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受身表現を客観的表現に書き換えて下さい。

実は自分の中だけで起きた出来事について質問があります。 それは受動的な感覚の表現である“発見された(=暴かれた)の客観的な認識の表現または客観的な認識の主体的表現が知りたいということです。 自分は、《§:幻聴と耳鳴りがきっかけだったり、テレビがきっかけの他、車・バイク・飛行機の音に接した、電話口や玄関先で話しているのに接した、喫茶店で働いていて利用者さんが職員さんに注意されているのに接したなどきっかけは様々》ですが、自分の意思で飲み食いする・起きる・冊子を読んでいてページを変えるなどの日常動作をしようとしたが、 様々なきっかけであるもの=《§:》 に気を取られて(?)意思に反してそれらの動作が緩慢になったり、停止したりしたことが過去に何度もありました。 例えばテレビ画面を少し見る→目をはなす→目をはなすのは束の間で再びテレビ画面のほうに視線が行ってしまうこともありました。 意思に反してテレビ画面から視線をそらすことができなかったときは、テレビ画面をじっと見ていたことがあって、《A:一点を見つめたまま視線が動かない状態》となったこともありました。 さらに、寝ている時でも起きている時でも体が固まったりして、寝ている間には意思に反して目が開かなかったりもありました。 ここまでのことが起きている際、自分の記憶の中の言葉『動くな』『食べるな』『飲むな』『ペンをとじるな』『裏返すな』『止める』『制限が入る』・・・・・・・・『ん〈故人の名〉』および過去に自分が体を動かしたり止めたりした記憶などが何らかによって《B:まるで暴かれた(発見された)ような感じ》が起こり、制止に至ったという訳だと思うのです。 ここまでのことは自分の中だけで起きた何らかの現象が起因していたと思われ、すべて自らの主体性を保てない状態だったと思うのです。 ここで質問です。 ★《A:一点を見つめたまま視線が動かない状態》を「目が据わる」と表現するのは、合ってますか?それとも間違いですか? 僕は、一点を見つめたまま視線が動かない状態だった時、“お酒に酔ったりしていた”訳ではありませんでした。 ★《B:まるで暴かれた(発見された)ような感じ》と文中にありますが、これは受動的な感覚の主体的表現です。 これを客観的な認識の表現または客観的な認識の主体的表現に言い換えた表現を教えて下さい。 1つだけでなく、いくつか知っていたらそれを教えて下さい。 最後に僕は抽象的な言葉、観念的な表現、比喩、皮肉などの難しい言葉を理解することが苦手なので抽象的ではない、具体的な表現であるわかりやすい言葉で答えて下さると嬉しいです。 ※以上のことでわからない箇所があったら、どこがどういうふうにわからないのかも回答下さい。

noname#181272
noname#181272

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  • asuncion
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回答No.1

>受身表現を客観的表現に書き換えて下さい。 AをBに書き換える、ということは、AとBとは対の概念であるような気がするのです。 ところが、受身と客観的とは対の概念ではありません。 受身(受動態)表現を能動態の表現に書き換えてください。 とかだったら、まだわかるんですけれど。

noname#181272
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >AをBに書き換える、ということは、AとBとは対の概念であるような気がするのです。 ところが、受身と客観的とは対の概念ではありません。 : いや、そういう訳ではないです。 ★《A:一点を見つめたまま視線が動かない状態》を「目が据わる」と表現するのは、合ってますか?それとも間違いですか? 僕は、一点を見つめたまま視線が動かない状態だった時、“お酒に酔ったりしていた”訳ではありませんでした。 ★《B:まるで暴かれた(発見された)ような感じ》と文中にありますが、これは受動的な感覚の主体的表現です。 これを客観的な認識の表現または客観的な認識の主体的表現に言い換えた表現を教えて下さい。 : ―――の質問は2つあります。 前者は「目が据わる」という表現を使うのは合っているかどうかを聞いたのです。 後者は受動的表現を客観的表現に言い換えて下さいと聞いたのです。 回答者さんは“客観的な認識の表現”という意味を知らないのですか? 後者の質問に関しては能動態に言い換えたいのではなく客観的な表現に言い換えた表現が知りたいと言うことです。 ここまで理解できたのなら、再度回答下さい。

