「源義経が生きていた」と言う説(1/2)

解決済みの質問

「源義経が生きていた」と言う説

東北方面に旅行するたびに、とても気になることがあるんです。

源義経は、兄である源頼朝に文治年間だかに平泉で殺害されたはずですよね。偉大なる兄弟喧嘩の末に。

平泉や遠野、八戸なんかの観光名所に行けば必ず「義経北方説」とか言う看板が立っていて、「源義経は平泉で戦死せずに蒙古に渡ってジンギスカンになった」というようなお話が書かれているんですが、あれは単なる伝説なんでしょうか?

伝説が残っている処を辿ると、確かに平泉から青森方面まで源義経の足跡が残っているらしく、その上、かの地の看板を見れば、義経が逃げる途中、各地に置いていった鎧や太刀や直筆の書状等の遺物が残っているとそうです(看板によると教育委員会のお墨付きみたいです)が、逃亡しえた可能性はありえたんでしょうか?

素人の私からすると、チンギス・ハンになったらしいと言うお話は飛躍が大きすぎる気がしますけど・・・。

投稿日時 - 2008-05-11 02:37:28

QNo.4013261

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

古来有名人というのはなかなか死ねないものです。
何とかして生かしておきたいという後人の願望が伝承や異説となってのこるものです。

後世はっきりした証拠が出て死亡が確認されるまではこのような伝承は生き続けるものです。
アレキサンダー大王しかりアーサー王伝説しかり洋の東西を問わずこのような事実は存在します。

しかし冷静に考察すれば義経伝説はあり得ぬ事とおもいます。
当時義経は藤原氏の頼人といえどちらかといえば望まれぬ存在でした。
既に頼朝の威令が確立し藤原氏もその埒外に居ることは許されない程の時勢でした。
この為藤原氏の延命を図る為義経暗殺を計画したのですから藤原氏側に準備の遺漏はありません。  十分な兵力を集め包囲し脱出を防いだと思われます。

義経に心酔していた弟国ひらも殺している位です。  このような状態で足弱な妻子をつれて逃げることは不可能と考えるのが普通です。
義経に忠実な郎党らも討ち死にしています。  東北地方は藤原氏の領地で命令は行き届いたでしょう。

義経関連の遺物というのは想像の産物に過ぎないでしょう。

投稿日時 - 2008-05-11 13:56:25

お礼

こんばんは、komesさん。アレクサンドロスもそうでしたか・・・。
子供の頃、祖母の話では西郷隆盛がシベリアに逃げたと言う噂があたったそうです。
さて、私も俄かにざっと義経生存説について調べてみました。
komesさんのお話の通り、義経が自害したと言う状況証拠は沢山存在し、合理性もかなり高い。義経が逃亡したと言う状況証拠と言うと質にかなりのばらつきが有り、しかも口伝で年号等は不詳。
確かに源義経が立寄った事を示す信頼度の高い文書もあるようですが、これは「逃亡する前に書かれたものではなく」、高舘で自害する前に立寄ったと言う記録のだそうです。
ただ、源義経に対する土着民の思いと言うものは相当なものだと思いました。
詳細なご回答有難うございました。

投稿日時 - 2008-05-13 00:03:33

ANo.8

3人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

[  前へ  |  ]

ベストアンサー以外の回答(10件中 1~5件目)

ANo.11

私が大学生で教養部だったときに受講した地理学の教授は、北海道・樺太・千島の古地図を研究している人でした。
この先生が、義経伝説に言及したことが有ります。
先生の結論は、こうでした。

義経から100年ほど後の時代の人で、日蓮上人の直弟子の1人だった「日持上人」という人が居た。
この僧が、東北から北海道へ布教した。
さらに、樺太から大陸に渡り、現在の中国東北部まで行って、そこで亡くなったらしい。
義経伝説の場所と、日持上人の足跡の場所は、かなり一致する。
義経伝説の正体は、日持上人ではないだろうか。
「少なくとも、鎌倉・室町時代に、東北-蝦夷地-樺太-満州の交易ルートができていて、人の往来が有った」

