政も公平で差別もなく、善政と呼べるものでした。 (強制連行や「従軍」慰安婦(慰安婦ではない)、創氏改名、食料の収奪は捏造で事実ではありません。) この併合についても、当時の朝鮮人全員が賛成していたわけではないという意見もありますが、 どこの国でも、国民全てが賛成する政策などありません。 当時でさえ平民達は教育を受けられず、世界のことなど全く知らない状態でした。 確かに併合については、韓国内でも、↓のように意見が分かれていました。 賛成派:李完用(総理大臣)を含む閣僚の約半数と、李用九の文明開化派の最大政治組織「一進会」。 反対派:皇帝高宗や両班や儒者達など、併合により既得権益や地位が危うくなる人達。 賛成派の意見は↓のようなものでした。 【韓日合邦を要求する声明書】 日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。 それでも韓国は、これを有り難く思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。 丁未条約を締結されることになったのも、やはりハーグ事件を起こした我々に責任がある。 伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のために御苦労されたことは忘れられない。 にもかかわらずハルビンの事件が起きてしまった以上、今後いかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。 ―中略― それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国を作って世界の一等国民として日本人とまったく同じ待遇をうけながら暮らしてみよう… 1909年12月4日.一進会(百万の朝鮮人会員) 「李完用侯の心事と日韓和合」(朝鮮全権大使 李成玉) 「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。 亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。 そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思って いるが、日本は違う。 日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは 気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。 そして、 日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。 それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。 日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」 「朝鮮民族の発展的解消論序説」(金文輯) 「数千年にわたる過去の朝鮮史、ことに李朝五百年史だけをとりあげてみても、完全な独立の道などは一場の夢に過ぎないことはわが朝鮮自身の常識である。 いわんや最近五十年の国際状況、特に日増しに険悪の度を増すこれからの世界史相を展望するとき、朝鮮(韓国)が微弱なままに一度自立してみようというのは最初から問題にならないのである。 してみると、今我々に残された唯一の道は、肉体的にも精神的にも内地人と同族になって、一切の権利と義務を同一に享受しようとする 皇国臣民の道である」 反対派は併合後上海で亡命政府を自称していますが、世界からは無視されています。 (伊藤博文を暗殺した安重根も、この組織の人間です)

0123gokudo
質問者

お礼

補足とお礼の欄を間違いました。質問があります。 昔、朝鮮の歴史を読んだことがあるのですが、吉川弘文館発行ですが手許にありません。その中の著述で覚えているのですが、韓国併合当時の日本の公文書の中で、朝鮮人のことを鮮人と呼び、民度が低いだったか、人品が卑しいだったか、とに角その類の鮮人を見下した記述がありました。 日本人が朝鮮人を見下し始めたのは併合後のことですか? 江戸時代は見下してないでしょう?

0123gokudo
質問者

補足

回答ありがとうございます。 小中華思想というのがありましたね。うっかり忘れていました。 朝鮮は大陸の一部。やはり、自分たちも大陸に準じる人間と思ったのですね。 要するに、見下げていたということですね。 だから、見下げていた人間に追い越されると我慢がならず、異常な敵対心が出るのです。中国も事情は同じです。 しかし、これで持って韓国や中国は非難するのは早計です。 だって、人間ってそんなもんでしょう。かつては世界の中心であったフランスがアメリカに追い越され、異常なほどの敵愾心をアメリカに向けているのと同じですよ。 アメリカだけでなく、フランス人はイギリス人も嫌いですね。対抗意識を持っています。イギリス人もフランス人が嫌いで見下そうとします。 世界中、人間ってのは同じようなもんです。 わざわざ、「回答にかこつけて中国韓国批判はお断り」と断ってるのに延々と韓国朝鮮批判をしましたね。 私も色々言いたいことはあるけど、一言だけにしときます。 どんなに善政を施したにしても、やっぱり他国を自分のものにするのはよくないと思いますよ。

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