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『国語』カテゴリに質問があります。

以下の文章を検討し、書き換え文を書いて下さい。 僕は本をあまり読まないし、知っている言葉もそんなに多くはないと思うのです。 【1】7月10日16時頃、メモ用のノートに自分の中で起きた出来事をメモしている最中に、耳鳴りと幻聴が我慢できなくなり始めた時刻を書くために電子時計のほうを向いた。《A:向いてすぐに勉強机に置いたメモ用のノートのある所を向いた》が、《C:不快な耳鳴りと幻聴がきっかけでAの動作が止まったり、Aの動作が困難だったりした。》これが一時的に起きた。こういうようなことは7月10日以前にも何度かあった。ノートに自分の中で起きた出来事をメモしたり、電子時計のほうを向いたりしたことなどは自分自身の記憶が元になったと思う。 : これについて、「電子時計のほうを向いた」イコール「振り返った」という意味なのです。 「電子時計のほうを向いた」イコール「180度目をそらした(振り返った)」という意味で、 Cについては主体性を保てなかったということです。 それと「振り返る」の対義語も知りたいです。 【2】6月30日喫茶店で働いて、13時半に迎えに来てもらい、14時に家に着いた。それからパソコンを起動した。パソコンを起動してから、掲示板などでメッセージが来ているかどうかチェックした。その時、文字(文章など)の中に我々が《B:こびりつけた》読み方が混じっていて、自分がそれを目にした時に、我々が《B:こびりつけた》読み方が浮かび上がった。その時、幻聴で「みんな(見るな)」と聞こえ、不快でつらかった。「みんな(見るな)」と聞こえたことについて、自分は文字(文章など)の中に我々が《B:こびりつけた》読み方が混じっていたのを目にした時に、我々が《B:こびりつけた》読み方が浮かび上がることについてを《D:否定されたことを言われた》感じがしたと思った。 こういうことがあったきっかけは自分の中で起きた何らかのことが関連していたと思われる。 ここで質問です。 Q1.Dは受動的な感覚の表現です。これを客観的な認識の表現あるいは客観的な認識の主体的表現に言い換えて下さい。それと言い換えた表現はできれば何個か教えて下さい。 この質問について、前者は受動的な感覚の表現、後者は客観的な認識の表現です。 こういうような感じで言い換えてもらいたいということです。 (1)頭の中で言わされた  →頭の中で○○という言葉が無意識に浮かんだようだった (2)まるで操られた  →無意識に体が動いた・無意識に行動していた・無意識に言葉が出た (3)昼ご飯を食べることが禁止された  →昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたした (4)脳の中身すべてが動かされている  →脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる Q2.A・B・Cの別表現をいくつか教えて下さい。1個だけでも良いです。できれば全部教えて下さい。 ★できれば《 》内の表現以外の文も言い換えてくれたら嬉しいです。 ●それと、質問内容でわからない箇所があったらどこがどういうふうにわからないのかも回答下さい。

noname#181272
noname#181272

みんなの回答

noname#163132
noname#163132
回答No.4

連続ですみません、No.1~3です。 No.2での当方の【2】に関しての回答( 特に“こびりつけた読み方”に関すること )は、こちらが頭でっかちに難しく考え過ぎてしまっていた様なので、一度白紙に戻してNo.1でいただいた補足のおさらいをしたいと思います。 No.1でのご返信には、 >主治医から聞いたことですが、以下の内容です。 >★あらゆるものに意味・読み方・イメージが潜在していることが本当かどうか  我々はあらゆるものに名前をつけて考える。名前をつけて覚えている。そのことを思い出せばイメージがくっついている。それが潜在していると言ったら言えないことはない。 ―― とありますが、“★” は質問者さんの発言ということですか? 「あらゆるものに意味・読み方・イメージが潜在していることが本当かどうか」とあるのは、質問者さんが主治医に投げかけた問であり、これに対し、主治医は、 「我々はあらゆるものに名前をつけて考える。名前をつけて覚えている。そのことを思い出せばイメージがくっついている。それが潜在していると言ったら言えないことはない。」と答えたということでいいですよね。 これは、つまり次のようなことだと思います。 例えば、パンダ(ジャイアントパンダ)。 パンダについて語り合ったり説明するときには、名前を省略してしまっては何のことを言っているのかさっぱり解らなくなってしまいます。 会話をスムーズに進めるためにはどうしても名前は必要です。 そして、パンダと言えば、 ・白がベースで目の周りと耳、手足が黒い熊に似た動物である。 ・繁殖力が弱く希少動物である。 ・日中の国交回復が実現したとき、友好の証として  上野動物園に、ランランとカンカンがら送られたことが  パンダにとっての初来日となった。 ・笹をよく食べる。 ・仕草がかわいらしい。 ・人気者である。   ―― などの事柄があげられます。 ここで挙げたのはパンダのことだけで、ほんの一例ですが、確かにあらゆるものには “イメージがあります”し、与えられた“名前”があります。 そしてその名前は“文字”で表記することが可能だし、その文字には必ず“読み方”があります。 とすると、No.1でのご返信には、 >あらゆるものというのは新聞やテレビ、看板、広告、パソコンの中のインターネットやメールなどに文字が書いてあって、そこには我々がつけた読み方が混じっているということを言ったのです。 とありますが、“我々がつけた読み方” とは、つまりそれぞれの物質や生物に付けられた「名前のこと」とであり、それが「音声化されること」ですよね? というのも、 >浮かび上がるというのは、「あらゆるものの中に名前などが混ざったもの」を自分が目にした時に「名前」が浮かび上がるということです。 自分が学習したことが頭の中にインプットされていて、「あらゆるもの」を目にした時に頭の中にインプットされていた「読み方」が浮かび上がり、それは他人には聞こえない形で言語化したということなのです。 ―― とありますから。 文字が音声化されて頭の中で再生される、このこと自体は特別に不思議なことではないと思います。 例えば漫画ですけれど、頭の中で音声を再生させずにササッと読む人もいれば、アニメを観ているときのようにキャラクターに合わせた声を頭の中で作り出して読む人もいます。普通に新聞記事を読むときも、頭の中で音声(例えば自分の声)を再生させて読む人もいます。無音状態で読む人ももちろんいますけれど。 質問者さんが苦しんでいるのは、何か文字で書かれていて意味のあるものを目にしてしまうと、やたらと名前の部分に反応してしまい、その名前が頭の中で音声となって聞こえてしまうということなのでしょうか? 名前ばかりが頭の中でこだまするようで煩わしく、またそうなってしまうことを幻聴に責められた様に思えて辛かった。 そのときの心情を【2】で述べていた。そういう解釈でよろしいでしょうか? この回答での確認作業が済んでから、No.2のご返信について回答して行きたいと思います。 申し訳ないことに、連続の上に長文です… 返信は急ぎませんので、都合の良いときで結構です。