後年、義経伝説が出るたびに、私はこの話を思い出します。
しかし、日持上人が樺太や満州まで行ったというのも、日蓮宗の中では伝説として信じられているものの、必ずしも検証されているものではないようです。
日持上人の墓が満州にあるというのも、日本の満州国建国の為の作り話であるとの反論が出ていますけど。
下記は、日蓮宗の道南布教所サイトにある、日持商人のページです。

先の先生の結論は、源義経や日持上人のような伝説的な人物だけが北へ渡ったのではなく、北方の交通ルートは現代の我々の想像以上に活発だった、ということです。

この話を聞いた頃、まだ樺太はソビエト連邦でした。中ソ対立が激しいし、満州から残留孤児が日本へ帰ってくるのは、もう少し先でした。
義経や日持上人の歩いたとされるルートは、失地回復を願う落武者か、大きな野望を持った英雄しか歩けないイメージだったのです。
でも実際は、少し冒険心のある商人なら何度も往復した道だったようです。

参考URL:http://donan.nichiren-shu.jp/40_nichiji_shounin/40_01001.htm

投稿日時 - 2008-05-11 20:51:12

補足

Shirozaru9さんこんばんは。
私が子供の頃、満州から復員された方から、シベリアのナホトカに伝・源義経の墓があったと聞いています。またその方は、千島に聖徳太子が渡って異民族を征伐したと言う伝説も語られました。
奥州も砂金の産地であり、現在の北海道、そして黒竜江当たりも貴金属の漂砂鉱床が高い密度で点在する。そうすると、金売り吉次と言う架空人物も蝦夷地に渡航していた可能性もある・・・金の流れ=人の流れ。
以前私が深い絶望に有った時、北日本を車で旅行した事があります。都会の喧騒を離れ広大な原野の一本道を走った時、気が付けば心には悲嘆も不安も無く、だだひたすらに爽快でした。
古来北へ向かった日持上人も、そしてその他の未開の地へ向かった諸氏の心も、きっとこの爽快感を感じたのではないかと、今私は思いました。北には人を勇気付ける何かがあるのかもしれませんね。
Shirozaru9さんには、また別の質問でもでお話を聞ければ幸いです。
貴重なお話有難うございました。

投稿日時 - 2008-05-12 23:45:02

お礼

間違って補足欄にお礼を書き込んでしまいました。申し訳ありませんでした。

投稿日時 - 2008-05-12 23:51:33

ANo.10

高木 彬光氏著書の「ジンギスカンの秘密」をお読みください。
かなり突っ込んで書かれていますよ。しかも面白い。
角川文庫から出てます。

投稿日時 - 2008-05-11 19:28:24

お礼

こんばんは。toro321さん、お久しぶりです。
久々にこのサイトにやってきました。
当方は相変わらず化石燃料の先物の高騰で、燃料費のコストに悩まされてる昨今です。
個人的には4月にガソリンが安くなったのを期に、思い切って連休を東北で過ごしてきました。
toro321さんも歴史関係に興味があられたんですね。平泉で日本刀の原点と言われる古い「舞草刀」と、そのタタラの跡地を見学してきました。タタラ跡の周囲に雨に洗われて古い時代の鉱屑が散在していたのですが、その中に磁鉄鉱(スカルン鉱床由来?)の鉱石のような物が混じっていたので、もしかすると砂鉄だけでなく鉄山からの鉱石を精錬していたんじゃないかと思いました。だとすれば、古代の東北では大和よりも高度な鉄の生産技術を持っていたのかもしれません。
>高木 彬光氏著書の「ジンギスカンの秘密」
是非購入してみます。古代の東北は大陸との交易が盛んだったようですが、もしかすると平泉には大和とは別系統の精錬技術が大陸から渡来していたのかもしれません。
以後も宜しくお願いします。アドバイス有難うございました。