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  • 客観の定義付けの問題

    まず「認識主体を持たない」という意味ではありません。(当たり前です) 「主体性をもたない」が「特定の主観に依存しない」という意味ならそんな事を確かめる手段はありません。←勘違いです。これは鶴の一声的な意味であり、そのように決まった共通認識は主観に過ぎないということを述べたまでです。(社長がこうすると独断で決めたことを共通認識しても客観的になりえないという意味) 「文が客観である」だと広義的にし過ぎるので現実的に中身がないものになります。 例えば「俺はこう考えている」と言語化した場合、概念は客観的だが内容は主観的になります。しかし客観だと主張されても間違いではないのですが実際には納得できることではないです。客観についてという文を書き「今、書いていることがすでに客観である。」と書かれても同じく概念的には間違いではないことではあるがこれも納得しづらくなります。(パンツはパンツでもゴムがヨレヨレではけないパンツならパンツの意味を為してないのと同じ) もちろん概念的なことを求めているならそれでも良いのでしょうが、それだとパラドックスやアンチノミー的な問いになりやすくエンドレスにループします。 「言語は現象に先立つ」という謎めいたことにもなりますからね。 それなら狭義的に「主体性をもたない共通認識」の方が良いと考えます。 文を反対しているのではなく表現的な問題であって意味合い的には近いので誤解なきように。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ”解説” 客観とは、狭義的に「主体性をもたない共通認識」の方が良いとする彼の見解 に異議、再検討、または、反論し、反駁し、更新できる方はいるでしょうか? また、この見解にほぼ同意せざるをえないものを感じた方からの回答も待っています。

  • 『国語』カテゴリに質問があります。

    以下の文章を検討し、書き換え文を書いて下さい。 僕は本をあまり読まないし、知っている言葉もそんなに多くはないと思うのです。 【1】7月10日16時頃、メモ用のノートに自分の中で起きた出来事をメモしている最中に、耳鳴りと幻聴が我慢できなくなり始めた時刻を書くために電子時計のほうを向いた。《A:向いてすぐに勉強机に置いたメモ用のノートのある所を向いた》が、《C:不快な耳鳴りと幻聴がきっかけでAの動作が止まったり、Aの動作が困難だったりした。》これが一時的に起きた。こういうようなことは7月10日以前にも何度かあった。ノートに自分の中で起きた出来事をメモしたり、電子時計のほうを向いたりしたことなどは自分自身の記憶が元になったと思う。 : これについて、「電子時計のほうを向いた」イコール「振り返った」という意味なのです。 「電子時計のほうを向いた」イコール「180度目をそらした(振り返った)」という意味で、 Cについては主体性を保てなかったということです。 それと「振り返る」の対義語も知りたいです。 【2】6月30日喫茶店で働いて、13時半に迎えに来てもらい、14時に家に着いた。それからパソコンを起動した。パソコンを起動してから、掲示板などでメッセージが来ているかどうかチェックした。その時、文字(文章など)の中に我々が《B:こびりつけた》読み方が混じっていて、自分がそれを目にした時に、我々が《B:こびりつけた》読み方が浮かび上がった。その時、幻聴で「みんな(見るな)」と聞こえ、不快でつらかった。「みんな(見るな)」と聞こえたことについて、自分は文字(文章など)の中に我々が《B:こびりつけた》読み方が混じっていたのを目にした時に、我々が《B:こびりつけた》読み方が浮かび上がることについてを《D:否定されたことを言われた》感じがしたと思った。 こういうことがあったきっかけは自分の中で起きた何らかのことが関連していたと思われる。 ここで質問です。 Q1.Dは受動的な感覚の表現です。これを客観的な認識の表現あるいは客観的な認識の主体的表現に言い換えて下さい。それと言い換えた表現はできれば何個か教えて下さい。 この質問について、前者は受動的な感覚の表現、後者は客観的な認識の表現です。 こういうような感じで言い換えてもらいたいということです。 (1)頭の中で言わされた  →頭の中で○○という言葉が無意識に浮かんだようだった (2)まるで操られた  →無意識に体が動いた・無意識に行動していた・無意識に言葉が出た (3)昼ご飯を食べることが禁止された  →昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたした (4)脳の中身すべてが動かされている  →脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる Q2.A・B・Cの別表現をいくつか教えて下さい。1個だけでも良いです。できれば全部教えて下さい。 ★できれば《 》内の表現以外の文も言い換えてくれたら嬉しいです。 ●それと、質問内容でわからない箇所があったらどこがどういうふうにわからないのかも回答下さい。

  • どういう文章で質問したら回答がつきやすくなるか。

    ★テレビ画面に視線が行った時に起きた出来事である。テレビ画面から目を離したかったのに、離すことができなくなったこと、離す動作が勝手に止まったことがあった。そういう時に自分の意思でテレビから目を離すと「テレビのキャスター」という言葉が勝手に浮かんだ。要するにこういうことは頭の中で起きた出来事だと思う。《記憶にあった言葉を使って操られた感じ》だと思う。 ★印の文章について、《記憶にあった言葉を使って操られた感じ》を下記の解釈の表現に書き換えててもらいたいのです。   ・被害感情を無くした表現 こういう質問を『心理学』カテゴリに投稿してみたのですが、2時間以上経っても回答が1件も来ない状況でした。 意味不明な部分があるなら、どこが意味不明なのか疑問に思いました。 どのような質問の仕方が回答がつきやすくなるかを教えて下さい!