noname#181272
質問者

お礼

詳しい回答ありがとうございます。 長文ですが、これだけ詳しい回答がもらえて嬉しいです。 まず、1つずつ質問に答えますね。 No.1でのご返信には、 >>主治医から聞いたことですが、以下の内容です。 >>★あらゆるものに意味・読み方・イメージが潜在していることが本当かどうか  我々はあらゆるものに名前をつけて考える。名前をつけて覚えている。そのことを思い出せばイメージがくっついている。それが潜在していると言ったら言えないことはない。 >―― とありますが、“★” は質問者さんの発言ということですか? 「あらゆるものに意味・読み方・イメージが潜在していることが本当かどうか」とあるのは、質問者さんが主治医に投げかけた問であり、これに対し、主治医は、 「我々はあらゆるものに名前をつけて考える。名前をつけて覚えている。そのことを思い出せばイメージがくっついている。それが潜在していると言ったら言えないことはない。」と答えたということでいいですよね。 : そうです。自分が主治医に投げかけた問いが★印の内容です。 それに対し、主治医が答えた内容です。 【A】回答者さんに質問します。 「我々はあらゆるものに名前をつけて考える」という言葉の意味をどれだけ理解できたかが知りたいです。 もし理解できたのなら、どういうふうに理解できたか、教えて下さい。【ここまでA】 >確かにあらゆるものには “イメージがあります”し、与えられた“名前”があります。 そしてその名前は“文字”で表記することが可能だし、その文字には必ず“読み方”があります。 : 【B】イメージや読み方、名前は人類が誕生した時からあったかどうか、疑問に思いました。知りたい内容です。【ここまでB】 >あらゆるものというのは新聞やテレビ、看板、広告、パソコンの中のインターネットやメールなどに文字が書いてあって、そこには我々がつけた読み方が混じっているということを言ったのです。 とありますが、“我々がつけた読み方” とは、つまりそれぞれの物質や生物に付けられた「名前のこと」とであり、それが「音声化されること」ですよね? : 【C】“我々がつけた読み方”と“音声化される“ことは別だと思います。 我々がつけた読み方というのが、それぞれの物質や生物に付けられた「名前」のことという解釈は間違ってないと思います。 例えば私たちが文章を声に出したり黙読する際に、文章の中に「読み方(いわゆる名前)」をつけて考えたり覚えたりするのですが、「つける」の別表現が知りたくなりました。【ここまでC】 【D】それと、音声化されるという言葉の意味がわかりません。 ‘文字が音声化されて頭の中で再生される、このこと自体は特別に不思議なことではない’も含めてわかりやすく教えて下さい。【ここまでD】 ※浮かび上がるというのは、「あらゆるものの中に名前などが混ざったもの」を自分が目にした時に「名前」が浮かび上がるということです。 自分が学習したことが頭の中にインプットされていて、「あらゆるもの」を目にした時に頭の中にインプットされていた「読み方」が浮かび上がり、それは他人には聞こえない形で言語化したということなのです。 : これに関して、読み方や意味が浮かび上がるというのは、頭の中で浮かび上がることもあれば、声に出ることもあるのです。 私信ですが、自分はお風呂で大声を出したり歌ったりしたことがあるのですが、これは頭の中にインプットされていた音楽や声が出てきたと言うことだと思うのです。 声には出ないけど、読み方や意味が浮かび上がるのは音声化とは言わないだろうと思いました。 >質問者さんが苦しんでいるのは、何か文字で書かれていて意味のあるものを目にしてしまうと、やたらと名前の部分に反応してしまい、その名前が頭の中で音声となって聞こえてしまうということなのでしょうか? 名前ばかりが頭の中でこだまするようで煩わしく、またそうなってしまうことを幻聴に責められた様に思えて辛かった。 そのときの心情を【2】で述べていた。そういう解釈でよろしいでしょうか? : 名前が頭の中で音声となって聞こえる訳ではないです。 声には出なかったけど、名前が浮かび上がったということです。 たぶん言語化されたということだと思うのですが・・・ 【E】「こだまする」という意味ですけど、頭の中で響くという意味で合ってるか、確認の回答が知りたいです。 たぶん頭の中で響く訳ではなかったのですが・・・ 声には出なかったけど、名前が浮かび上がったことに対し、幻聴の「見るな」が聞こえて責められた感じだと思います。 でも今は名前が浮かび上がることに対し、「見るな」と聞こえ、責められている感じはありません。 #3のお礼欄に【1】について書いておきます。

noname#181272
質問者

補足

#3と#4のお礼欄に返事を書いたのですが、ちっとも返事が来ないじゃねぇか!!! どういうことだとイライラする。 回答者さん、なぜ朝7時にお礼を書いたのに返事をくれないんですか?

noname#163132
noname#163132
回答No.3

>《A》‘実際は「度重なる制御不能な反復行動に困惑していた’という言葉の意味について確認ですが >総括して言うと、「同じような行動が何度も繰り返され、思うように動けなくどうしてよいか判断がつかず迷う」という意味で合っているかどうかが知りたいです。 語句の解釈ですが、概ね こちらが言いたかったことは伝わっていますし、辞書通りの解釈だと、まさしくその通りになります。 ただ、「困惑」については、確かに『大辞泉』では「どうしてよいか判断がつかず迷うこと」とありますが、 【困惑】:『大辞泉』 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&p=%E5%9B%B0%E6%83%91&oq=    回答では、「どうしてよいか解らなくて戸惑うこと・予想外のことにどう対処していいのか解らず まごつくこと」という意味(どちらかというと『大辞林』寄りの解釈)で書いています。 【困惑】:『大辞林』 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%9B%B0%E6%83%91&stype=0&dtype=0&dname=0ss 【戸惑う】:『大辞林』 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&p=%E6%88%B8%E6%83%91%E3%81%86&oq=&dname=0ss 実際には、メモを取りたいという気持ちがあって行動に移したい、現実にはどうしたいのかという意思があるにも関わらず、何故か思い通りにはできない。 だから、「どうしようもない、為す術がない、途方に暮れる、うろたえる」そういう意味合いで “困惑” という言葉をここでは使いましたが、“戸惑う”と言い換えた方が、咄嗟のことに為す術がなく困っているという感じが強い印象があるので、こちらの方が適切な表現だったなと思いました。 ですから、「度重なる制御不能な反復行動に困惑していた」と表現したのは、より厳密に言い換えますと、「度重なる制御不能な反復行動に戸惑っていた」(=何度も自分の意思に反した繰り返し行動を起こしてしまい、予想外のことにどうしたものかとうろたえていた)ということになります。先の回答に関しては、こちらの意味で解釈していただきたいと思います。 また、No.2でのご返信には次のようにありますが、 >《B》(1)電子時計に視線が行く(2)机上のメモ帳に視線が元に戻ったが、意思に反して電子時計に視線が行ってしまった これだけの出来事があったのも、「繰り返す」はめなのかどうかが知りたいです。 これに関連するNo.1でのご返信には、 >電子時計を振り返って見てすぐさまメモに取りかかろうと視線を机上に戻して好きなように動作をしようとしたんですが、電子時計を振り返る→視線を机上に戻す→すぐに電子時計を振り返るということが起きたのです ―― とありました。 No.2のご返信での情報だと電子時計は2回見たことになりますが、No.1の情報だと電子時計は3回見たことになります。ですから、No.1でのご返信情報をそのままに受け取ると、「繰り返す羽目になった」としても、決して大袈裟ではないと思います。 No.1のご返信情報を元に書き出すと、以下のようなことが起きていたと思うのです。 -----------------------------------------------------------    ア)「メモ帳に気になる症状を書いていた “視線は机上のノート”」 → イ)「メモ帳に症状の始まった時刻を記すために “電子時計に視線を向ける”」                           <電子時計を見る:1回目>                            → ウ)「すぐさま時刻を記そうと “机上のノートに視線を戻す”」 → エ)「時刻を記す間もないまま、再び“電子時計に視線が行ってしまう”」                           <電子時計を見る:2回目> → オ)「再び時刻を記そうと “机上のノートに視線を戻す” 」 → カ)「再び時刻を記す間もないまま、“電子時計に視線が行ってしまう”」                           <電子時計を見る:3回目> → キ)「中々机に向かうことができずメモを取る作業が中断されてしまう。                 “視線は電子時計に注がれたまま(私の推測です)”」 → ク)「作業再開 “視線は机上のノート”」 <視線の動き> ノート → 電子時計(1) → ノート → 電子時計(2) → ノート → 電子時計(3) → <作業停止> → ノート<作業再開> -------------------------------------------------------------- 電子時計は一回見れば、時刻を確認するのは充分です。 でも、実際は少なくとも二度は見ていることになりますし、その後、作業の再開に苦労なさったのですよね。 時計を二度見たことを「たったこれだけの出来事」とするのか、「繰り返す羽目になった」と難儀なことと受け止めるのかは、質問者さん自身がどれだけ困っていたかという主観の問題となります。ですから、どういった表現が適切であるのかを決めるのは質問者さん自身で良いと思います。 しかし、繰り返しよりも、作業が滞ってしまったことの方が難儀だったのならば、【1】の文章は次のように改めると良いと思いました。 『7月10日16時頃、自己観察ノートに耳鳴りと幻聴が我慢できなくなり始めた時刻を記そうと思い立ち、後ろを振り返り電子時計で時刻を確認した。そのままメモに取り掛かろうと机上のノートに視線を戻したが、不快な耳鳴りと幻聴がきっかけで一連の作業が滞ってしまった。というのも、机に向かったのも束の間で、意思に反して再び時計を振り返って見てしまうという行為が起きてしまい、記述を再開することが困難となったからだ。一時的なことではあったが、このようなことは以前にも何度かあった。しかし、ノートに自分の中だけで起きた出来事をメモしたり、時計を振り返って見たことは、自分自身の意思でしたことだと思う。』 また、私は【1】の終わりの文章を原文には「ノートに自分の中で起きた出来事をメモしたり、電子時計のほうを向いたりしたことなどは自分自身の記憶が元になったと思う。」とあるのを『ノートに自分の中だけで起きた出来事をメモしたり、時計を振り返って見たことは、自分自身の意思でしたことだと思う。』のように書き直していますが、この点に異議はありませんか? 繰り返しになりますが、 No.1でのご返信には、 >電子時計を振り返って見てすぐさまメモに取りかかろうと視線を机上に戻して好きなように動作をしようとしたんですが、電子時計を振り返る→視線を机上に戻す→すぐに電子時計を振り返るということが起きたのです >要するに主体性を保てなかったということなんです。 ―― とありますから、電子時計を振り返って見たことは、二度目以降は無意識でしてしまったことであり、進んでしたかったことではありませんよね。 だとすると、お終いの部分は、『ノートに自分の中だけで起きた出来事をメモしたり、最初に時計を振り返って見たことは、自分自身の意思でしたことだと思う。』としないと変じゃないかと思いました。 “最初に時計を振り返って見たことは” と断り書きを入れないのであれば、ここは、原文の表現を生かして、『ノートに自分の中で起きた出来事をメモしたり、電子時計を振り返って見たことは自分自身の記憶が元になったと思う。』とした方が良いのではないかと思います。 【2】については、読みこなしに時間が掛かりそうなので、もう少し時間を下さい。 回答ではなくて、補足要求を主とした確認作業になってしまうと思いますが、それでもよろしければ…