投稿日時 - 2008-05-13 00:44:06

ANo.9

色々な見方ができるのも歴史の楽しさだと思っていますので、史実は史実として、ロマン溢れる大陸へのお話に花を咲かせる事も大好きです。

義経の平泉から後に関しては、チンギス・ハンの前に、ホンカンカムイの伝説というアイヌのお話もあるそうですよ↓

http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2006/12/post_c596.html

投稿日時 - 2008-05-11 14:18:39

お礼

nene-kさんこんばんは。
面白いお話ですね。コルテスがケツァルコアトルに間違えられた話に似ていますね。
「キムタク」と言うと、「イケメン」とか「良い男」の代名詞であるかのように、「義経」が日本の理想の武士像の代名詞に見えてくるように思えてきます。もしかして、全国に出没した「義経」とは、悲運の落ち武者で、異邦人の総称?に見えてくるから不思議です。
義経が生存していても自害していてもどちらでも良くなってしまいますね。これが歴史のロマンと言うものなんですね♪有難うございました。

投稿日時 - 2008-05-12 23:53:27

ANo.7

当然こういう話は否定論が山ほどあります。否定するのが現実的でオトナであるという風潮ですが、ただ、私、判官びいきとしては否定論もそれほど確定的にも思えないというのが正直なところです。
特に英語圏的な発音では「ゲンギ(源・義)ハン」と聞こえる発音ということもあります。
それにチンギスハンの墓も見つからないだとか、まだまだ想像をかきたてる部分は多い状況なのではないでしょうか。
単にオトナゲナイという寂しい否定論で忘れ去ると言うには惜しい素材だと思います。
私は肯定論者としてできる限り追求したいと思っています。

投稿日時 - 2008-05-11 13:04:51

お礼

konokonokoさん、こんばんは。
なすよしおもふかな・・・成吉思汗・・・チンギスカン。
私が看板を見て率直に思ったのは、義経が逗留した地点を線で結ぶと、一つのラインになるようですが、あれって私のような初めて見た人間には鮮烈に見えるんです。史実と言われることと、全く逆の説が唱えられてるわけです。地域興しとしたとしても、藩政時代にここまで整備可能だったか、それを実行しえたとしても、そのメリットて何のためにあったのだろう・・・と疑問がわいて来るんです。
アドバイス有難うございました。

投稿日時 - 2008-05-12 00:01:26

ANo.6

お初です
Wikiに記載が無いところを1点述べます。
義経北行伝説の跡を辿ると、実は奥浄瑠璃(奥州の浄瑠璃)の辿った跡とほぼ一致します。義経が北に逃れた話は奥浄瑠璃の語り部が語る全く違う話と混同されたものとも考えられます。
いずれにせよ義経北行伝説は室町期以前には無かった話です。
もっと言えばチンギス・ハン=義経は江戸期以降の話になります
伝説の足跡を検証してみると、義経一行を泊めた、とか、風呂に入れたとか休んだ場所・・・など現在では検証不可能な物が多く、単なる伝説と考えられています。
また、北海道に渡ったとする事に付いては北海道経営政策上都合の良い話だったとも言われています。

投稿日時 - 2008-05-11 12:45:07

お礼

kenkeyさんお初です。宜しくお願いします☆
久々にガソリンが安かったので、平泉だけの観光の予定が、義経伝説の看板を読んで心変わりして、遠野まで足を伸ばしてみました。
自動車を運転しながら考えたんですが、義経は奥州藤原氏に庇護されて、平泉で何年か過ごしたわけですよね?だったら義経が逃げた時ではなく、本当に生きていた時に立寄った処だったんじゃないかと思った時もありました。
>実は奥浄瑠璃(奥州の浄瑠璃)の辿った跡とほぼ一致します
奥浄瑠璃につては知識が無いのですが、琵琶法師の戯曲集みたですね。是非読んでみます。
歴史は不得意なので、義経を期にちょっと古代の歴史物を読んでみたくなりました。次に何かまた質問する事があると思いますが、その時は良かったらkenkeyさんのお力を貸してくださいね。有難うございました。

投稿日時 - 2008-05-11 23:20:35

あわせてチェックしたい
  • 源義経! ...
  • 源義経 ...
  • 源義経 ...
PR

OKWaveのオススメ

教えて弁護士さん!

お金の悩みQ&A特集はこちら

おすすめリンク