宗教の必要性と多様性について
- 宗教は人々が生きる上での指針となり、思想信条の自由を持つことが重要です。
- しかし、宗教には妄信的な側面もあり、バランスを取る必要があります。
- また、日本の宗教は形骸化しており、進化する宗教が必要とされています。
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宗教は必要か?どんな宗教が?
人間はこの世界・宇宙の真理を悟りきる事は難しいだろうと思う 無理かもしれない しかし人間は生きなければ成らない 自信もなくては思い切った事は出来ない ならば何かを信じて生きる 思想信条と言うものは必要、少なくとも持って良いと思う それが思想信条の自由だと思う。 そこに宗教も在り、また生まれる。世界中に万と言う宗教があり 生きる指針と成っている。 ただ宗教の副作用である妄信的部分も否めない 日本人は宗教が形骸化しているので無宗教でも通るが 超人にでもならないと宗教無しで自信を持って生きるのは難しい。 世界が一つの宗教になればそれに越した事はないが 統一教会の例を見ると難しかろう 自浄作用のある 進化する宗教が生まれないものか とも思う。 それを踏まえて日本の宗教はどう在るべきか? 道徳や倫理も宗教に寄るものも多かった 祭りや神事も宗教のうちだろう この様な宗教バラバラ妄信状態をどうすれば良いか ご意見伺いたい者です。
- yuniko99
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- 哲学・倫理・宗教学
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質問者が選んだベストアンサー
NO3です。 ☆日本人は宗教が形骸化しているので無宗教でも通るが ◇わたしは、そうは考えない。 現代西洋人の目には、日本人は宗教的に映るのだそうです。 日本人は、十分過ぎるほど、宗教的な雰囲気に包まれて、生活していますよ。 仏教や神道が空気のごとく生活の細部にまで行き渡っているので、そのことに気づかないだけですよ。 ☆それを踏まえて日本の宗教はどう在るべきか? ◇今のままでよい。 神仏や人、自然を畏れ敬う、素朴な宗教的心性でよい。 ☆この様な宗教バラバラ妄信状態をどうすれば良いか ご意見伺いたい者です。 ◇ここで言っている宗教とは、組織宗教もしくは教義・ドグマの意味なのでしょう。 そのようなものは、基本的に不要。 神仏や人、自然などを畏れ敬う気持ちがあれば、それで十分なのでは。 人を殺してはいけない、無闇に他の生き物の命を奪ってはいけない、 自然を破壊してはいけない、するときは必要最小限で、しかも自然と共存できる形で、 などなど を、 その素朴な宗教心性から導き出すことができます。
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- tumaritou1
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日本人は『当然の如く、宗教的に生きています。』日本人である我々は『仕事』を自分よりも大事にして生きています。この自分(自我意識)を優先しない生き方を『宗教的』と表現すると思います。 宗教の目的は『魂の救いです。』この意味は『死によって、或いは生きる事によって、或いは何かを思ったり感じたりする時に、自分が自分になれない、』と感じる場合があります。自分の求めているものが分らなくなる時です。 それが幸福であったり、満足感であったり、生きがいと思う場合も在るかも知れません。或いはこの人生そのものに対する疑問かもしれませんが、兎に角『しっくり来ない事を感じる瞬間です。』 人生そのものを疑ったり、自分自身でさえ疑いを掛ける時の事です。或いは『死の予感の中でもだえ苦しむ場合や、永遠に対する憧れを抱く場合などです。』 自分自身や人生そのものに疑問を抱く場合では、『この世はかりそめの生を生きているのではないだろうか?』という風に感じたりもする場合がありますが、答えは何時も闇の中です。 こう言った解決しそうも無い、問題が意識に昇る時や、真実の世界や、永遠の世界に憧れる時『人間は自分自身の心の矛盾』に悩んでいます。こういった問題に決着をつけるのが『宗教の目的』になっています。 そうして『自分自身の二つある心同士の間で、決着が付く事が、宗教の目的である、魂の救いが完了した暁です。』 その時に始めて『真実の世界が見えて来ます。』真実で永遠の世界が見えると言う意味ですが、人間は往々にして、自我意識の分別作用で『真実の世界を捻じ曲げて見ている場合がある。』と言う意味です。 その捻じ曲げられた世界は、『真実の世界』と交じり合っていますので、境目がありません、従って誰でもが、真実の世界と『仮の作られた虚の世界』を行ったり来たりして生きていますが、誰もその境目が分らないでいます。 