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「人間の生存競争について

「人間の生存競争について キリスト教的道徳を守っている 人間が必ずしも宗教的「永遠のいのち」 が得られるとは限らないのではないでしょうか? アンネ・フランクは道徳的な女の子 でしたが、生き延びられませんでしたから。」 と質問したところ、 「人間の生存期間は、どれほど長くても有限です。 そして、宗教的な「永遠のいのち」は、 生存期間が長いこととは無関係なのです。 また、宗教的道徳を守れば長く生存できるのだとすると、 それはむしろ科学です。」と回答を頂きましたが、 意味がよく分かりません。上記のように回答を 頂きましたので、科学のカテゴリーで質問します。

  • 科学
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質問者が選んだベストアンサー

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  • kurisogeno
  • ベストアンサー率31% (558/1748)
回答No.1

宗教の永遠とは長い期間を生きると言う意味ではありません、 長く記憶に残るという意味が強く、宗教とて人の死を明確に提示し 解説しているので、「永遠の命=長い期間」とか「不死」と言う事ではありません。 善行を行えば永遠に生き続ける、と言う解釈にすると解ると思います、 宗教の道徳とは、善行を行うことで周囲に認められ認知されるコトで、 人としての遺業を残す結果に繋がります。 その期間が長ければ長いほど、宗教の道徳も守っている事に繋がり、 宗教の教えに従えば長く生き続けられると人は思います。 因みに、宗教的に永遠の命と言うのは、悪行や異邦とされており、 キリスト教では「不死」として忌み嫌われています。 科学的な長い生存期間、善行を行うと長く生きられると言う事を、簡単に すると、善行と言うエネルギーを得ると、人はそのエネルギーの効果で、 細胞が死滅すると言う行為が一時的にとまる、と言う事に成ると考える。

sibukawa581
質問者

お礼

ご回答有難うございます。若干、難しいので 分かったような、分からない様な感じがしますが、 「永遠のいのち」=「不死」ではないことが 分かりました。

その他の回答 (1)

  • temtem1
  • ベストアンサー率40% (106/260)
回答No.2

キリスト教で言うところの永遠の命、とは、文字通りの不老不死という意味ではなく、死んだ後にその魂が神や天使に祝福されて天国で永遠に幸福に生きていける、くらいの意味ですね。 いいことをしたら死んだ後に神様に幸福にしてもらえる。日本の仏教やイスラム教、エジプト神話なんかでも一般的にみられる考え方です。 おそらく、コミュニティの中で犯罪や反社会的思想の蔓延を抑制するための一般的な技法だったと考えられます。 よく言いますよね。 「悪いことしたらお天道様がみてるよ」 「死んだら閻魔様が地獄行きか極楽行きか、生きてた時の善行と悪行を比較して決める。だから善行を積もう」 >>宗教的道徳を守れば長く生存できるのだとすると、それはむしろ科学です」 これについてですが、キリスト教などは現世的な利益を得る考えを忌避する傾向があるようです。 長生きするために宗教的道徳を守る、という行為はそれはもはや長生きするための技術であり、宗教ではない、という意味合いで、宗教ではないということを強調するために科学という言葉を使ったのではないかと思います。 本当の意味で不老不死になりたければ医療を研究して不老不死になれる薬でも開発するしかないですね。 もちろん宗教的道徳を守れば不老不死になれることが、『科学的に』証明されたのなら今すぐにでもキリスト教徒になるところですが。

sibukawa581
質問者

お礼

参考になりました。どうも、有難う。

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