料理にみる自然と人間

このQ&Aのポイント
  • フランス料理と和食の差異について、素材の扱い方としての自然との向き合い方を考察します。
  • フランス料理では濃いソースが使われ、素材の鮮度を感じにくい一方、和食では素材の新鮮さや四季の変化を引き出す配慮が行き届いています。
  • フランス料理は自然を征服し、素材の複雑な味わいを押さえて安心できる「美味」を追求している一方、和食は自然と共生し、元の味を大切にしていると考えられます。
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料理にみる自然と人間

私はフランスに暮らしていますが、日々、フランス料理と和食の差異を感じています。私が最も気になったのは、素材が元々持っている味をどう扱うかという点です。素材との向き合い方とは、すなわち、自然との向き合い方です。これを思想的に考えてみたいというのが設問の趣旨です。具体的にご理解いただくために、私が日仏の差について感じたことを以下に述べてみます。 フランス料理にとって重要なのは(自分で食べたり料理したりするだけではなく、複数の本を読んで調べてみましたが)、どうやらソースのようです。ソースは非常に凝ったもので、確かに一度目はハッとさせられるものです。しかし濃いソースをかけると、食材が潜在的にもっている繊細な味が塗りつぶされて、食材の鮮度は十分に感じられません。ホワイトソースなどになると、店を変えても、年中、同じものを食べている感覚におそわれます。四季や旬などというものが感じられないのです。 しかし和食では逆に、四季や食材の新鮮さを感じさせるための配慮が行き届いています。味噌や醤油は凝ったソースですが、食材の元のよさを引き出しているのであって、味を塗りつぶしているのではありません。同じ魚や野菜を食べていても、四季によって、味が変わるのが実感できます。 人工的なフランス料理と自然の元の形を残そうとする和食は、そもそも料理の方向性や発想からして違うのです。これは何が違うのでしょうか。日々、感じることをまとめた結果、私は次のように考えたのです。――西洋人にとって自然は征服するべき対象であるとよく言われます。この見方を当てはめると、フランス料理はソースによって自然=食材を征服しているのであって、素材の複雑な味わいを押しつぶした果てに生まれる、のっぺりとした味こそ、征服の証しであり、安心できる「美味」になると考えられます。しかし日本人にとって自然は共生する相手なのだから、元の味を残していた方がありがたいように感じられ、少々生臭いとか複雑な味であっても、「美味」として受け入れられるのではないか、と考えたのです。 もっとも、同じ西欧でも仏伊独の料理は違うのですから、上記の話は、フランス料理を西洋料理の代表であるかのようにみなして書いており、かなり大雑把であると言わざるをえません。しかし料理のコンセプトの違いには、人が自然に向き合う思想の問題が横たわっているのではないか、という設問の趣旨はこの例で十分説明されたと考えています。 できれば、海外滞在のご経験が長い方の回答を希望いたします。というのも、四季を通じて同じものを食べ続けないと、上記の問題点は、あまり明らかにならないと思われるからです。 しかし設問は、料理における自然と人間との関係を問うものです。したがって設問の趣旨を広く解釈し、外国料理と和食の比較という論点から離れるが、料理することが好きな方が、調理する行為を通じて見える人間と自然との関係を考察するのであれば、どのような切り口からの投稿も歓迎いたします。たとえば辰巳芳子はバシュラールの思想を自分が素材に向き合うコンセプトを説明する際に援用していたと記憶します。もちろんバシュラールは料理論を書いていませんが、私はこういう遊び心が好きなのです。既存の思想家の理論ではなく、科学と結び付けてもいいですし、ご自分の哲学を開陳していただいても構いません。ユニークな議論を歓迎いたします。 なお、この設問は思想を交えて食文化を考えようという真面目なものですが、『美味しんぼ』的に気軽なものを想定していますので、どうぞ肩肘張らずにご参加ください。

noname#130919
noname#130919

質問者が選んだベストアンサー

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  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.8

