第二次天安門事件において,どうして いままでは民主的だった とう小平は

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第二次天安門事件において,どうして いままでは民主的だった とう小平は

第二次天安門事件において,どうして いままでは民主的だった とう小平は学生を裏切り,民主派の趙紫耀を失脚させたのでしょうか?教えて~~下さ~い☆

投稿日時 - 2010-09-09 22:09:08

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QNo.6170885

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回答(4件中 1~4件目)

ANo.4

 ANo.3補足:
 インドの創造の神、創造原理に、 創造神(顕現面、原理)、維持継続神(顕現面、原理)、そして破壊神(顕現面、原理 破壊が伴わない創造はありえない)があります。

 明治維新で国家を作るまでの人、そして継承継受して維持していく人、そして更に批判し壊していく人。
 という役割があります。学生の運動という破壊と建設までの運動とその側で抜き差しならない立場の趙紫耀は使命を終了する時期がどうしても来ます。

 毛澤東や周恩来はそれらを通していく立場と縦横性があった。
 そういう貫通の立場も必要なのです。それが鄧小平だったのではないか。と愚考しています。
 善悪とは異なる歴史次元だと存じます。

 中国が何千年かは知りませんが、それぞれの心性と文化が層になって、人々の心性と文化の層として生きているのを時々感じます。
 数年前に80数年の享年で逝去した義兄は実は中国人でしたが、日本人とは異なる心性の層を私は感じておりました。

投稿日時 - 2010-09-12 09:23:00

ANo.3

 東洋人(中国人やインドの方)は西洋のタームや概念、その訳語で推し考えることが困難というか不可能だと存じます。
 かの文化的に心性的にも伝統の国の、大きな国とその権力激動の歴史のプロセスで、指導していくことの中で、時に柔和な近代性を見せるかと思えば、異なる側面を見せながら歴史を流れ、ながれさせていくのでしょうね。

 民主的でいっておいて、やはり権力の統率と執行のためには、民主的性を貫く姿勢傾向である趙紫耀の整理はやむをえなかったと存じます。
 泣いたかどうか知らないが、馬謖は斬らねばならない時がくるものです。

 東洋人に民主だの主体だのという西洋思想カテゴリーは適用しにくいものです。
 幾層のも引き出しや、数十の面、顔をみせるのが、東洋人です。

投稿日時 - 2010-09-12 07:36:21

ANo.2

>いままでは民主的だった とう小平
とう小平が民主的だったことはありません。

投稿日時 - 2010-09-11 15:20:12

ANo.1

こんにちは。 

私は某化学企業の海外事業を担当した時、鄧小平氏を工場に迎えたことがあります。 あれは1979年11月1日のことでした。 六四天安門事件の事件の十年前で、鄧氏が権力者になったばかりで精気に溢れていました。 権力者と言っても小柄で結構面白いことを言うおじさんでしたよ。 権力者だと凄い人と思われがちですが、そうでもありません。 でも『オーラ』は権力者のものでした。

彼は我々の工場でも挨拶し、『国の経済を解放し、20世紀中に世界のトップに立つんだ。』と力説していました。 

これは個人のGDPで世界の先進国に追いつくと言う意味ではなく、 国のしての生産額において世界のトップになる。 これが計画経済を標榜する共産主義のやりかたなのです。 生産額というマスの捉え方しか出来ないのです。 品質管理なんて考え方は彼らには理解出来ません。 ノルマに達しなかったら、平気で石ころでも詰め込んで生産量で目標をクリアーするのです。

中国は経済は解放しましたが、政治開放を目指してはいません。 経済を解放し、資本主義的市場経済性を導入したに過ぎません。 未だに中国共産党による一党独裁が続いています。 

投稿日時 - 2010-09-10 12:26:22

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