真実の世界とは『目の前に展開している現実の世界』ですが、誰しもが『頭の中の計らいや、欲や得や我執と言う自我意識の分別作用を受けて』現実にはない『頭の中だけの仮の世界を形成する場合があります。』 極端な例を先に書いて、後は誰にでもある日常的な、『頭の中だけの仮の世界を形成する場合があります。』の説明をしたいと思います。 極端な例は『三つに集約する事が出来ますが、この三つに分けてみたところで、人間の全体像』と言う観点から考察する場合では、この三つが、同時に作用したり単独に作用したりする場合があると思われますので、必ずしも三つに分ける事には意味が無い場合も在るかも知れませんので、始めにお断りをして置きます。 極端な例は『人間の障害や病気』と言う意味になります、日常的な例では、軽いノイローゼの状態も含まれると言う意味になりますし、失敗する原因やいざこざの原因になっていると言う意味も含んでいます。 『人間の障害や病気』と言う場合、必ず原因があってその結果にそう言った『人間の障害や病気』が発症していますが、今の進んで医学や科学でも『原因が分からない』とされているものです。そうして身体の検査や脳の機能検査でも『異常なし』とされているものです。 一つ目は身体の異常感(違和感)を訴えている『障害』です。身体が疲れ易くなる事や、違和感を意識する部分の機能が鈍くなって感じられる症状群です。過敏性腸症候群や自律神経失調症と呼ばれているものです。 二つ目は『行動に伴う事柄に異常感(違和感)を訴える症状です。自分の行動の自在性が確保出来なくなる『障害です。』行動が出来なくなったり、行動する意欲さえ失ってしまう症状です。人間が行う事全てに関しての訴えがあります。人に会う事が出来なくなる対人恐怖症や、上がる事を訴える上がり症や、身体や手の震えがひどくなる症状を抱えて、機能的に異常が見つからない場合です。ひとまとめにして【神経症】に分類されていたものです。 三つ目は『沸き上がる考えや、沸き上がる感情に』違和感を訴えている障害です。 宗教の目的はこう言った『違和感』の解消を目的にしています。 この違和感をキリスト教的な表現にするなら『罪の意識』=『原罪』、仏教的に表現するなら『業』といっても良いと思います。 是は人間の脳内反応に『過敏に反応している事が原因で』発症しています。この障害の完治する現象を聖書風な表現をする時『神と和解する』と表現します。仏教的に表現するなら『(自らの命の働き)の性を見る』と書いて『見性(成仏)』をすると表現しています。 どちらにしたところで同じ脳内反応を、違う表現形式を採用しているに過ぎません。 そういった脳内反応をする脳の説明です。脳内反応と言う意味は『機能的に違う脳同士での情報交換が、なされている。』と言う意味です。 実際の脳の機能を科学的に研究してその実績が評価されて、ノーベル賞まで貰う事が出来た研究成果です。ウイキペデアからコピーします。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 更にこの記事を補強するために、或る脳科学者が『自分自身の内面から』脳の機能分化の体験を脳卒中の為に『体験せざるを得なくなった』貴重な体験談を語っている動画を載せてみます。 もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この動画の中で語られている内容は、宗教体験です。キリスト者であるなら『神と和解している最中』と言う意味です。或いは禅宗や仏教なら、『仏性』と出会っている最中と言う意味ですが、専門用語を使うなら『見性成仏中』と表現する事も出来ます。 その結果を『神の僕となる』或いは『生死の問題が解決する』と表現する事が出来ます。 人間には元々備わっている働きがあります、赤ん坊が何も学ぶ以前から『知っている働き』ですが、この命そのものの『命の働き』が人間の全人格の『身体にも行動にも心にも』多大な影響を及ぼしています。 この一点を見落としている事が、精神医療の現場で『原因は分かっていませんが、早期治療で早く良くなります。』と言いながら、鬱などの治療で『何十年掛かっても良くならない人達が沢山存在する理由になっています。 軽い障害と言う意味は、簡単な思い違いという意味です、簡単な障害といったところで『車がいないと思っていた』と言う場合では、重大事故に繋がる可能性があります。 自我と言う心が『現在の真実の情報を送る者や送られてくる情報に、欲や得や自我の執着する分別作用で、情報を受け取る時、真実の世界が捻じ曲げられた。』と表現する事が出来ます。 結婚を決断する時などが良い例です。『明日の事など分らない筈なのに、この人と何時までも幸せでいられる。』或いはどんなに苦労をしたとしても、この人と離れたくないと思う時、真実の愛が『先を見通しています。』真実の愛とは『互いの事を何時も、何も掛け値なしの心で見詰め合う事』が出来た時です。 そうなった時、二人は赤い糸で結ばれていたと実感します。幸福な未来が約束されると言う意味です。例え困難が待ち受けていようともです。 その逆に自分の心の声を無視して、欲や得や見得など、分別する心が働いて決断する場合では、苦労の割りには、実りが少なくなる可能性を秘めています。過ぎてみた場合にはっきりと分ります。