noname#181272
質問者

お礼

#4のお礼欄に【2】のお礼を書きましたが、#3のお礼欄にも【1】のお礼を書いておきます。 「度重なる制御不能な反復行動に困惑していた」ことに関してですが、何度も自分の意思に反した繰り返し行動を起こしてしまい、予想外のことにどうしたものかうろたえていた訳ではないです。 電子時計を2回見たか3回見たかどうかは忘れてしまって、思い出せません。 たぶん2回だったと思います。 ということは、#2での言い換えというより、#3の言い換えのほうが合っていると思うのです。 こういうことを精神科の診察で主治医に伝えるつもりなら、以下のような内容で伝えようと思います。 〔7月10日16時頃、自己観察ノートに、自分の中だけで起きた出来事を書いている最中に、耳鳴りと幻聴が我慢できなくなり始めた時刻を記そうと思い立ち、後ろを振り返り電子時計で時刻を確認した。そのままメモに取りかかろうと机上のノートに視線を戻したが、不快な耳鳴りと幻聴がきっかけで一連の作業が滞ってしまった。というのも、机に向かったのも束の間で、意思に反して再び電子時計を振り返って見てしまうという行為が起きてしまい、記述を再開することが困難となったからだ。一時的なことではあったが、このようなことは以前にも何度かあった。しかしノートに自分の中だけで起きた出来事をメモしたり、時計を振り返って見たことは、自分自身の意思でしたことだと思う。つまり記憶が元になっていたと思う。〕 : 「こういうような実例はご存知かどうかと、こういうような内容は本(先生が読んだことのあるものも無いものも)に書かれているか知りたいです。」という質問と、「メモを取るために時刻を確認しようと振り返って電子時計を見たすぐさまに机上に視線を戻そうとしたが、意思に反して視線が電子時計と机上のメモ帳の間を行ったり来たりを繰り返してしまったという実例をご存知かどうかと、こういうような内容は本に書かれているか知りたいです」という質問を主治医にしようと思いました。 【F】↑の質問の仕方は正しいかどうか知りたいです。もし間違っていたらどういうふうに質問したらいいか、文を手直しして欲しいです。【ここまでF】 >私は【1】の終わりの文章を原文には「ノートに自分の中で起きた出来事をメモしたり、電子時計のほうを向いたりしたことなどは自分自身の記憶が元になったと思う。」とあるのを『ノートに自分の中だけで起きた出来事をメモしたり、時計を振り返って見たことは、自分自身の意思でしたことだと思う。』のように書き直していますが、この点に異議はありませんか? : 『ノートに自分の中だけで起きた出来事をメモしたり、時計を振り返って見たことは、自分自身の意思でしたことだと思う。つまり自分自身の記憶が元になっていたことだと思う』と書き表したほうが良いかな、と思いました。 >繰り返しになりますが、 No.1でのご返信には、 >電子時計を振り返って見てすぐさまメモに取りかかろうと視線を机上に戻して好きなように動作をしようとしたんですが、電子時計を振り返る→視線を机上に戻す→すぐに電子時計を振り返るということが起きたのです >要するに主体性を保てなかったということなんです。 ―― とありますから、電子時計を振り返って見たことは、二度目以降は無意識でしてしまったことであり、進んでしたかったことではありませんよね。 : 電子時計をふりかえって見てしまう行為が2回以上続いたかどうかは上述したとおりで、無意識でしたかどうかはわかりません。 進んでしたかったことではないです。 幻聴と耳鳴りに気をとられてそうなったと思います。 #3、4のお礼欄に書いたことに対する回答を再度下さい。

