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室町時代と江戸時代の大名の違い
haru1751の回答
- haru1751
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それぞれの回答者が確かな事を言われていますが、室町時代は基本的に「自力救済」の時代で、土地の問題などで争いが起こったら、自分の力で解決をはかるのが常識でした。だから最後は「合戦」になります。 江戸時代はもめ事の裁判をするのが大名または幕府であり、それが保障されていました。ただそれぞれの大名の領地の中については、幕府は基本的に介入しませんでした。
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室町幕府は権力基盤が脆弱で司法の機能が弱かったのが ありそうですね。回答ありがとうございます。