- Y Y(@yy8yy8az)
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No.9、ねこさんの回答に賛同です。 世界に誇れる日本人の心の特性、神仏や自然を「畏れ敬う」原始的宗教心は、釈尊仏教の基本的精神に違(たが)わないと思います。 “悟り”とは程遠い宗教的世界ではありますが、この地球上に生を受けてしまった“人間”の誰もが持つ“好ましい宗教心”の発露だと思うからです。 今日(本日)のネット上の産経新聞のニュースで、世界の経済の中心が日本になったと報道されていますが、こうした経済上の日本の活動も、その根底には他者を敬う心の存在を感じます。 自分は二の次、おかげさまの心、七年後のオリンピックでのおもてなしの心。 こうした『好ましい日本の心』を世界に広めたいものです。 こうした想いも宗教的精神としたいと思います。
お礼
基本的には賛同ですが 最近随分他国を差別し悪く言う人も多いです。 ヘイトスピーチ とか言ってましたが 言いかえれば悪口 罵詈雑言ではないでしょうか? 世界の経済の中心ならば それに恥じない日本人であらねばなりませんね どうも大変なりがとうございます。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
回答の中で、水道のシステムを知らなくても蛇口をひねって水を利用することは出来る、といった例えがありましたが、そこから宗教はシステム、信仰は利用者、と思いました。 下水道が完備し、インターネットが普及しているように「宗教」も恩恵を被っている(と思っている)利用者が多数いるから普及し、だから「宗教」を支えているのは「信仰者」であると。 “信仰”する人は多くても、宗教を学ぶ“宗教家”は少ないと思います。 信仰者は喉の渇きを癒したいんですね。 求め心が満たされるなら、なんでもいい、というのが「信仰」にはあると思います。 「信仰」の危ういところです。 そう思うと、確かな宗教を求めるためには学ばなければならないことになりますが、これが大変で。 それならばと、ある時ふと思ったのが、自分の心をよく見つめることで良し悪しを判断しよう、でした。 心は好ましい状態の時は、形容すれば明るく軽く、弾むようでもあります。姿勢でさえシャンと、シャキッと、してきます。 反対に好ましくない状態の時は、暗く重く、姿勢もうつむき加減になってしまいます。 頭の中は自己弁護でいっぱいになります。 こうした自分の心は“実感”なので「信じる」事が出来ます。 だから、好ましい心の世界の象徴である“神様”の根底に自分の好ましいほうの心を置くことにしました。 でも、そのためには自身の「良心」を育てなければならないし、そして自身のそうした心を信じる“勇気”が必要となります。それは信仰の対象である「宗教」の教えを鵜呑みにしないという勇気でもあるからです。 これからの宗教は、各自が自身の好ましい心を信じ、育てる努力をする事で、土台作りをしていきたいものです。
- Masami_Fujii
- ベストアンサー率9% (22/241)
宗教とは何かを辞書レベルで考え直す事から始めましょう。 結局のところ、思想信条に源泉であり、そこには哲学が大概存在するが、 日本で存在している多くの宗教は、宗教の名に値しない者が多い。 それは、宗教ではなく「宗教観」教育ができていないからです。 上述したように、一定の哲学があり思想があり価値が存在する。 そうであるならば、結局、体験してその価値がどうかを判定するしかない。 実際、釈迦は死ぬまでさまざまな経典を生み出した。しかし、それは、 数々の試行錯誤の結果でもある。ダイエット方法でも結局、 体験してやってみないと分からない。それと同じ事です。 どの宗教もある一定の価値を謳い、幸福をどう求めるかという側面がある。 しかし、そのために真理を知る事が必要かというと必ずしもそうではない。 水道の仕組みや素材の仕様を知らなくても、蛇口をひねれば水が出てくると いう事を把握すれば、誰にでも水道水を利用できるのです。これと同じです。 結局、信頼できるかどうかという事になれば、質問者自身の周囲の信仰者を 見て話して判断すればいいだけの事である。そこに風評は要らない。 最後に一つだけ。日本人の多くは無宗教と言い張る者が多いが、宗教観が 理解できないが故に、実際は未宗教と言えるかもしれない。無宗教なのに、 靖国に行かないと戦没者慰霊ができないというのは、その代表例とも言える。 なんなら、ビフォーアフターみたいにレポートでも作ってみたら?
