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独我論と日常感覚

serpent-owlの回答

回答No.2

 これまた発展性のある話題ですね。たしかに類似の問題は今までにもここで語られていますが、やはり質問者の問題意識の持ち方によって微妙な違いが出てくるようです。  独我論は主観主義的な認識論の徹底として現れてきます。質問にお示しのように、うんと手短に言ってしまえば「オレに見えているものがすべてだ」という考え方です。  これに対して、客観主義的存在論が対峙しています。「物が存在するから、認識が成り立つんじゃないの?」みたいな。  この両者の水掛け論は、ある意味で今でも継続しています。なんだか「鶏が先か卵が先か」のような議論でもあります。でも、これら両者が相撲をとっている「土俵」は一つ。半ば無意識に前提された、二元論的枠組みです。  客観主義的存在論は、徹底すれば唯物論になります。物があるから認識できる、いや、意識自体にも「脳」という物質的基盤がある、と。一方、主観主義的認識論は徹底すれば独我論、または観念論になります。物があるのはそういうふうに見えているからだ、意識が物をそうあらしめているのだ、と。  かたや「物」、かたや「心」という二元論的枠組みの中で、前者を後者に還元すれば観念論、後者を前者に還元すれば唯物論になります。そしてこの枠組みに留まる限り、両者の対立は互いに「切り抜け可能な批判」をぶつけあうだけで解決しません。  さて、お尋ねは「思考上の世界観と日常の世界観との乖離にどのような調停が可能か」とのことでした。上記の「二元論的枠組み」そのものを解体してしまう調停法もあるのですが、ややこしいのでとりあえず説明しやすいのからまいります。ただし、これは「厳密な証明」を経た「結論」ではなく、「推定」に基づいた「提案」の域を出ないものです。  それは「日常の世界観を承認し、独我論を放棄する」というものです。…ということは、あんまり「調停」ではないんですが。  何と申しますか、「オッカムの剃刀」的な論法になりますが、「そう考えた方が面倒がなくてよい」のです。そしてそう考えた方が、すべてを意識内容に還元しておしまいにしてしまうよりも説明可能性が広がります。生産的ということです。自然科学の持つ広範な説明可能性に象徴されるように。これに対し独我論は、えてして経験的知識を軽視して思弁的になり、妄想の生産性を高めてしまう状態に陥りがちです。現実を踏まえて堅実に推論を進めるには不向きと申せましょう。  とりあえず、ご挨拶のつもりで、今回はこのくらいでやめておきます。またお邪魔します。この次は…「他我問題」との関係…あたりでお答えしようかと考えています。独我論とは表裏一体の問題です。 P.S.nekoucchaliさま。御回答、勉強になります。今後ともよろしくお願いします。

kabalah
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 私の問題点としていることをいろいろな形で捕らえなおしていただき、 とてもありがたいです。たしかに私の問題設定は 水掛け論的な二元論の問題をどう解決するか、という風にいうこともできます。 ご提示いただいた、「提案」には非常に納得がいく気もするのですが、 「説明可能性を広げる」というときにはどの方向への説明を 求めているかという前提によって、どちらを承認し、どちらを放棄するかは 変わってくると思うのです。 ここで「現実」というときにはすでに日常の世界観を承認した上で、 話を展開している、「他我」の存在を承認した上で、このような 質問をしているので、こちら側を承認せざるをえない、のですが、 例えば、私が赤い色を見ているときのその「赤さ」は 「他我」の見ている「赤さ」と同じだろうか、 (こういう見えているその「見え」のことをクオリアとかいうそうですね) とか、いま私が感じているこの痛さは誰にも分からない、 といったことを説明する際には、どうしても、 独我論の放棄をして、話を進めていくことは できないのではないか、と思うのです。 自然科学の持つ広範な説明可能性は、 他人の痛みの表現が、自分の痛みの内実と 同じものをともなっていることの最終的な確認を 可能とはしてくれないのではないかと 思います。 うまく表現できずにすみません。 私が求める、「調停」とはむしろ、 独我論になぜ説得力があるのか、 どういう説明可能性が広がるから、 独我論などというものは存在しているのか、 ということになるのかもしれません。 「二元論的枠組み自体を解体してしまう調停法」 にも興味があります。 よろしければご教示いただけないでしょうか。 「他我問題」にも興味あります。 お時間があれば、よろしくお願い致します。

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