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ベストアンサー以外の回答(1件中 1~1件目)
以下が源頼朝、源義経、梶原景季の関係です。
屋島の戦いで源氏軍勝利 → 壇ノ浦の合戦で源氏軍勝利、平家滅亡 → 戦績の著しかった源義経・梶原景季、初め20人余りは共に後白河法皇に任官された → 頼朝は「勝手に任官しやがって。鎌倉に帰って来るな」と怒る → でもなぜか景季は許された。義経は許さなかった → 頼朝は景季に「叔父の源行家を討伐せよ」と義経への伝言を託す → 義経は自分の病が癒えるまでそれは出来ないと言う → 景季はそれを頼朝に伝える → 頼朝は怒る → 義経討伐の命が出される
頼朝と義経の不仲の原因は梶原景季にもあるというのは、ちぃっと正しくないですね。梶原景季はただ頼朝と義経の伝言板役を務めただけで、勝手に頼朝が怒ったというのが明白です。義経の人気が疎ましかったのもあったと言います。策士だったわけです、頼朝という人物は。結局は自分の手を汚さず、平家を滅ぼし、鎌倉に幕府を開いたんです。そして自分の邪魔になる存在を消していったんですから。だから頼朝の後の将軍、源頼家、源為朝の3代で源氏政権が倒れたのも、頼朝の権力志向が産んだ結果とされています。
投稿日時 - 2011-03-30 21:24:34
お礼
梶原景季は、兄弟の伝言板役を何度か務めたのですね。
ありがとうございます。
投稿日時 - 2011-03-31 12:35:59