お礼
日本人に「哲学」とか「宗教」とか言うと「え~~~」と言う人が多いですね 考える習慣がないのかなあ?知識はあっても哲学はない? 宗教も妄信のような人が多いように思います。 勿論宗教を持つ人には多くの立派な人もいますが。 出来れば理解して使いたいですね 水道も凍るような時は少しだけ出しておくとか ありますからねえ どうもありがとうございます。
- enylle
- ベストアンサー率15% (61/391)
無宗教。 宗教無しで生きている人がいる以上、必要なものではない。
お礼
僕も無宗教です 親も無宗教です ただ宗教無しでもいいけど 有りでもいいのかなと思って質問しました どうもありがとうございます。
確かな霊能だけではダメで、しかもそれすらない人達の 集まりの宗教というのはそもそも不要かと ここでもご託の粘土こねこねしてる人達いますが?、、 でも見ててもなにも進歩も向上も、その可能性すら感じ られない、、というか真理という物を実は、知りたい訳 ではなく、ご託こねこねして楽しんでいたいだけ、と認 めた人もいたし? イギリスなどで資格・技能として認められた東洋医学の ように、秘教的な治療・改善そして教育としても人格変 容の為の取り組みでも始まらないと、犠牲を払いつつも 遅々として進まない未来を送る事になるのではないです かね? 人類がいつまで存続するかは知りませんが・・・
お礼
宗教の仕事になるか政治・教育の仕事になるか分かりませんが 人間として恥ずかしくない 目的とルール在る人間社会を作らなければなりません 霊能と言うものがどう言うものかは分かりませんが 人類は永遠を 目指すものだと思います どうもありがとうございます。
これからの宗教について。 御利益を期待してはならない。 平和的活動にまいしんすべきである。 この世には陰と陽があることをわきまえ 不足すなわち十全であることを知らなけ ればならない。 ちなみに、わたしは神社の鳥居をくぐっても 賽銭などしません。うしろめたさもないです。 拝殿に向かっても、短く言うだけです。 「元気でしたか?わたしも元気です。」 「さびしくなったら、いつでも呼んでね。」 たとえ神がバチをあてたとしても、恐れる ことはありません。神はもうひとりの わ・た・し・だから。
お礼
神は我々の心の中にいるのでしょうねえ 神は自分だと言うのは言い得て妙だと思います どうも大変ありがとうございます。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
いえいえ、 《バカの飲み薬》!! https://www.youtube.com/watch?v=Qt7fbwHa218 ~~~~~~ 残念無念な脳みそに 終身無能な脳みそに すこぶる効くらしい ただ副作用は三倍返し バカの飲み薬~♪ ~~~~~~ でございます。 中毒になりますと、 日常生活に支障をきたします。 そこから抜けられなくなります。 そして、また、 その苦しさを忘れるために、 《バカの飲み薬》を飲みつづけ、 醒めては三倍返しの副作用に苦しみ、 「ほれ、もう一杯♪」 となります。 宗教とは、所詮、過酷な現実からの逃避のために、人間が作ったものです。 ということで。
お礼
確かにそう言う面もありますねえ 宗教など持たずに 自由に副作用のない人生を歩む訳ですね どうもありがとうございます 端的な意見ですね。
あなたは、今いろんなことを勉強しているのですね。 宗教についても考えるのはとてもいいことだと思います。 しかし、あなたの質問内容を読んでみると、あることに気がつきます。 それは、一つの疑問に対して答えを簡単に決め付けているのですね。 例えば、「超人にでもならないと宗教無しで自信を持って生きるのは難しい」ですが、そんなことはありませんよ。私は仏教、キリスト教、神道を勉強してきましたが、未だに無宗教です。 それは不思議なことではないのです。勉強はしてますが、今までに自分の人生経験で積み重ねてきた考えで生きていけるのです。だから、特別な宗教は必要としていません。だからといって私は超人ではありません。普通の人間です。 そのような人はとても多いのです。 もちろん宗教が必要な人もおりますが、必要とせずに生きていく人もいるのです。
お礼
多くの人が色んな宗教から学んで 捉われずに自信を持ち 智恵ある判断で生きて行けるといいですね 成る程どうもありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
宗教とは、自己チューなまま社会化(分業化による助け合い)するために派生した、アメ(お金、出世)とムチ(法規、モラル)の一種である(アメ=御利益、ムチ=天罰)。 つまり“馬鹿につける薬”。 いつまで馬鹿でいるつもりか分からないけど、自己存在の本質に根差した喜び(=自我仮説の相補としての宇宙(他我)×自己の社会生命性の自覚化(愛)による自律的生)において生きられるぐらい、認識を深めたいものだ。
お礼
認識の深い宗教?宗教は要らない? どっち? どうもありがとうございます。
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- ベストアンサー
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