noname#163132
noname#163132
回答No.2

No.1です。丁寧なお礼と補足をありがとうございました。 【1】について >《ここまでA》 はい、そうです。‘自己観察ノート’と言い換えましたが、この部分は原文の表現を生かして、「自分の中で起きた出来事のメモ帳」などとしても構わなかったのですが、ノートの記述内容と目的に関しては、この後の説明で充分補えるので、冒頭では手短に解りやすく伝えた方が読み手に理解して貰いやすいのではないかと考え、そのように手直しいたしました。 >《ここまでB》 “動作が緩慢に” という表現についてですが、 >《C:不快な耳鳴りと幻聴がきっかけでAの動作が止まったり、Aの動作が困難だったりした。》これが一時的に起きた。 ―― という ご質問の記述から受けた印象をもとに、私の思い込みで書いてしまいました。特に “Aの動作が止まったり、Aの動作が困難だった” とあることから、動きそのものがストップしがちで、ぎこちなくなってしまった、つまり、耳鳴りや幻聴に気を取られるばかりで動作そのものが思い通りに行かなくなり、非常にゆっくりになってしまったのだと考えてしまったからです。 実際は「度重なる制御不能な反復行動に困惑していた」というのが、本来伝えたかったことだったんですね。 現実に沿って、この箇所(元々のご質問のCに当たる部分)を表現するのなら、 『不快な耳鳴りと幻聴がきっかけで同じ動作を繰り返してしまった。即ち、メモを取るために時刻を確認しようと振り返って電子時計を見たわけだが、意思に反して視線は電子時計と机上のメモ帳の間を行ったり来たりを繰り返してしまった(要するに、首ごとひっきりなしに前を向いたり後ろを向いたりを繰り返す羽目になったのだった)。このため、筆記作業に移すことはとても困難であった。』とすると良いと思います。 >>「振り返った」と書いた方が表現が自然で、第三者に読んでもらうときには意味の通りが良いと思うのですが、「電子時計のほうを向いた」とあるのは、自分の意思でしたこととは思えない面があるからなのでしょうか。  : 違います。電子時計を振り返って見たという表現が自然だと思いました。 同意です。私も“電子時計を振り返って見た” という表現が自然で良いと思います。 表現は少し違いますが、この箇所は前回の回答では、 >時計を振り返って見たことは、自分自身の意思でしたことだと思う。 ―― と添削しています。 >《ここまでC》 振り返るという表現を使っているからには、首、もしくは体ごと顔が後方を向いていること(視線が後方に向けられている状態にあること)は容易に解ります。 ですから、このご質問の場合は「視線を机上に戻す」または、「机に向き直る」として問題なく、どういった動作であったのかは読み手にスムーズに伝わるので、この表現で目的は果たせている、つまりは、こういう言い方で合っていると思います。 実際には、ただ視線を移すだけではなく、「振り返る」という首が揺さぶられる反復行動に悩まされたわけですから、この少し上記述したように、 >(要するに、首ごとひっきりなしに前を向いたり後ろを向いたりを繰り返す羽目になったのだった) と詳細を書き添えることで、困惑の度合いを強調しても良いと思います。 ----------------------------------------------------- 【2】についてですけれど、 “こびりつけた読み方” とは、「固定観念に囚われた読み方」 「言葉を見聞することで蘇る図式化されたイメージ」 または、「言葉が公式化されてしまうこと」や「言葉によって抽象化された概念」を意味し、“我々” とは、そのまま私たち人類、即ち言葉を頼りにコミュニケーションをとる世界中の人々のことを指しているということで宜しいでしょうか。 これに異議がなければ、【2】の文章を以下の様に添削したいと思います。 『6月30日喫茶店で働いた。13時半に迎えに来てもらい、14時に家に着いた。その後パソコンに向かい、掲示板などでメッセージが来ているかどうかをチェックした。その時、文字(文章など)の中に世間で固定化されているイメージを見つけてしまい、共通認識としてのある概念が思い浮かんだ。すると突然、「みんな(見るな)」と幻聴が聞こえ、不快でつらかった。「みんな(見るな)」という声に対し、自分は文字(文章など)の中に、我々が共通認識として持っている概念に対しての非難を感じ取ったからだ。 このことは、自分の中で起きた何らかの現象が起因していると思われる。』 再度の問で申し訳ないのですが、私には充分に理解できていないので参考にお訊きしたいのですが、 >自分が思ったことなのですが『頭の中にインプットされていたものが浮かび上がった』と『我々があらゆるものにつけた名前が混ざっていて、それが浮かび上がる』の2パターンがあると思ったことがあったのです。 この記述の前述の方は、「学習によって、その人その人が獲得して行く固有の概念(個人個人の天性や環境に因るものが大きい)」を指し、後述の方は、「共通認識(世の中の約束事として、ときに摺り合わせを要する概念)」を指すのでしょうか? それとも前述部は何の切っ掛けもなく不意に心に思い浮かぶことであり、後述部は、何かに接触すること(例えば、新聞やラジオの中の発言や雑踏で聞こえてくる会話に反応すること)で何らかのイメージが思い浮かぶことを指すのでしょうか。 補足をよろしくお願いいたします。

noname#181272
質問者

お礼

再度回答ありがとうございます。 【1】について “動作が緩慢に”という表現は思い込みで書いたのですね。 《A》‘実際は「度重なる制御不能な反復行動に困惑していた’という言葉の意味について確認ですが、 度重なる・・・同じようなことが何度も続いて 起こる 制御不能・・・自分の思うように動けないこと 反復行動・・・同じことが何度も繰り返される行動 困惑・・・どうしてよいか判断がつかず迷うこと。 この4つの言葉の意味を総括して言うと、「同じような行動が何度も繰り返され、思うように動けなくどうしてよいか判断がつかず迷う」という意味で合っているかどうかが知りたいです。《ここまでA》 《B》それと『不快な耳鳴りと幻聴がきっかけで同じ動作を繰り返してしまった。即ち、メモを取るために時刻を確認しようと振り返って電子時計を見たわけだが、意思に反して視線は電子時計と机上のメモ帳の間を行ったり来たりを繰り返してしまった(要するに、首ごとひっきりなしに前を向いたり後ろを向いたりを繰り返す羽目になったのだった)。このため、筆記作業に移すことはとても困難であった。』という文面から“意思に反して視線は電子時計と机上のメモ帳の間を行ったり来たりを繰り返してしまった”ということで質問ですが、(1)電子時計に視線が行く(2)机上のメモ帳に視線が元に戻ったが、意思に反して電子時計に視線が行ってしまった これだけの出来事があったのも、「繰り返す」はめなのかどうかが知りたいです。《ここまでB》 同意ですか。電子時計を振り返って見たで合っていることに間違いないですね。 ---------- 【2】について >“こびりつけた読み方” とは、「固定観念に囚われた読み方」 「言葉を見聞することで蘇る図式化されたイメージ」 または、「言葉が公式化されてしまうこと」や「言葉によって抽象化された概念」を意味し、“我々” とは、そのまま私たち人類、即ち言葉を頼りにコミュニケーションをとる世界中の人々のことを指しているということで宜しいでしょうか。 : 《C》何を言っているかわからないです。‘「固定観念に囚われた・・・・・・言葉によって抽象化された概念を意味し、’までの言葉の意味がわからないので、わかりやすい言葉で教えて下さい。《ここまでC》 僕は難しい言葉の回答があると、わからないと言うふうに感じる回答が多いです。 我々というのは私たち人類で合っていると思います。 >その時、文字(文章など)の中に世間で固定化されているイメージを見つけてしまい、共通認識としてのある概念が思い浮かんだ。すると突然、「みんな(見るな)」と幻聴が聞こえ、不快でつらかった。「みんな(見るな)」という声に対し、自分は文字(文章など)の中に、我々が共通認識として持っている概念に対しての非難を感じ取ったからだ。 このことは、自分の中で起きた何らかの現象が起因していると思われる。 : 《D》「世間で固定化されているイメージ」について意味をわかりやすい言葉で教えて下さい。 「世間」=世の中、「固定化されているイメージ」=像や情景などがくっついているということに思いましたが、そうなのかどうか知りたいです。 また全体的に文章の意味が難解ですので、簡単に教えて下さい。《ここまでD》 【2】について言いますと、 “6月30日喫茶店で働いた。13時半に迎えに来てもらい、14時に家に着いた。その後パソコンに向かい、掲示板などでメッセージが来ているかどうかをチェックした。その時、文字(文章など)の中に世間で固定化されている読み方および共通認識としてのある概念も浮かび上がった。すると、突然「みんな(見るな)」と幻聴が聞こえ、不快でつらかった。「みんな(見るな)」と言う声が聞こえたきっかけは、文字(文章など)の中に世間で固定化されている読み方および共通認識としてのある概念が浮かび上がったことだった。これに対しての非難を感じ取った。このことは、自分の中で起きた何らかの現象が起因していると思われる”と言う文になると思います。 『頭の中にインプットされていたものが浮かび上がった』と『我々があらゆるものにつけた名前が混ざっていて、それが浮かび上がる』の2パターンのことですが、 >前述の方は、「学習によって、その人その人が獲得して行く固有の概念(個人個人の天性や環境に因るものが大きい)」を指し、後述の方は、「共通認識(世の中の約束事として、ときに摺り合わせを要する概念)」を指すのでしょうか? : 《E》意味が難解です。わかりやすい言葉で教えて下さい。 天性は生まれつきの性質,固有は本来持っていることまたはそのものだけにあること。そのさま。であると書かれてました。 「摺り合わせ」という言葉を聞くのは初めてです。《ここまでE》 >前述部は何の切っ掛けもなく不意に心に思い浮かぶことであり、後述部は、何かに接触すること(例えば、新聞やラジオの中の発言や雑踏で聞こえてくる会話に反応すること)で何らかのイメージが思い浮かぶことを指すのでしょうか。 : 違うと思います。 前述部は、文章に書かれている文字を見ると自分の頭の中に記憶されている読み方が瞬間的に浮かび上がるということだと思うのです。 後述部は、何かに接触することで意味および文字の読み方などが浮かび上がるということだと思います。 言葉の意味がわからないとか難しいものが多いです。 わかりやすい言葉でもう一度回答下さい。

