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大名行列の「毛槍投げ受け」

dayoneの回答

  • dayone
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回答No.5

前回No.3のカキコミ後半部の補足をさせて頂きます。 下記のとおり、Wikipedia「奴振り」項目の中「奴振りの歴史」の 「明和8(1771)年の触れ」は「明和8年12月晦日」の達しを指しているようですから、 遅くとも明和8(1771)年時点までには、少なくとも代わり合いの際には 投鎗投傘などの所作が行われていたことだけは確かなようです。 ◇東京都公文書館>刊行物>東京市史稿>市街篇>第27目次 によりますと、 http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0601shigai27.htm 「附記/投鎗投傘/市街27-1028/1771(明和8)年12月晦日/柳営日次記」 の記述がありましたので、 ◇東京大学史料編纂所>データベース選択> http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html できごとを主題に-[近世編年データベース]にて、 キーワード「投鎗投傘」検索したところ、下記1件がヒットしました。 【史料群名】東京市史稿 市街篇 27巻1028頁 【和暦年月日】明和8年12月晦日(17710120310)1条 【綱文内容】〔附記四〕老中松平右近将監「松平武元」より 大目付正木志摩守「正木康恒」へ、投鎗投傘に関する申し達あり、 【出典名】柳営日次記 画像を見たところ「左様無L之様」と「代り合之節」の投鎗投傘を禁ずる 達しではありますが、門外漢ゆえ一部判読出来ない箇所もありますので、 具体的な内容は「東京市史稿 市街篇第廿七巻(1028・1029頁)」の画像 [附記、四]投鎗投傘 を直接御覧いただければ幸いです。 あと、前半部の金沢の「奴踊り」箇所につきましては、 あらためて原本を読み返すと現代の風物詩?とも受け取れ、 直後に『江戸参府旅行日記/ケンペル』を取り上げて典拠を明らかにしている ことと比較すると、全く曖昧な部分ですから、正直頭の中が混乱しております。 投稿板を汚して誠に申し訳ありませんm(_"_)m 最後に余談ですが… 「百人一首」の謎に挑まれていらっしゃる お三方 goo-par1732 様、 SPS700 様、 Pinhole-09 様が 奇しくもここに勢揃いとは何とも興味深いです^^

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