• ベストアンサー

福沢諭吉はなぜ瘠我慢之説で勝海舟を批判したのか?

thegenusの回答

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.4

補足、拝見しました。新しい知識が増えて感謝しております。回答者の方が礼を言うのも変ですが、有り難うございます。 『 Kock Out Boy でしょうか』と聞かれても、意味が分からないので、答えられません。すいません。 私はsignakさんのように英語カテで活躍するほど語学力がないのです。 分かりますか。勝は慶喜の家臣。武士は今の自分があることを主君に感謝し、いざという時に恩返しをする、これがいざ鎌倉の精神です。それが戦国以来、何百年ぶりに来たまさにその時なんです。いざという時は死ぬ覚悟でするんですよね。日本中の武士全員がそうだった時の話です。 勝だけ例外ですか。 勝になんの言い分があるんですかね。勝は武士でしょ。気に入らなければ幕府の高官を辞めて、脱藩すべきです。なぜしなかったのか、ですね。 こういう話に、きりがないとおっしゃられても、あなたと同じ歴史観の回答せよということ? 質問者さんがNo.1~2の補足で、如何でしょうか如何でしょうかと質問するから答えたじゃないですか、 そしたら、信者ですよ。 反対意見を信者にする人は芸がないですよ。あなたは芸のある人なんでしょ。お教え下さいと質問して、信者はないでしょう。 私は福沢のスレを立てたり、福沢の墓のことまで知りませんから。信者じゃないですよ。福沢の著書「痩せ我慢の説」も読んでませんし。 福沢が一番なんて言っていないです。信者みたいなこと言っているのはあなたですよ。勝は、日本の『歴史上で一番』なんでしょう。あなたの意見だから構いませんが、信者は私の方じゃないでしょう。最初からお教えしているのですから、信者を撤回すべきじゃないですか。 しかも私は、「勝は第一の功労者だ」とほめてるんですがね。私の回答文のどこを読んだのですか。 礼儀や立場が分からないと、通じない話かもしれません。同じ様な話ですから。 封建時代にあっては、不満を感じる家臣の方がエゴなんですよ。そうでなければ『封建的』なんて言葉が現代でも日本語の形容詞として使われていません。 任せたという言葉は君主からの礼儀作法ですよ。文字通りにその言葉を利用して、主君を批判しても、勝の方がおかしいんです。幕臣が『慶喜、お前、言ったじゃないか』は、ないでしょう。命をも捨てる家臣が、死んで本望のはずの家臣が、怪我一つ負わなかったのに、自分の立場がないような贅沢を言うのは大間違いです。明治になって勝が出世した一方で、沢山、幕臣が死んでもいます。 全権一任は近代用語ですから、勝の弁護には語弊があります。幕府を任したんじゃない。軍使です。勝の思い違いです。 水戸藩士や会津藩士が自分の主君にたてついたら切腹ですよ。徳川家は違うんですか。 幕臣が長州藩士や薩摩藩士と同じ感覚ではおかしいいでしょう。 どうしても主君を批判したい時は、どうするんでしたっけ? 武士の常識です。字の読めない足軽でも、武士の子どもでも、知っています。 勝は?とぼけたか。 勝の業績の大きさとは関係のない面の批判です。 日本のためを思ってしたというなら、明治政府が確立したらもういいでしょ。武士としてやるべきことが残っている。乃木希典は下級武士の家柄でしたがしましたね。 高い報酬を得ながらも名誉職の勝には、やる仕事がない。勝先生は遊んでいるが、いつになったら元幕臣として、己のした事の帳尻を合せるのだ。厳しくいうと切腹すべきなのです。その批判をかわすには、慶喜の名誉回復運動中にするのが一番簡単です。勝は一番偉くて暇だったのですからできます。 木村摂津守は、幕臣として、明治政府から給料をもらおうとはしなかった。貧乏になった。倒幕運動した勝は豊かになった。義を無視する社会になったという視点。 勝が慶喜の子を養子に貰って、どこが偉いのですか。家臣はお礼として主君の子を養子を貰うのですよ。 日本の為に仕方なかったとか言うのはもういいから、何歳になっても、けじめをつけろ、というのが武士の道。乃木希典を見習え、と言っても乃木の方が若い。 勝の批判など残りませんよ。新撰組と慶喜の悪口は残っている、ということを把握していますか。勝てば官軍の歴史観、その一例です。これが分からないと、いくら古い文献を研究しても文字通りで歴史認識して、どんどん間違いが進むのじゃないでしょうか。 何事も一貫性があるかないかの問題ですね。時代が変って、過去を、ちゃらにしたら、それには批判の余地がありますよ。勝てば官軍の偏見は、大東亜戦争も戊辰戦争も同じです。 ご質問である、批判理由は、個人としては幕臣だった訳だろ、そういうこともあると思います。 回答者に対して信者などと言わない礼儀正しい質問にして下さい。 今後ともよろしくお願いします。