フランス料理には詳しくありませんが、個人的にはマロンクリーム (缶詰の)は日本産よりフランス産の方が断然美味しいと思います。 鮮烈な舌が少ししびれるような渋みの味わいは、日本の栗には出せ ないのかもしれませんが、あくぬきの影響もあるんじゃないでしょう か。 京都の生菓子のように、何度もあくをぬいて、雑味をけして、お上品 さを追求したすっきりした味はそれはそれで、素材の持ち味を洗練さ せていくという方向で引き出していると思います。大吟醸のお米の核 の部分までけずる的なこだわり。 しかし、大地の力を感じる様な味は、いまの時代になっては逆に貴重 なのかもしれません。磯臭さとかえぐみとか酸味のような野趣は、も しかしたら国を問わず現代人が求めている味のようなきがします。

noname#130919
質問者

お礼

栗はマロングラッセにせよ、フランス製が美味しいですね。私はお菓子については、フランスの菓子が油絵だとすると、和菓子は淡さを感じ取ることを楽しむ水彩画のようなものかと思います。 いろいろ試してみましたが、フランス人と日本人の「うまい」の味覚は大きく違うようです。ピエール・エルメのチョコ菓子に象徴されるように、フランス人は単線的に濃い味が好きなのだという結論に至りました。私からすると、あれは原材料を食べているのと変わらないような気になります。味を引き出すということについての考え方ですが、私としては、もっと複数の味のアンサンブルによって材料の良さを引き立てることが欲しいと思うのです。たとえばリキュールを混ぜて味の対比を強調したら、良質のカカオが引きたてられ、もっと面白い味にならないだろうかと思ったりします。 しかし日本人のパティシエの洋菓子をもって行くと、フランス人は逆に首をかしげていることが多いのです。味が複雑すぎてわからない、と。リキュールを使いすぎているとか、ゴマの風味は不要だとか、シンプルなものが好きなようだなと思います。また羊羹が食べれる人は、ごく稀です。特に濃いものならいざ知らず、やはり薄すぎるのですし、種類や味の微細なコントラストが判別できないようです。小豆を甘くして食べる文化がありませんから、「これは何だろう?」という警戒心も先だってあるのかもしれません。 私には和菓子の淡さは、素材が潜在的に持っている自然の味を引き出すための工夫であるように思われたのです。しかしハートマインドさんのおっしゃるマロンクリームのように、フランスのお菓子には素材を濃縮したシンプルな力強さがあると言えます。それは和食とはまた別の意味での、野趣の演出の仕方だと言えるでしょう。こう考えると、楽しみが増えます。少し見方が広がりました。

noname#130919
質問者

補足

多くの回答を頂き、大変有意義で、さてこれからというところだったのですが、先ほど、大地震が発生してしまいました。これから食うに困る人が出てきてしまうのが明白な中、悠長に食べ物談義などするのはどうかと私は思います。 大変な時ほど空元気を出してとも言いますが、私の設問欄はそういう大層なものではないのです。更に設問欄に私はフレンチなどと書き綴って、一見するとスノビズムの権化のような設問になっています。 言い訳すると、当初の予定としては、各国の料理における人と自然とのかかわりをご教授いただきたいと思ったのでした。実際、OkWaveには海外滞在が長い回答者の方が多くいることが見込めたのです。議題はまだ、転がりきらない段階でした。 しかし食べ物談義という話題はいつでも議論できます。今の私としては、地震の問題や復興支援を考え、また自分が可能な範囲で実行することに時間を費やしたく、それで、この設問欄は一端、締めさせていただくことにしました。 No13、No10など、ベストアンサーに選びたい回答は複数あったのですが、私に考えるきっかけを与えてくれたという意味で、No8の回答を選ばせていただくことにしました。良回答を投稿してくださった皆様、ありがとうございました。

その他の回答 (12)