  • 「発見された」という表現について 教えてください。

    統合失調症と高機能自閉症の20代男性です。 実は以下のような症状があったんです。 ★過去に自分が行ったものかどうかわからないが、死んだ人の名前が自分の中にあったのが他人または人を超越したもの(例えば幻聴や耳鳴り・テレビの内容など)に発見された感じがあって、他人または人を超越したものを非現実的に感じてしまい、口を開けることが邪魔された。 ★テレビ画面から目をそらしたり、違う所を向こうとする、声を出す、パソコン画面をスクロール=操作する、座る、食べる、飲む、口を開ける動作をしようとしたが、幻聴・耳鳴り・テレビとか喫茶店で働いていてご飯を休憩室で食べていて、喫茶店の職員さんが休憩室にきた時、親が電話している時とかに一時的にそれらの動作ができなかったり、したいようにする動作が止まった  要するに操られた感じがした。「食べるな」「動くな」という言葉が自分の中にこびりついていたのが他者に発見させられた感覚もあった。(要するにその言葉が出てきたりすること) 自分にはこのようなのは行動や動きに制限が入る感じだと思った。 ★実際には心臓はずっと動いていたのに、自分の中にあった「動くな」という言葉が他人または人を超越したもの(例えば幻聴や耳鳴りとか)に発見された感じがあった。他人または人を超越したものを非現実的に捉えてしまい、通常通りに心臓の動く感覚を感じられなかった。 ★自分の中で音楽が流れてそれに合わせて声に出さないで歌唱したり、何か声に出さないで言っていると、自分の中に「動くな」という言葉があって、それを他人または人を超越したものに発見された感じがして、声に出さないで何かを言ったり、脳内音楽で声に出さないで歌ったりすることに意識を向けざるを得なかった。 ★喫茶店で働いて操られたことがあって、喫茶店から帰ってきた直後から 操られたのを他人または人を超越したものに発見されたと感じたこともありました。 ★自分の中にいろいろな人の名前がこびりついていて、それを他人または人を超越したものに発見されて操られた感じがあった。 ここで質問があります。 心理学出身の人から「発見された」というのは「他人または人を超越したものに自分の内面を見透かされている」と思うことを聞きました。 「発見された」「他人または人を超越したものに自分の内面を見透かされている」というそれぞれの言葉の意味は同じような意味ですか?それとも似たような意味か、異なるんですか? 「発見された」=「取り出された」 意味は違うんでしょうか? ★印の症状で「発見された」という表現が間違っていれば、正しくはどう表現すればいいんでしょうか?

  • 頭の中で起きた出来事について質問です!

    以前にも質問したような内容ですが、再度沢山のご回答を戴けると助かります! ★テレビ画面に視線が行った時に起きた出来事である。テレビ画面にふと視線が行って速やかにテレビ画面から目をはなしたり自分の意思でテレビ画面から目をはなしたりしたのにはなすことが思うようにできなかったことが何回かありました。それは意に反した動作で制限がかかった感じだと言えます。テレビで放送していた出演者さんが僕のテレビ画面から目をはなす行為に制限をかけているように感じた時に、自分の意思でテレビ画面から目をはなしたりすると「テレビのキャスター(過去にテレビの出演者さんを認識した名前です)」と勝手に名前が浮かびました。 ★今日(6月27日)喫茶店から帰ってきた直後にパソコンなどに書いてある文字を見ると、その文字が喫茶店の利用者さんの顔に見えた。その顔は今日(6月27日)喫茶店で見た利用者さんの顔が頭の中に長く焼き付いていたものだと思う。喫茶店から帰ってきた直後、頭の中に「ほっとく」「(頭の中に焼き付いているのを)消す」などの言葉が浮かんだ時に、喫茶店の利用者さんの名前(本日喫茶店で仕事中に見た顔)が勝手に浮かんだ。 ★「どこにも行かない」「4時10分」「あと5分」というふうに言葉が浮かんだ直後に「おい」という幻聴が聞こえたり、近所の家の犬が吠えたりした。すぐに「どこにも行く」「0時10分」「あとマイナス分」と頭の中でだと思うが、言葉が変換された感覚があった。変換された言葉は速やかに元に戻ったのですが、それを自分が嫌がって自分の意思で言葉が元に戻る感覚を止めようとした。その時、僕の小学・中学校の時の同級生の名前が勝手に浮かんだというようなことがありました。 ★印の文章について、同級生の名前・喫茶店の利用者さんの名前、「テレビのキャスター」という過去に出演者さんを認識した名前が浮かんだというのは、まるで何者かに操られたような感覚を伴うものだと感じました。 どういうふうに操られた感じがしたかというと、自分ではない何かが名前をあらゆるものの何かにくっつけて操ったような感じがしたということだと思います。 こういうことは自分の中で起きた何らかの理由で起きたイコール何らかの理由で質問内容の症状と結びついたと思います。 ここで質問です。 こういうことが起きた経験はありますか?どなたか、詳しくご回答下さい! (同じ経験でも似たような経験でも良いので、どなたか詳しく教えて下さい。)