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哲学者にとっての独我論

いろいろ調べましたが独我論や懐疑論を否定するのは難しいようです。ということは多くの哲学者は独我論や懐疑論以外のことを論じているときは(独我論や懐疑論があるゆえに)自分の言っていることが間違っているかもしれないということを覚悟の上で論じているのでしょうか? 変な質問でしょうが宜しくお願いいたします。

noname#95131
noname#95131

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

まず、最初に言葉の使い方から。 「独我論」というのは、主観的認識論に属する思想を、批判的にとらえるときに使う言葉なんです。 「わたしの意識」ということを「確実なもの」として、認識のしくみを考えていった認識論が、不可避的に陥っていくアポリア(行き詰まり)として「独我論」がある。 それを乗り越えていくためには……、という文脈で使われるものなんです。 >哲学者は独我論や懐疑論以外のことを論じているときは というように、自分は「独我論」として人間の認識のもんだいを立てるぞ、と、宣言して使っているわけではない。 そこを、最初に押さえておいてください。 あくまでも、人間の認識のありようを考えるとき、「自己の意識とその意識がとらえた像のみが確かなものであって、他者はこころに現れた現象として認識するしかない」と考えるのが独我論であって、世界には自分しかいない、とか、そんなことを言っているわけでは全然ないんです。全然そういうのとちがいます。ここ、ほんとにまちがえないでください。お願いします。 たとえば「強い独我論」とされるバークリー、この人は、懐疑主義を乗り越える方法を考えます。 懐疑主義というのはなにかというと、人間の主観的な知覚から離れた、ものごとの「実在」(現象として存在するのではなく、その普遍的な、絶対的なありよう)は人間には知ることができない、とする考え方です。つまり、人間に可能な認識の範囲をもんだいにしているわけです。つまり認識哲学として分類される人は、大なり小なり懐疑論者であるわけです。 バークリーは、人間が物体をどのように認識するか考えていきます。 わたしたちは、自分の感覚で「物体」というものをとらえている。 たとえば目の前のコップ、これを眼で見、手にとって、手触りや重さを知る。落とすと割れる、中に飲み物を入れることができる、そういったことの一切は、経験によって知っている。 けれども、このコップから、自分の感覚によって与えられた要素を、ことごとく取り去ったら何が残るか? 何も残らない。 ここから有名な「存在とは知覚されることである」ということが出てきます。 こうして、バークリーは「物体」という「実体」(デカルトは「存在するために、他のいかなるものも必要とせずに存在するもの」として、神・精神・物体の三実体を考えます)を否定するのです。 そうして、ここから世界をつねに知覚しているはずの「神」の存在を証明しようとするのですが、そこはここでは触れません。 つまり、理解してほしいのは、世界も他者も、自己の意識の像にすぎない、と考えたバークリーも、「独我論」をうち立てることを目的として、こうしたことを考えたわけではない、ということです。事実、バークリーは物体を「神の観念」と見ることで、独我論を免れようとしているのです(みんなこの部分はあんまり触れないけどね)。 独我論が「アポリア」とされるのは、そこへ向かおうとしなくても、そこへ落っこっちゃうから「アポリア」なんです。 さて、この回答は >独我論や懐疑論以外のことを論じているときは(独我論や懐疑論があるゆえに)自分の言っていることが間違っているかもしれないということを覚悟の上で論じているのでしょうか? という問題の答えになっているでしょうか。

その他の回答 (3)

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.3

>「独我論や懐疑論以外のことを論じているとき」の「以外」を飛ばして読んでしまいましたか? ?いいえ。 少なくとも(独我論や懐疑論があるゆえに)間違っているとはこれっぽっちも思わないんじゃないでしょうか。そういう意味で答えたのですが。つまり独我論や懐疑論はそもそも議論する以上問題外なのですから。(議論するということ自体が実践的には独我論や懐疑論の否定だと思います)。 だからそんな覚悟などしないし覚悟してもしようがない。 そうじゃなくて独我論者でない者にとって学問(哲学に限らない)はそもそも自分が正しいと思うことを主張すると同時に反論をこそまっているわけで。 最終的に相互批判を通じて「より真実に近い」結果を得ようとするのが学問だと思っていますから。

  • corpus
  • ベストアンサー率12% (25/200)
回答No.2

独我論や懐疑論を否定するのも難しいと思いますが、肯定することも難しいことだと思います。 それはさておき、哲学者は常に間違っているかもしれないことを言っているのだと思います。いやむしろ誰にもできなかった間違いを”好んで”するのが哲学者のありかたではないでしょうか?過去の自分の考えにも猛烈に批判すると思います。正しいか間違っているかも重要かもしれませんが、どのようにして間違っているのかを考えるのも面白いと思います。

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.1

独我論って極論すると「俺はこう思う、文句あるか」になります。この場合そもそも自我以外の存在を認めないのだから議論の余地もありません。だとすれば論じてもしょうがないんです。覚悟も何もいりませんしね。だってすべては自分の意識のなかの出来事なんですから。 こういうこともできるかと。 ほんとに他人が存在しているかどうかはともかく、存在しているとすれば以下のメッセージが届くかもしれない。 逆に存在してないとしても、こうすることが何か害になるわけではないので、まあやっておいたほうがいいんじゃないか、と。

noname#95131
質問者

補足

私の勘違いだとするととても失礼なことになるのですが、私の質問文の「独我論や懐疑論以外のことを論じているとき」の「以外」を飛ばして読んでしまいましたか? どうか返答をお願いします。

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