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意志決定における情報AとBとC

noname#194996の回答

noname#194996
noname#194996
回答No.1

少し私見を交えて前提条件を編集します。 情報Aの2次段階で、感情という層があります。これは生理的な、生物の生来のものに近い判断システムで、いわゆる好き嫌いがこれにあたり、人間のA入力は反射的な判断となって、出力はほとんどこれを経由してなされていると思われます。 情報BにA情報が入って、そこで思考され、判断される行動は、優位性で言えば前記よりかなり劣ります。 情報C は Aに属するものと、B にぞ属するものとあるようで、これが判断にかかわることは更にすくないのではないでしょうか。 仰る序列はおおむね当たっているように思われます。 確かに情報の確実性でくくれば妥当なのかとも思えますが、より複雑になった人間の環境、社会性を考えれば、はたしてそれが実際に確実な選択なのかはわからなくなりますね。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 >情報Aの2次段階で、感情という層があります・・・・・ >情報BにA情報が入って、そこで思考され、判断される行動は・・・・・ >情報C は Aに属するものと、B にぞ属するものとあるようで・・・・・ それぞれの情報処理の内部的段階や 情報相互の融和性、照合性がある・・・と受け止めさせていただきました。 そうした解釈からは、単純に優位度を決することは難しいのかもしれません。 >おおむね当たっているように・・・ 当たらずとも遠からず、といったところでしょうか。 皆さんのお答えを基に深めていきたいと思います。 >確かに情報の確実性でくくれば妥当なのかとも思えますが、より複雑になった人間の環境、社会性を考えれば、はたしてそれが実際に確実な選択なのかはわからなくなりますね。 意志の決定に対する疑問でしょうか。 選択の結果に疑問は付きものだと思いますが 私はこうした人間らしさは悪くないものと思っています。 迷いながら選択や決定を下し、その結果にも疑問を抱いてしまう、といったことを繰り返すところに人間らしさがあるように思います。 常により確実な選択を求めていく・・・といった迷いながらも前向きな姿勢でいいのではないでしょうか。

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