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福沢諭吉はなぜ瘠我慢之説で勝海舟を批判したのか?

thegenusの回答

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  • thegenus
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回答No.1

ユニークな方ですね。 痩我慢の説は聞いたことはありますが、読んでません。読まれたのですか、どんな内容なんでしょ。今一瞬調べた感じではかなり良さそうであります。読もうかと思います。ありがとうございました。 私は福沢に影響されずに元より福沢的な価値観でしたので、福沢に関する本を初めて読んだ時は、ほんと満たされた気持ちになりました。 もし現代に福沢が生きていたら、悪人扱いされているでしょうね。売国奴と言われているでしょう。お札になったり、学問のすすめはすすめらているのに、現代日本の常識は、福沢と真逆の価値観ですからね。私が共感する福沢は売国奴ですよ。 痩我慢の説ではどうなのか知りませんが、福沢が勝を大批判しているのは知っています。その本に限らず、随所で非難していますから。 先に取り上げた福沢の思想、その一つが反官です。 あなたが述べた後者の理由があてはまります。 しかしそれだけではそこまでは怒らなかったはずです。 木村摂津守と対比させていますね。木村は最高で、勝は最低なんです。芥舟は大好きだけど、海舟は大嫌いなんです。 理由は、伯夷叔斉です。 歴史に詳しくない私の意見ですが、正しいと思いますよ。 質問者さんは福沢が好きではないのですか。 面白い歴史トピックスなどありましたら知りたいものです。 我無教養故不可判読、並賀良於希熱唱、教丁髷。

signak
質問者

お礼

少し調べてみました。福沢さんは木村さん(芥舟)の従者としてアメリカに渡り、その経験を通して後半生を確立したこと。木村さんのお陰で福沢さんは世に出られたこと。 木村さんは提督として、勝さんは艦長として咸臨丸に乗り合わせたが、勝さんは後に木村さんの人となりを理解することとなるが、当初は木村さんが7歳も年下ということもあり、相当に毛嫌いしたようであり、その辺りも福沢さんの勝さん批判に及ぶのかと思われます。ありがとうございました。

signak
質問者

補足

ありがとうございました。格調高い内容で恐れ入りました。何か心が洗われたような、背筋が伸びる気分にさせられました。 ところで伯夷淑斉ですが、その通りだとは思うんですが、勝さんは古い、既に時代に即さない幕藩体制には批判的で、夷狄に対抗できる、幕府に代わる近代的な政治体制の必要性を強く認識していました。 しかし、彼は徳川慶喜には何度か煮え湯を飲まされたにもかかわらず、お膳立てをして、慶喜が参内して朝廷の許しを得るのを見届けて亡くなりました。そういう意味では彼は徳川家には忠節を励んだと思います。 そういう意味で福沢さんの「伯夷淑斉=痩せ我慢」という批判は勝さんには少し見当違いのところがあり、それが「行蔵は我にあり」という答えになったように思うのですが如何でしょうか? ちなみに、私は伯夷淑斉などどこ吹くかぜ、カラオケでストレス発散してます。

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