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「言語の先行性」 と「独我論」批判

哲学についてはド素人なんですが、質問させていただきます。  皆さんは「言語の先行性」についてどうお考えですか?『ウィトゲンシュタインと「独我論」』を読んで、言語の先行性についてなんとなくは分かったのですが、今まで考えたことのない思考だったので、正しいような正しくないような・・・?つまり、自分の考えがもてないんです。なので皆さんの考えを教えてください。曖昧ですみません。  あと、ウィトゲンシュタインは「独我論」批判をしたようなんですが、どのように批判したんですか?簡単にでも答えていただけたら嬉です。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.2

『ウィトゲンシュタインと「独我論」』は、以前にざっと読んだ程度ですが、私なりに面白いと思い、自分自身の考えを整理するのに役立ちました。ただ、この私なりの考えが、ウィトゲンシュタインの述べていることと同じかどうかは全くわかりません。というのは、常識的に考えると、頭の悪い私が、天才的な哲学者であるウィトゲンシュタインの考え方を理解できるとはとても思えないからです。ということで、以下は、あくまで、私の独断的理解です。 根底にあるのは、以下の2点だと感じました。 (1)人が言語を覚えるとき、その人が心の中で実際にどのように感じているかは、実際上問題にならず、ただ、情況に合った正しい振舞いさえできれば、言語を習得したと考えられること。「赤信号で止まりなさい」と言われたとき、実際に赤信号でストップできさえすれば、「赤信号で止まりなさい」という言葉を理解していると考えられ、心の中で赤信号の赤を実際に赤く感じているかどうかは、問題にならないということ。 (2)「意識」があれば、「意識の存在」を自覚することができなくても、人間の行動に何の変化もないということ。例えば、「痛い」と感じなくても、「痛い」と感じているように振舞えていれば、実際上、人間の行動(あるいは、人間社会全体)に何の変化もないこと。 (1)と(2)を合わせると、「言語というものは、人間の”意識の存在に対する自覚”のありなし」を区別することができないということになると思います。言語にとって、「意識」の働きがあることは前提ですが、「意識の働きに対する自覚があるかどうかは」問題外だということです。従って、我々が通常使用している言語は、意識の働きに対する自覚を持たない(心を持たない)ロボットが使用しても、何も問題は起こらないと思います。 「独我論」が成り立たないのは、「独我論」が「言語」で書かれ、あるいは、語られるためだと思います。言語の限界は、「ロボット」と「人間」の区別が論理的に不可能だということにあると思います。すなわち、言語を使用する限り、「ロボットの独我論」が有り得ないように、「人間の独我論」も有り得ないのだと思います。

  • andthen
  • ベストアンサー率18% (14/75)
回答No.1

私も質問者様と同様ド素人で、なおかつ記憶が曖昧なので自信がないのですが。。。 たしかウィト氏は、 「独我論は正しいが、独我論を主張することは間違っている」というようなことを言ったとどこかで読みました。 独我論は他者の存在を否定するものだが、あることを「主張する」ということ自体、他者を認めてしまっているので(他者がいなければ「主張」は成り立ちません)、そこで矛盾が生じる というような意味でしょうか。 回答になっていますでしょうか? 無責任で申し訳ございません。

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  • ウィトゲンシュタインの解説本

    ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論など、ウィトゲンシュタインの 論に興味があります。 解説しているわかりやすい読み物を数点紹介ください。 なお発端は岩波からでている土屋賢ニさんの本を読んでからです。 できるだけわかりやすいもの。初心者ですのでほとんど哲学の用語などしりません。