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なぜ鄧小平は完全抹殺まではされなかったのか?
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お礼
詳細に教えていただきまして、ありがとうございます。 文革期の失脚時だけでなく第一次天安門事件での失脚時も 「鄧小平を温存しようという毛沢東の思惑が明確に働いていた」 と理解するとずいぶんとスッキリします。 四人組の影響力も、「毛沢東の意志を無視して、 鄧小平を完全抹殺出来るほどの権限の委譲が無かった」 ということは、やはり第一次天安門事件のときも 毛沢東の意向が働いて、不完全な失脚に止まり、 完全抹殺まではいかなかった...なるほどスッキリしました。 鄧小平という大物の運命をも決定づけてしまうわけで、 晩年とはいえ毛沢東の影響力は最後までとてつもないですね。 ご回答くださいました皆さまからは ご親切に詳細に教えていただきました。 とても勉強になりました。 ありがとうございました。