noname#163132
noname#163132
回答No.1

率直な意見を書きましたので、失礼があったかもしれません。 もしも、きつく感じられたのなら、申し訳なく思います。 【1】の文章ですが、独特の文体なので、一読では内容が頭に入り難いと思います。また文章がぶつ切れになると前後のつながりが悪くなり難解になるので、極力、一つの文章中に記号を入れたり分かち書きをしないようにするのが良いと思います。 そこで、次のように手直しさせていただきました。 『7月10日16時頃、自己観察ノートに、耳鳴りと幻聴が我慢できなくなり始めた時刻を記そうと思い立ち、電子時計で時刻を確認した。その後、すぐさまメモに取りかかろうと視線を机上に戻したが、不快な耳鳴りと幻聴がきっかけで動作が緩慢になり、一時的に作業が完全に停止してしまうなど筆記には困難を要した。こういうようなことは7月10日以前にも何度かあった。ノートに自分の中だけで起きた出来事をメモしたり、時計を振り返って見たことは、自分自身の意思でしたことだと思う。』 >これについて、「電子時計のほうを向いた」イコール「振り返った」という意味なのです。 そのまま「振り返った」と書いた方が表現が自然で、第三者に読んでもらうときには意味の通りが良いと思うのですが、「電子時計のほうを向いた」とあるのは、自分の意思でしたこととは思えない面があるからなのでしょうか。  原文の表現だと、何処か機械的な印象があり、「おや?」という印象です。 自分のことでありながら、傍観しているような感覚があるので、それが文章に表れてしまったということなら、ありのままの意識表現で意義のあることだと思いますが、読み手に引っ掛かりなく読んで貰うこと、出来事そのものを解りよく伝えることを目的としているのなら、日常的に使われる自然な表現に直した方が良いと思います。 >「電子時計のほうを向いた」イコール「180度目をそらした(振り返った)」という意味で、 Cについては主体性を保てなかったということです。 「振り返る」と「目をそらす」は、厳密にはイコールの関係にはならないと思います。「目をそらす」としてしまうと、「見たくないから、見ていることで何らかの不都合があるから、反射的に視線を他に移してしまう」そういった印象の強い言葉なので、「180度目をそらした(振り返った)」という表現も「電子時計のほうを向いた」という表現と同様、こちらも機械的な印象で、何処かぎこちなく感じます。 主体性が保てずにいたときの出来事だったので、機械的な表現になってしまったのかもしれませんけれど、読み手には感情移入しにくい表現だと思います。 >それと「振り返る」の対義語も知りたいです。 「向き直る」又は、「視線を元に戻す」は如何でしょう。それで充分に通じると思います。 --------------------------------------------------------- 【2】の文章が難解で意味がよくわかりませんでした。 そこで、内容が理解できた冒頭部だけ、次のように少し手直ししました。 『6月30日喫茶店で働いた。13時半に迎えに来てもらい、14時に家に着いた。その後パソコンに向かい、掲示板などでメッセージが来ているかどうかをチェックした。』 ―― 原文のままでも特に問題ないと思いましたが、やや説明的なのと硬い表現があると読みづらいと思ったので表現を改めさせていただきました。 >質問内容でわからない箇所があったらどこがどういうふうにわからないのかも回答下さい。 “文字(文章など)の中に我々が《B:こびりつけた》読み方が混じっていて、自分がそれを目にした時に、我々が《B:こびりつけた》読み方が浮かび上がった。”   ↑この部分が特に難解で解りません。 ―― ここからは補足要求になります。 1)“我々が《B:こびりつけた》読み方”とはどういう意味ですか? “こびりつけた~” とは、あまり言いません(と言うよりも、私は聞いたことがありません)。しかし、“(意識に)こびり付くように仕組まれた読ませ方”とか “意図的に意識にこびり付くように悪意を持った読ませ方”という様な表現ならありだと思います。 具体的に書きます。 “こびりつけた読み方” とは、「正式名称など本来の用語があるにもかかわらず、故意に意識から離れないように悪意ある表現の文字を組み合わせて当て字にしたり、隠語的表現で仄めかすなど、不快感を煽る読ませ方」という意味ですか? 例としては良くないと思いますが、知的障害のことを “池沼” 、馬鹿を “ウマシカ” と記述するなど、表現に手を加えることで却って悪意を感じさせる表現のことを指しているのでしょうか。 2)また、“我々”とは、具体的に誰を指すのでしょうか。 読解力が足りなくて、補足していただいても回答できないかもしれませんが、この点をハッキリさせないと、質問にきちんと向き合った回答は集まりにくいと思いますので、お手数ですが補足をよろしくお願いいたします。

noname#181272
質問者

お礼

詳しい回答をありがとうございます。 質問がいくつかあります。 【1】について 《A》‘自己観察ノート’というのは、自分の中だけで起きた出来事(症状など)を記録するメモ用のノートのことだということがわかりましたが、そうなのかどうか確認の回答が知りたいです。 つまり自分の頭の中で起きた出来事(症状など)ですよね。《ここまでA》 >筆記には困難を要した : これに関しては、電子時計を振り返って見る→すぐさまメモに取りかかろうと視線を机上に戻した(向き直った)という流れの出来事が困難だったということです。 《B》動作が緩慢になったというか、電子時計を振り返って見てすぐさまメモに取りかかろうと視線を机上に戻して好きなように動作をしようとしたんですが、電子時計を振り返る→視線を机上に戻す→すぐに電子時計を振り返るということが起きたのですが、これって動作が緩慢になったと言えるのですかね? 要するに主体性を保てなかったということなんです。 教えて下さい。《ここまでB》 >「振り返った」と書いた方が表現が自然で、第三者に読んでもらうときには意味の通りが良いと思うのですが、「電子時計のほうを向いた」とあるのは、自分の意思でしたこととは思えない面があるからなのでしょうか。  : 違います。電子時計を振り返って見たという表現が自然だと思いました。 〔振り返るの対義語について〕 首を動かしたということです。 《C》首を後方に向けたというのは、電子時計を振り返って見たということ。 首を元に戻したというのは、視線を机上に戻したということですが、 こういう言い方って合っているかが知りたいです。《ここまでC》 【2】について >“文字(文章など)の中に我々が《B:こびりつけた》読み方が混じっていて、自分がそれを目にした時に、我々が《B:こびりつけた》読み方が浮かび上がった。”   ↑この部分が特に難解で解りません。 : 《D》このことについて説明を書きますが、僕は精神病と障害持ちのために精神科に通院して診察を受けているのです。 その時、主治医から聞いたことですが、以下の内容です。  ★あらゆるものに意味・読み方・イメージが潜在していることが本当かどうか  我々はあらゆるものに名前をつけて考える。名前をつけて覚えている。そのことを思い出せばイメージがくっついている。それが潜在していると言ったら言えないことはない。 あらゆるものというのは新聞やテレビ、看板、広告、パソコンの中のインターネットやメールなどに文字が書いてあって、そこには我々がつけた読み方が混じっているということを言ったのです。 誰でも頭の中および心の中で言葉を考えて思ったりしますよね? 人間などの動物は誰でもあらゆるものを見たりしますよね? その時にあらゆるものの中に名前などが混ざるという意味です。 ここまで理解できたか、教えて下さい。 浮かび上がるというのは、「あらゆるものの中に名前などが混ざったもの」を自分が目にした時に「名前」が浮かび上がるということです。 自分が学習したことが頭の中にインプットされていて、「あらゆるもの」を目にした時に頭の中にインプットされていた「読み方」が浮かび上がり、それは他人には聞こえない形で言語化したということなのです。 自分が思ったことなのですが『頭の中にインプットされていたものが浮かび上がった』と『我々があらゆるものにつけた名前が混ざっていて、それが浮かび上がる』の2パターンがあると思ったことがあったのです。 -補足要求について- 1)我々がこびりつけた読み方は上述した通りです。  誰でも頭の中および心の中で言葉を考えて思ったりしますよね?  人間などの動物は誰でもあらゆるものを見たりしますよね?  その時にあらゆるものの中に名前などが混ざるという意味です。 : こういうことです。 2)我々とは誰を指すか。 例えばインターネットを見ている人 これはokwaveで回答している人も質問している人も質問や回答を閲覧している人もそうです。 新聞ですと、新聞を作った人だと思うのです。 我々は自分でもあれば他人でもあります。 広告=新聞についてくる広告で、広告を作った人だと思うのです。 看板は街中や道路に書いてある看板などです。 道路にある信号に例えば「○○町6丁目」と書いてあって、そこにも我々がつけた名前が書いてあって、我々というのはどこかに行く際に「○○町6丁目」と書いてあるのを目にした人 これは、車に乗っていた人などです。 《E》最後に【2】の文章の「受動的な感覚の表現、客観的な認識の表現」についてどういうものか、理解できたかどうかが知りたいです。 以上を踏まえて【2】の全体の手直しもしてもらいたいと思いました。 お願いできますか?再度回答下さい。

