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B29の全機滑走路に着陸回収するまで

昭和20年の東京大空襲はサイパン、テニアン、グアムの基地から合計300機以上を2時間以上かけて離陸させたと聞いています。では任務が終了して各基地に帰還する時はどうだったのでしょうか? 離陸はどんどん発進させれば良いと思いますが着陸はその倍以上かかると思います。1機、1機着陸する間上空で旋回でもして時間調整したのでしょうか?何となく興味があって聞いてみました。

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  • jkpawapuro
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回答No.3

着陸時は落伍やエンジントラブルや先に損傷した機が帰還しているので、編隊は離陸より小さくなっています。 なので離陸よりは余裕があります。 また編隊がきちんと維持できているとも限らないので、結構ばらばらに着陸することも多いでしょう。 編隊が着陸するときは、燃料の少ない機から先に降ろすので、当然燃料に余裕のある機は上空で旋回して待ってることになります。

agekoba
質問者

お礼

やはり危険な着陸になりますね。同じ様に燃料を積んでいても帰りの燃料が違う事もあるのですね。この管制は非常に難しいですよね。ありがとうございます。

その他の回答 (2)

  • isa-98
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回答No.2

2種類の方法があります。 旋回して編隊を組むまで待つ方法。 もうひとつが隊長機がゆっくり飛行し その後を2番機、3番機が高速で付いて行き編隊を編成する方法です。 ブリーフィングで第一編隊はここ。第二編隊はここ。と時間や配置、位置決められます。 当然、常識として編隊の2番機は誰だと既に決まっています。 友軍の編隊からはぐれてしまい、別の隊長機を見つけて2番機の位置に付いていたら、 本来の2番機が横から激突寸前まで詰め寄ってきたんだそうです。 ○○隊長の2番機は俺だ。俺が守る。 と言う自信とプライドがあります。 着陸時は待機状態となります。 また、飛行中にある程度は縦に時間調整した方が燃料と時間の無駄が省けます。

agekoba
質問者

お礼

全機回収するまでは相当の時間がかかったのでしょうね。離陸と着陸の模様がどんなだったのか見てみたいです。でも、空爆される側に立てばこんな事話している場合ではありませんよね。そこは反省します。

回答No.1

離陸も大変ですよね。 爆弾、弾薬、燃料満載ですからね。 帰還時は完全な編隊の形態よりはバラバラになって来ると思いますよ。 機体の損傷やエンジンの状態で速度や高度もちがうはず。 機体&搭乗員の損傷の有無や残燃料の差などで着陸順は変化するでしょうが 帰ってきた順にどんどん降ろして即座に隅へ移動させたみたいですよ。

agekoba
質問者

お礼

隅に寄せる作業は大変でしょうね。以前、サイパンかテニアンの1945年当時の上空からの撮影写真を見た事が有りますが、B29がぎっしりつめて駐機されていました。あれだけのB29を離陸、着陸させるのはすごく綿密に計画しないと無理ですよね。

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