  • k_kota
  • ベストアンサー率19% (434/2186)
回答No.2

まあ、細かいところは置いておくけど、 フランス料理でソースが発達したのは当時新鮮な材料が得られなかったためと何かで読みました。 鮮度が落ちたり、腐敗に近づいた食材を調理するには香辛料やソースの力が必要だったのでしょう。ついでに言うとそれを流し込む赤ワインも必要だったとのことです。 ただ、フランス料理をのっぺりした味と言うのはちょっと危険な気がします。 フランスで何回くらい食事をしたでしょうか? 逆の立場で言えば、海外の寿司を何百回食べても、日本風の料理を何回食べても 本当の日本料理の味わいは分からない訳です。 3大料理に数えられるフランス料理はそんなものなのでしょうか、 フランス風料理で判断しているとしたらちょっと失礼かもしれません。 もしくは嗜好の問題かもしれませんし。 私はちゃんとしたフランス料理を食べたことがありませんので、見当違いなことを言っているかもしれませんが、 食材を補う方法としてのソース、乏しい栄養を補うための大豆食品などはいずれの自然と向き合った人間の技だと思います。 私の思い過ごしかもしれませんが、それも含めて「分かったつもり」は危険だと思います。

noname#130919
質問者

お礼

残念ながら、設問の趣旨をご理解いだけなかったようですね。まず私はフランス料理が自然に向き合っていないとは書いていないのです。自然に対する向き合い方が、和食と違うと述べているのです。 そして私は、フランス料理なるものを、毎日食べているのです。「フランス料理」というと超豪華な料理を思い浮かべてらっしゃるかもしれないが、これは間違いで、フランスの庶民的な料理を工夫して、お祝い事やもてなしにふさわしく豪華にしたものがフランス料理であるようです。作れと言われたら、材料費を落とすために珍味を使わないことにすれば、私でも作れるでしょう。 また、なるほど香辛料が必要だったのは、鮮度の良いものが手に入らなかったからですし、そのために香辛料の値段が高騰したのは有名です。おっしゃる通りです。 しかし現代では、交通網が発達しているから、料理の方法が変わってもいいはずだ、とも思えるのです。それに日本にせよ、昔は人が走って食材を運んでいたわけです。常に新鮮であったとは思えません。しかし料理に旬を反映させたのが和食であるわけです。季節を料理に反映させるとは、どの時代でもどの国でも、物凄く大変なことであったはずです(魯山人は野菜の鮮度を重視し、注文を受けてから引っこ抜いたという逸話があるほど)。この差には、根本に思想的な問題かあるのではないか――と私は考えたのです。 大体、アリストテレスにおいて、料理は化粧と同じく、まやかしの術なのです。「まやかし」とは、元々は食べれたものではないものを、ソースの味によって食べさせるということでしょう。別にアリストテレスは料理を論じているわけではありませんが、こういう発想を彼が抱くに至った理由は、元々鮮度や旬を度外視する調理方法が発達していたからだと思えるのです。こうしてみると、設問文の繰り返しになりますが、自然を征服することが、彼らの自然に向き合う方法だと私には思えてくるのです。それが悪いとは言っていません(私も毎日食べているフランス料理を嫌いになりたくはありません)。ただ思想的な違いがあると分析したら、面白いのではないかと考えたのです。

noname#130919
質問者

補足

寿司を何度食べても汲みつくせないものだとおっしゃいますが、私も日本にいた時は同じことを考えました。しかし比較対象をもつと、明らかになりやすいということがあります。これは何に対してもそうだと言えます。たとえば同じ作家の作品だけ読んでいると汲みつくしきれないという意味でわからなくなってしまうが、他の作家と比較してみると、「大雑把に言ってAという作家の特性は~~である」などとわかってくるわけです。 かくして和食を理解するためには、外国料理との比較もまた、一つの理解する有効な手立てであると考えられるでしょう。そこで外国料理の比較検討という観点で投稿するのなら、海外在住の経験がある方の回答を、と書いたのです。 ご回答では謙虚に書いてらっしゃるが、実はフランス料理のスペシャリストであるということでしたら、どうぞ、この料理はどうか?食べたことがないだろうな?などとおっしゃって、私の愚昧な考えを払拭してください。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.1