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    実は10月27日(土)『国語』カテゴリにて自分の中で起きた出来事について言い換え文を書いて欲しいという質問をした20代の男性の者なのですが、以下のような内容の回答を自分は得たのです。 ※「自分の中で起きた出来事」については、他人にはその内容・感じ方ともに知る由もなく、考えようがない。 ※これまでの回答を拝見しても、誰がどんな回答をしようと「それは違う、もっと言い換えてほしい」というお礼ばかりで、これまでの回答者もさじを投げたものと推測される。 ※回答の要求が多すぎ、しかもその言い方がなんだかぶっきらぼうで、人にものを頼む態度ではないように思う。 ※このサイト以外の質問サイトまたは『国語』以外のカテゴリでご質問になることをお勧めする。 ※自分が感じたことを言い換えて下さいとの要望を繰り返せば、感じた内容がその都度違っても、その要望に応えようとする人は、どんどんと減り、回答が来なくなるのは当然。 ※「変換された」を『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れていた』『~られていた』を含まない表現および『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れていた』『~られていた』を含む別表現にすることから、もう離れた方がいい。 ※「言い換える表現を求める」ことを繰り返し、そのような行為からなかなか離れられないのかもしれないが、自分の症状を少しでも改善したいのであれば、何か他のことをする努力をした方が良いと思う。 ※自分流で良いから、自分が感じたり、経験したことを、歌(歌詞)にすることに関心を向けてはいかがでしょうか。 ※曲も自分で作れればそれも良いが、とりあえず、自分の好きな曲・メロディ・リズムに、自分のイメージを乗せることに頑張ってはどうでしょう。 替え歌を作るようなものですが、出来た歌を歌って、どこかで発表するとかも出来るのではないでしょうか。 ※詩とか、物語、小説の短いのを書いて発表するとかも良いかもしれない。 変換されたというイメージを、言葉でなくて、自分の感覚を絵画とか彫刻に表現するのも良いかもしれません。 ※症状がわかりませんが、感性を活かせれば、周りから賞賛される作品を創ることも出来るかもしれません。 ※印の回答に対して、僕は以下の内容のお礼と補足をしたのです。 ◎「変換された」を『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れていた』『~られていた』を含まない表現および『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れていた』『~られていた』を含む別表現をいくつか回答して欲しいことに関して。これは同一表現を回答して下さいと質問している。 ◎このサイト以外の質問サイトまたは『国語』以外のカテゴリでご質問になることをお勧めすることに関して、okwaveの『心理学』『哲学』『メンタルヘルス』カテゴリで質問することも一法かどうか知りたい。 ◎自分流で良いから、自分が感じたり、経験したことを、歌(歌詞)にすることに関心を向けてはいかがでしょうかという問いに関して。youtubeで公開されていた羞恥心の原曲「弱虫サンタ」の替え歌「糞虫ニート」と同様に、既に発売された邦楽の原曲に自分なりに歌詞を作って入れるのも良い方法だと思った。 ◎僕は人前でしゃべるのが苦手なタイプである。 ◎家で自分一人で替え歌を作ったり、詩や物語、小説の短いのを書くのはできるが、人前で発表は今は無理。 ◎例えば自分の中で起きた出来事を漫画にして綴ることもできると思った。その綴った漫画を自分の日記に載せるのも良い方法ですよね。 ◎でも僕は自分が感じたことを他人に言い換えてもらいたい気持ちが強い。 『~れる』『~られる』を含まない表現がどうしても知りたい気持ちが強い。 『~れる』『~られる』を含まない表現にすることから、離れられない。 ◎曲を作ったり、物語・小説・詩などの短いのを書いていて、自分の中で症状などが起きると思う。その場合、その症状をokwaveなどで質問して他人に言い換えてもらいたいと思った。  例えば曲作り・物語・小説・詩などを自分の部屋で書いている途中で近所を車が通りかかって、車の音を聞いてしまって「メールが来てない」「メールが来ている」と勝手に浮かぶのが辛く感じるなどが症状だと思う。  つまり、曲作り・物語・小説・詩などを書いていてもいなくても症状が起きることに変わりはないと思う。 ◎曲作り・物語・小説・詩などを書いていて、音読みである漢字の読みが例えば幻聴・耳鳴りのきっかけで訓読みとして勝手に浮かんで、直後に別の働きによって音読みに戻って浮かぶことも有り得ると思う。  例えば「物理学」が「ものりまなぶ」、「今」が「こん」など。 10月27日(土)にした質問内容は以下の内容の質問です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★10月27日6時45分、joysoundユーザーが歌ったのを録音したコブクロの「コイン」という曲を聞いていた。録音したのはSさんとYさんがコラボしていたものである。 joysoundユーザーが歌ったのを録音したコブクロの「コイン」という曲を聞いていて、《A:「♪君を乗せた あの頃なら 涼しい顔で」という歌詞の部分で「すずしいかお」でと歌っていた所が、意に反して「りょうしい」という読み方に変換された》。《B:直後に「おい」という幻聴がハッキリ聞こえ、モトの「すずしい」という読み方に変換された》。 : Aに関しては曲を聞いていて、「すずしい」という読み方で曲は再生されたのです。 Bに関しては幻聴はずっとしていたと思うのです。はっきり聞こえたという表現も言い換えて欲しいです。 また、「変換された」というのは『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』のいずれか1つが表現に含まれています。 この「変換された」という表現を『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』を含まない表現および『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』を含む別表現をいくつか回答して欲しいのです。 “いくつか”というのは1つではなく、2つ以上です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 上記の質問文にある「変換された」というのは『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』のいずれか1つが表現に含まれている。 >この「変換された」という表現を『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』を含まない表現および『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』を含む別表現をいくつか回答して欲しいのです。 ―――に関しては、同一表現(同じ意味である表現)を回答してほしいということなのです。 ここで質問です。 Q1.このサイト以外の質問サイトまたは『国語』以外のカテゴリでご質問になることをお勧めすることに関して、okwaveの『心理学』『哲学』『メンタルヘルス』カテゴリで質問することも一法かどうか知りたいですので、教えて下さい。 Q2.“自分流で良いから、自分が感じたり、経験したことを、歌(歌詞)にすることに関心を向けてはいかがでしょうかという問いに関して。youtubeで公開されていた羞恥心の原曲「弱虫サンタ」の替え歌「糞虫ニート」と同様に、既に発売された邦楽の原曲に自分なりに歌詞を作って入れるのも良い方法だと思った”という解釈は正しいかどうかが知りたいです。 Q3.“例えば自分の中で起きた出来事を漫画にして綴ることもできると思った。その綴った漫画を自分の日記に載せるのも良い方法”という解釈は正しいかどうかが知りたいです。 Q4.★印の文章を言い換えて下さい。僕はどうしても言い換え文が知りたい気持ちが強いのです。《  》以外の表現もできれば言い換えて欲しいです。 10月27日(土)にした質問のURLは以下のとおりです。 http://okwave.jp/qa/q7768131.html http://okwave.jp/qa/q7768131.html