signak
質問者

お礼

たいそう誤解されている様で、困りました。私は正真正銘の勝さん信者を自認しています。勝さんの考え方や行動に全面的に肯定しています。そう言う意味で貴方も同様に福沢さんの信者ではと申し上げたものです。決して誹謗中傷するつもりは一切ありませんので、誤解なさいませんように。 貴方が福沢さんを尊敬されているので、あるいは、KO義塾のOBじゃないかと思いました。 長々お付き合いいただきありがとうございました。

関連するQ&A

  • 福沢諭吉はどうして勝海舟と

    外国に行った際、不仲だったのでしょうか? ぜひお教えくださいませ。

  • 吉田松陰と勝海舟

    吉田松陰の『幽囚録』(内容は下記URLをご参照下さい) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0 http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/yosida/syoin60.htm を読むと、筆者の名前を伏せれば石原莞爾か東條英機の主張としても通じそうな内容で、事実、松陰の薫陶を受けた伊藤博文、山県有朋らの長州閥の手により始められた日清・日露戦争を経てやがて日中・太平洋戦争へと突入していく帝国主義の道を歩んでいったことは、改めてご説明するまでもないと思われます。 一方、幕臣でありながら薩長との早期停戦、江戸城無血開城を主張した勝海舟は、維新後、明治政府で参議、海軍卿の要職を務めながらも、軍事力強化に興味がなかったのか、仕事に精を出さず、また、自ら育てたとも言える海軍が日清戦争に参加するのに終始反対しました。三国干渉で窮地に立たされた時も、「政府のやることなんてぇのは実に小さい話だ」と批判しています。(出典は下記URL) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%B5%B7%E8%88%9F もっとも聞いた話ですが、西郷と親しかったせいか、征韓論には賛成したそうです。 勝海舟には、中国に進出すれば必ず欧米列強と対峙(利権をめぐる衝突)せざるを得なくなり、中国を植民地化することはおろか逆に列強から日本の独立自体を侵されかねないという考えがあったのでしょうか? 歴史は皮肉にも吉田松陰の敷いた路線をひた走った結果、勝海舟の予想通りになってしまったわけですが、もし日本が帝国主義路線でなく勝海舟の主張通り中国進出を行わず、せいぜい朝鮮半島留まりであったならば、欧米列強、殊に米国と敵対することもなく、あのような未曾有の戦禍を免れ、明治維新から現在に至るまで東洋の一小国としてささやかな繁栄を謳歌する独立国たり得たのではないかと考えるのは、穿った見方でしょうか?