読んでいて、キリスト教と神道の違いのようで、「食に関する深い考察だが、全てに通じるなぁ」って思いました。 えっとキリスト教がどうして日本で普及しなかったのか。 考えてみれば、日本人は自然を神とし、畏怖しつつも、自然の恩恵を知っており感謝して利用してますよね。 木目とか、ニスで塗りつぶさない自然を生かした家具と、塗りつぶした家具。 塗りつぶした方が綺麗にみえますが、地の味を生かした趣のある家具 とは言えないですよね? 別物に変えてしまうわけですから。 キリスト教ってのは、各地に入り込む時、その土地にあって崇拝されている自然神を悪魔とした。 そして自分達がもってきた新しい神を本当の神だとして、塗りつぶしてしまった。 いろいろな価値観の違うものがあったが、これだけですって全部塗りつぶして新しい色に染めてしまった。 染めることが可能だったので、染まってしまったのだと思う。 日本の場合は、神は一神だが、時と場合によって現れる面が違うと知っているので、八百万の神々 つまり たくさんの面を持った神という概念を持っている。 太陽は植物を育て、私たちにその恩恵を搾取することをゆするが、時には晴天続きで植物を枯れさせてしまう面も持っている。 で、マイナス面の時は、畏怖し、恩家をもたらすときは感謝する。 自然をありのまま捉えているので、自然を否定しないわけです。 自然を生かしたつくりだから、道とかごちゃごちゃに見える。 自然はまっすぐじゃなくて曲がりくねっていますから。 西洋の文化は石畳など、自然を上から塗りつぶし、自分達の使い勝手がいいように改造してしまう文化。 日本人だって、食物を品種改良したりしていますが、ある特性のあるものを改良してその特徴がよく出るようにしているわけですよね。 だから 調味料で味付けしない。 豆腐とか、醤油をかけないでも味があるようにしたりする。 ペンキで塗る文化と、素材そのものの味を特徴に沿って改良し味わう文化。 その違いなんじゃないかと。 古典のときに「おもしろい」って単語がでてきて「趣が深いって意味」だと習ってきたが、趣を大事にするわけです。 「何故日本の庭は木ばかりなんですか 花をもっと植えたらいいのに」という外国人に対して、「日本人は自然を崇拝しているのでこうなる」って説明するのが一苦労。 不ぞろい つまり 特徴を大事にするってことなわけで、それの変化が盆栽だったいして、まあ 無理やり曲げてミニチュアを作るわけですが、自然を小さく凝縮しているってのはわかる。 イギリスなどは、全部一定の高さに切り込んでしまいますよね。 特徴を削ぎ落とす。 宗教、食・建物・庭 いろんなところに、人種の違いによる特徴が出ているなー と改めて思いました。

noname#130919
質問者

お礼

いろいろ話が多岐にわたっていますね。キリスト教の話は、ガーゴイルを思い出してみると明らかですね。恐ろしげな姿をした悪魔がなぜ教会を守護しているのかと思えば、それはもともと地元にいた神であり、征服したのだから悪魔のように描かれたのだそうです。 ただ宗教の問題は、食とはまた別の観点から考えてもよいかと思います。というのも、仏教や神道も宗教上の戦争はしているわけで、「塗りつぶす」点ではキリスト教と大差ないと思うからです。実際、仏教や神道にしたところで、共生を目指すどころか、元あったものを完全に破壊してしまうこともあるでしょう。 ただ都市の造形や造園については、おっしゃる通りだと思います。たとえばフランスでも竹林や松などは流行りで、随所に、いわゆるジャポニスムの影響が見られます。しかし何かが違うなと思ってしまうのは、配置がどうも違うのです。庭園の隅っこに、区画整理された中に植えられているのです。しかし日本では触れようと思えば触れられるような位置に、木々は植えられています。宮廷付きの庭園は、それは見事に区画整理されています。自然とは支配するべきものなのだなと、そうした庭園を見ると私は感じたりします。庭園も味も同じだと思えます。 ただこれを「人種の違い」といってしまってよいものか。私は「思想の違い」であると考えたいのです。というのも、もうどの国も移民がいてコスモポリタンですから、「人種=エスニシティ」という考え方は、あまり有効ではないと思われるのです。パリは多くの人種溢れていて、フランス料理など食べる理由はないはずです。しかし人が変わっても、同じようなものを食べています。コスモポリタンという点では、東京もそうなりつつあります。その中で味付けなど表面的なことは変容するでしょう。しかし和食の基本的なコンセプトは残っていくと思えます。こうした底にあるものを思想という風に考えてみたのです。

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