  • アンケートカテゴリでも質問させていただきます。

    『メンタルヘルス』カテゴリで同じような質問をしたのですが、良い回答が得られなかったので、『アンケート』カテゴリでも質問させていただきます。 実は、下記の【A】~【E】の出来事が自分の中で起きたことがあったのです。 【A】『動くな』『目を開けるな』『食べるな』『飲むな』『書くな』『起きるな』『ペンをとじるな』『裏返すな』『黙れ』『頭が回らない』『わからないようにしました』『金縛り』『(体を)銅像のように固められた』『制限が入る』『止める』『ねる』『ん《故人の名》』『みんなで《中学の時のクラスメイト(女)の名》』などの言葉が頭に浮かび(受け身で言う「発見された」感じ)、静止状態に至ったり頭の働きが鈍くなったりした。  静止状態に至ったというのは、日常の動作などができなかったり、全身が硬直してしまったということである。 【B】頭の中に「(例)どこにも行かない」という言葉が浮かんだ。直後に幻聴の声がきっかけで頭の中で逆の言葉「(例)どこにも行く」という言葉に切り替わった。何日かしてから、今度は「(例)どこにも行かない」という言葉に戻った。 【C】「(言葉を長く詳しく)つなげて言う」「(言葉を)短く区切る」「ずっと鳴らす」「自分も動かす」「(長文を)途中から読む」「朝もやる」「朝も言う」「(同じ言葉を速く)何回も言う」「何回も変える」「考えが入ってくる」「捨てる」「まんまにする(=そのままにする)」「家にも何かやる」「体にも何かやる」「来週も操られる(来週も自分で自分を動かす)」「(曲の)題名を言う」と言ったような言葉が、頭の中(心の中)で勝手に浮かんだ。  それらの言葉が頭の中(心の中)で勝手に浮かぶまでは様々な禁止や命令、制限などが強かった。 【D】一昨年、喫茶店(作業所)で働いていたとき、頭の中に「ある」という言葉と文字が浮かんだ。文字「ある」はそれ以前にどこかで見た「ある」という文字を明瞭に思い越したものだった。  その時、その場にいた利用者さんが「何だぁ」と言った。自分はそれを嫌な声だと感じた。  するとそれまで頭に浮かんでいた「ある」という文字が別の文字「有る」に置き換わった。  この「有る」という文字もまた、それ以前にどこかで見たものがそのままはっきりと記憶に定着したものと思う。  また、自分は速やかに心の中で、その「有る」という文字を、自分の意志によってだと思うが、モトの「ある」に変えた。  「ある」→「有る」、「有る」→「ある」などの変換が繰り返されることに辛さを感じた。  「ある」と「有る」の変換は数ヶ月起こり続け、それ以降は次第に変換が起こらなくなっていった。 【E】中学の時、「Good morning!おはよう」「漢字 中国の文字」などの同じ意味である言葉や簡略化した言葉「~する」および「愛のうた ストロベリーフラワー」などの言葉が頭に浮かんだ時、人の笑い声や犬の吠え声がまるで自分に対して怒っているような声に聞こえた。 そのことがきっかけで、違う言葉・誤った言葉を頭の中で思ったり、例えば人の名前(「姓・名」)、「漢字 中国の文字」「~する」の言葉の中に余分な言葉を入れて頭の中で思ったというこだわりがあった。さらにそれがきっかけになって、喫茶店で働いていたとき、「できました」「通ります」「終わりました」の丁寧語・「できた」「通る」「終わった」の簡略化した言葉その他すべての言葉を【思わされた(受け身で言う)】感覚があった。 僕は【A】~【E】およびそれ以外の出来事が頭の中で起こったのは何かきっかけがあったのです。 そのきっかけというのは、自分の頭の中で起きた(ことだと思う)別のことが関連付いて起きたように感じたりしたということです。またそのように思ったりもしました。 (つまり自分の頭の中で起きたことだと思うのが生じ、それがきっかけで【A】~【E】などの出来事が起きたということ) ここで質問です。 僕が書いたような出来事を経験したことがあったかどうかを具体的に書いて回答下さい。 病気を持った方でもそうでない方でもそういう方がいたら回答を書いて下さい。 全く同じ症状、似た症状を経験したことのある方、誰からでも回答が欲しいです。 頭の中で関連して起きた出来事について言葉にして表現できないので質問してみました。

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  • 自分の中で起きた出来事について質問があります。2

    ★10月27日6時45分、joysoundユーザーが歌ったのを録音したコブクロの「コイン」という曲を聞いていた。録音したのはSさんとYさんがコラボしていたものである。 joysoundユーザーが歌ったのを録音したコブクロの「コイン」という曲を聞いていて、《A:「♪君を乗せた あの頃なら 涼しい顔で」という歌詞の部分で「すずしいかお」でと歌っていた所が、意に反して「りょうしい」という読み方に変換された》。《B:直後に「おい」という幻聴がハッキリ聞こえ、モトの「すずしい」という読み方に変換された》。 : Aに関しては曲を聞いていて、「すずしい」という読み方で曲は再生されたのです。 Bに関しては幻聴はずっとしていたと思うのです。はっきり聞こえたという表現も言い換えて欲しいです。 また、「変換された」というのは『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』のいずれか1つが表現に含まれています。 この「変換された」という表現を『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』を含まない表現および『~れる』『~られる』『~れている』『~られている』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』を含む別表現をいくつか回答して欲しいのです。 “いくつか”というのは1つではなく、2つ以上です。 以上を踏まえて★印の文章の言い換えの回答を下さい。