  • 戊辰戦争での幕臣間の意見

    最近幕末に興味があり調べていました。 調べていくうちに戊辰戦争にかなり興味をもちました。 教科書ではよく官軍側、薩長側の内容が取り上げていますが、幕府内はどのような状況だったのでしょうか? 幕臣の中でなぜ勝海舟は恭順を唱えたのか? また榎本武揚はなぜ箱館戦争をおこしたのか? またそれぞれどのような人が彼らに影響を与え、そのような行動を起こさせたのか? お答えして頂けないでしょうか? よろしくお願いします。

  • 福沢諭吉について

    福沢諭吉がなぜ「学問のすすめ」などをかきその生涯はどういうものだったかを調べたいと思っているのですが、本はどれがいいのでしょうか? たくさんありすぎてどれを読んでいいのかさっぱりわかりません。 ちなみに「学問のすすめ」はもう読みました。 教えてください。 お願いします。

  • 「新しい福沢諭吉」

     今、私は坂本多加雄さんの「新しい福沢諭吉」という本を読んでいます。  ですが私は馬鹿なので、あまり理解できません。 是非読まれた方、私に全体の内容と著者が言おうとしていることを分かりやすく教えていただけますか?? 是非お願いいたします。

  • 福沢諭吉について

    福沢諭吉って儒学や国学を嫌い啓蒙思想を好みましたがあれって何かきっかけはあるんですか? 儒学って現代人の我々でも読むと教養として身に付くし、国学も古代日本の素晴らしさや美しさを知る上では欠かせない書物です。 当時では福沢をかなり嫌った人間は多いはずだと思いますが。

  • 福沢諭吉について

    福沢諭吉について、ウキペディアからとかではなく、 簡単に教えていただけませんか?(;>_<;) まとめていただけたら幸いです(;>_<;) よろしくお願い致します。

  • 福沢諭吉は間違っている

    「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言ったのは誰だっただろう。もちろん福沢諭吉だが、もしかしたら私も酔っ払ったときに、年に1度のホームレス運動会でパン食い競争に出場したときにも叫んだかもしれないが、もうそんなことは、どっちでもいい。 天とはなんだ。自然そのもののことだろうか。そこに起こっている神的な意志のことだろうか。とにかく、この言葉は完全に間違っている。だから慶應義塾大学の出身者も、ほぼアホで埋め尽くされているのだ。 「天は人の上に人を造らず」まあまあな言葉だ。しかし続きが悪い。 「人の下に人を造らず」これは正直、必要ない。人の上に人を作らないのだから、当然、人の下に人を造れるはずがない。人の下に人を造ったら、下の人から見ると自動的に上の人ができてしまい造ったらパラドックスになる。だから福沢諭吉の下の句は二度手間なのだ。 日本にとって不必要なもの、二度手間なものがあれば、財布の中に福沢諭吉が一人もいないが、福沢諭吉より下の人なら数人入っている私に、誰か教えてください。 https://www.youtube.com/watch?v=Ray4SeegoKc

  • 福沢諭吉が好きです

    福沢諭吉はアジアとの別離、脱亜論を唱えましたが、日本文化にもあまり関心はなかったという事ですか? 牛肉やパンなども進めてますし。 よっぽど西洋文化が気に入っていたということですか?

  • 勝海舟

    鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争では武器(主として鉄砲)の性能の差が勝敗を分けたとよく言われています。もちろん他の要因(慶喜が江戸へ逃げ帰って兵士の戦闘意欲を削いだ等)もあってでしょうが。 長州や薩摩が坂本龍馬の協力で最新の鉄砲を準備したという事は有名な話ですが、  一方幕府側で勝海舟が咸臨丸でアメリカへ渡りサンフランシスコで大歓迎を受けています。その際アメリカでライフル(西部劇でよく見るウィンチェスター銃類)を見る機会もあったでしょうに、どうして幕府側は興味も無く購入する意思も無かったのでしょうか? 関連の本を見てもこのような事を書かれているものを私は見つけることが出来なくてずっと疑問に思っております。 江戸っ子幕臣海舟がもはや徳川幕府に見切りをつけており、維新回転を心密かに望んでいたのでしょうか? その点を教えて下さい。 もっとも私個人は封建時代を終え近代日本をスタートさせたことは我々、日本人にとって良かったし、 誇り得ることと思っております。