  • 締め切った質問などで再度質問があります。

    http://okwave.jp/qa/q7314103.html ↑のURLのサイトで質問をして10件の回答を得ましたが、難しい内容が書かれていたようなことをお礼で言ってやりとりを完結させましょうと言ったら、回答が来なくなりました。 なので質問を締め切ったんです。 でも再度質問に答えてほしい内容があるんです。 http://okwave.jp/qa/q7314103.html の質問文の中にいくつか書かれている『信号が伝わってくる感じ』というので、精神科医に以下のような感じにわかりやすく表現したんです。 【2月に訴えた症状】 ★寝れなかった時とかにもパソコンをやっていた時やごはんを食べた後とかにあった辛いことですが、「見るな」「プッ」という幻聴と耳鳴りが混ざったような音が聞こえ、その音の中から何か嫌がらせでもされているような信号が伝わってくる感じがして非常に苦痛なことがあるんです。 その信号が伝わってくるせいで、口を閉じたり開けたりすることも、物事をする(動いたりする、じっとした後に動き始める、ごはんを食べる、飲むとか)ことも辛さを感じるんです。 何かされるような感覚である信号が伝わるのは、耳鳴りや幻聴(「おい」という男の人の声もそう)の声の中から伝わってくるだけでなく、テレビで人の顔を見ていても、そのような感覚があるんです。 例えばテレビ(例えばドラマ、バラエティ番組など)に出ている人の顔を見ると、その人が何か嫌なことをしてくるような感覚が伝わってくる感じがする。そうなるとテレビから目をそらしたり(違うところを向く、見る)、物事をすることに辛さを感じるんです。 嫌なことをされるような信号は、バイクや車などの音に幻聴みたいな声が混じっているのからも伝わってくる感覚があります。 →この場合での『信号』というのは、「嫌なことをされる」=「操られる」感覚でそれが他者や幻聴・耳鳴りから受けたかのような錯覚だと感じたということです。 言い替えれば、「幻聴・耳鳴り・テレビなどがきっかけで物事をすることを辛く感じた」だと思います。 【3月に訴えた症状】 ★耳鳴りや幻聴の音や声に属するものから嫌な信号みたいなのが伝わる感覚があり、つまりじっとした後に動き始めようとすると、体の動くという動作を止められるような信号が伝わってくる感覚があります。 テレビを見ていても似たようなことが起きることがあるんです。 テレビを見ていて、テレビの人の顔が自分のことをにらまれているような恐い顔に見えたり、テレビの人の顔を見るその中から嫌な信号(自分がテレビから目をそらしたりするとそれを止めてくるような感覚)が送られてくるんです。 →この場合の『信号』も「操られている」感覚を他者や幻聴から受けたかのような錯覚だと思います。 言い替えると、「幻聴・耳鳴り・テレビなどがきっかけでじっとした後に動き出す・テレビから目をそらしたりする動作ができなかった。(=動作に制限がかかった)」感じだと思います。 しかし家族の人はこのことについて「制限が入る」とは思えない、自分の意志で行っていることだとおっしゃってました。 【4月に訴えた症状】 ★頭が回らないことについてですが、頭を回らなくさせられるような信号 →これも他者に「操られた」感覚を受けた感覚だと言えるだろうと思います。それによって頭が回らなくなった、回りにくくなったことだと思います。 ★「おい」という幻聴の声の中から嫌な信号が入ってくる感じがして、その嫌な信号とは自分が何か言ってたり言葉をはき出したりすると、それを止められる(自分には黙らされる感じの信号だと感じる)信号が送られてきたこともあったり、脳内にある何かを治されるような動かされるような感覚があります。 親がおばあさんに電話していてそこから流れてくる悪い信号(ごはんを食べようとするとそれを止められたり動いたりしてもそれを止められるような感じの感覚)が伝わってきたことがありました。 →言い替えれば、幻聴・耳鳴り・親がおばあさんに電話していたのがきっかけで(その時電話している側のそばにいた)ごはんを食べようとしたり動いたりすると他者に「止められる」や、何か言ったり言葉をはき出したりすると、それを他者に「止められる」および脳内にある何か(=自分が過去に頭に入れた情報など)を他者が「治してくる」「動かしてくる」などがあった感覚です。信号=他者に操られた感覚 だと思います。 ★声に出さないで言っていたり、歌ってたり吐き出したりすると、犬が吠えた声の中や幻聴の「おい」という声や耳鳴りの中から、言ってる語の途中で黙らされる(止めてくる)感じの信号が伝わってきた。 → この場合も「操られた」感じを受けたことだと思います。言い替えれば犬が吠えた事や幻聴・耳鳴りなどがきっかけで一つの言葉を言っていたが、言葉の途中の部分でそれが制止された。要するに「あいうえお」と心の中や頭の中だけで言って、「あいう」は言えたが、「えお」は言えなかった感じだと思います。 【5月に訴えた症状】 ★4月15日前後にあったんですが、頭を回らないようにされるような信号がどこかから伝わってきた感覚があった → 他者に操られた感覚を受けて、頭が回らなくなったと言い替えることができると思います。 ★声に出さないで自分が(1)「言わない」「つなげない」「(顔)変えない」「なくならん」などの言葉をはき出すと、(2)「言う」「つなげる」「(顔)変える」「なくなる」などの反対の言葉に変えられる(自分が言う感じ)ような信号や、(2)の変えられた言葉から、(1)の言葉に戻される感覚の信号が入ってくる感じがした。 それは、人や犬の声がしたときや自分が物音を立てたり動いたりしたときにそういう感じがあった。  お葬式の時は、例えば通夜の日に(1)を(2)の言葉に変えられる信号が、(2)を(1)の言葉に戻される信号が告別式の日に伝わってきた。 → これも他者に操られたのを自分が受けた感じだと言えるんです。 それによって(1)否定言葉→(2)肯定言葉への変換が起きた、(2)肯定言葉→(1)否定言葉への変換が起きた。 これはすべて心の中や頭の中ではき出してしまった感じなんです。 ★「おい」という幻聴および誰かが心臓の動きを止めたり動かしたりして操った感じの信号とか 口を人形みたいに開けられないようにさせられるような信号が耳鳴りや幻聴の中から伝わってきました。口を開ける・開けない人形がいて、口を開けない人形みたいにされた。 → 他者に操られた感じを受けて、実際心臓は動いていたけど、心臓の動き(=鼓動など)が感じられなかったという意識があった時もなかった時にも、幻聴や誰かの声そのものに意識をとられたことだと思うんです。 わかりやすく書いたら、精神科医さんは内容を理解してくれたんです。 それで僕は以下の感じで質問をしたんです。 ●なぜ医者は最初幻覚と言って、それ以降は作為体験(させられ体験、操られ体験)と言ったと思いますか? それで質問をしたことに対し、以下の感じで精神科医さんは回答してきました。 ●いわゆる“第六感”という感覚に対する幻覚というふうに解釈されたのかもしれませんね。 回答を受けた僕は、以下のように質問しました。 ●第六感というのは、五感の障害(幻視、幻聴、幻味、幻触、幻嗅)とは違ったものでしょうか? 第六感という感覚に対する幻覚というのがどういうものか、知りたいんです。 第六感の障害? それで質問をしたことに対し、以下の感じで精神科医さんは回答してきたんです。 ● >第六感というのは、五感の障害(幻視、幻聴、幻味、幻触、幻嗅)とは違ったものでしょうか? ...限りなく近い現象ではないでしょうか。 >第六感という感覚に対する幻覚というのがどういうものか、知りたいんです。 ...「第六感が働く」「第六感でこう決めた」「虫の知らせ」「天の声」「ヒアラメキ思考」などという表現は一般的によく使われてますが ...すべて自己親和性があって、自分の心(脳)以外からやって来た異質のものとは感じないもので、不快感は伴いませんよね。 >第六感の障害? ...第六感を認知する時の障害なのでしょうね。自己免疫疾患というのがありますが(本来自己に属する組織を非自己と認識して、排除しようとし始める疾患群)、そこから類推すると、あなた自身の思考を、誤って他者の思考と認識して違和感を感じ(不快感を感じ)排除しているとも言えるのではないかと思います。 それと、僕は過去に聞いた音楽が頭の中や心の中で再生されて止まらないことがあるんですが、 例えば「スネ夫のおぼっちゃマンボ」という曲は頭の中や心の中で再生される前に何度もyou tubeなどで聞いたんですが、それが頭の中や心の中で再生されている時に、誤った歌詞で再生されていたんですが何らかのきっかけ(=職員さんの言動など)で誤った歌詞で再生されていたのが本来の正しい歌詞での再生に頭の中や心の中で変換が起きたんです。 僕はパソコンなどでいろいろな曲を聴いたんです。 しかも同じ曲を何度も最初のイントロから最後のエンディングまで聞いたこともあったんです。 主治医の先生から、過去にどこかで聞いた曲などが再生されるのは誰にでもあり得ることだが、高機能自閉症のほうがどっちかというと正確に再生されるということを聞きました。 例えば10年前にどこかで聞いた音楽や声などが今年でも頭の中や心の中で再生もあったんです。 そこで1つ質問します。 以上のことでどう思うか、考えなどを具体的にわかりやすく教えて下さい。