宗教を信じる人間がいる理由とは?

このQ&Aのポイント
  • なぜ人は宗教を信じるのか?新興宗教にはまってしまう理由について考えます。
  • 洗脳や宗教国家といった特殊な要因を除いても、なぜ普通の人が宗教に惹かれるのか疑問です。
  • 人類が生まれながらにして論理的思考ができる人とできない人が存在する理由について考察します。
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宗教を何故、信じる人間がいるのか?

宗教を何故、信じる人間がいるのか? 国じたいが宗教国家であるなどをのぞいた。 洗脳する施設などで、長時間情報を遮断されたりするたぐいのガチの洗脳をされてしまった人ものぞくとして、 宗教的ではない家庭にうまれ、科学をそこそこかじり、言語をしゃべる事ができる人間が、 なぜ新興宗教などにはまってしまうのかに疑問があります。 彼らは、自ら宗教に近づき、自ら進んで自分や他人の生活を破壊します。 普通の論理的思考を持った人からするととてつもない疑問を感じます。 私の結論からいいますと、人は生まれながらにして論理的思考ができる人、出来ない人とが いるように思えます。それは、人類の遺伝子をつなぐサイクルの結果、論理的思考を欠く人間が必要だったの かもしれないと言うことです。生まれてくる全員が論理的思考を持ってしまうと、そこにはなんらかの問題が 発生するのでしょうか?それとも単純にあまり考えないからこそ出生率が高かったということなのでしょうか。 とても好奇心がわきます。詳しい方や、あるいはこういう意見がある等、聞かせていただけるとうれしいです。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#110906
noname#110906
回答No.1

こんばんわ。 直接的な解答になりませんが、意見を一つ。 「宗教を信じること」と「論理的であること」は別に相反しないと思います。 偶発的であれ「不思議体験」のようなものを何度か体験することで、 宗教を信じる「根拠」の様なものが芽生え、 そこから「宗教を信じる心」が論理的に構築されてゆくこともあるんじゃないでしょうか。 あくまで、私説に過ぎませんけど。

sikomigata
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 たしかに、「不思議体験」を経験したならば信じてしまうかもしれませんね。 でも実際にワカリヤスイ新興宗教などを信じている人は、親に教えられるままだとか、 科学的にも論理的にも実証できない迷信を信じています。 かといって、生まれたときから宗教の囲い込みを受けた人でも小さい子供の時から そういった迷信を否定できる人もいます。 違いはどこから生じるのでしょうね。

sikomigata
質問者

補足

皆さんご回答有難うございました。 どれが正しいという事がない質問だけに甲乙つけ難いので、一番始めに質問に答えていただいた方を ベストアンサーとさせていただきました。

その他の回答 (8)

noname#112475
noname#112475
回答No.9

臨死体験で、霊魂として肉体から離脱し、眠っている自分の肉体を見下ろし、周囲の人々の会話を聞いたり、他部屋へ移動してその様相を見聞したり、霊界へ行って天国や地獄や神仏的存在を見聞したりし、覚醒後その様相を語ったりした体験談は色々あります。(他者の証明も可能なケースがあるわけです。) まともな宗教は、善心善行がこの世でもあの世でも誰もが幸福になれる道である、と説いていますし、それは正しい論理だと思います。 間違った宗教もあると思いますが、正しい宗教もあると思いますし、宗教の有無に関係なくても間違った心行や正しい心行はあると思います。 以上全てから、正しい論理の宗教があるから、それを信じる人間がいると思います。

sikomigata
質問者

お礼

回答有難うございます。

noname#123390
noname#123390
回答No.8

この世界はまだ(今の最先端の)科学でも解決できない現象や諸問題が沢山あります。かって論理的思考ではせた(そして自分の神のために殉じた)三島由紀夫が描いた一般的な「神」の姿として、現代科学が照らしきれない世界の辺境でわれら世界の秩序を守るために人間によって派遣され永劫立ち続けている白髯の衛兵というイメージがありました。 三島の死に象徴されるように、人間とはかくも非論理的な、弱い存在なのでしょう。それゆえに世界は面白いといえなくもないのですが。 論理的思考で神の存在が否定できると私は思っていません。神を否定するためには、神はいない、という信念が必要です。これがいまだに先進国のインテリ層から宗教がなくならない理由だと思います。 ご参考まで。

sikomigata
質問者

お礼

回答有難うございます。

  • 6750-sa
  • ベストアンサー率26% (438/1656)
回答No.7

分からない事が多過ぎ、知りたい事も多いから、好奇心と依存心、それと恐怖心。 科学や医学も未知の部分が山積しているのに、それらに頼ろうとする(必然)、政治組織や会社組織などの団体に身をあずけるのも宗教を信じるのと同じ構図、いくらかの現実に推測や嘘を加えて心を操られていても認めない。

回答No.6

心は変化しやすいから不安を抱えたりしたらそこから依存心が生まれます。信じるものは救われると宗教では説きますが、弱っていたらそれを真に受けて盲信してしまうひともいるでしょう。マルチ商法なども巧みな話術によるマインドコントロールだと思います。コマーシャルの宣伝効果も然り。ひとには2種類存在するというあなたの主張は私も賛同します。違いがあるから素晴らしいんだと考えます。

sikomigata
質問者

お礼

回答有難うございます。 違いが有ってすばらしいのは、当人が幸せである時だけだと思います…。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.5

オウム信者の問題がありましたよね。 信者はエリートばかりで、その道理がわかっている人達が何故、超常的なことを言う宗教にはまってしまったのか。 いくつかあるでしょうけど、まず気質が超真面目。 これは見逃せないポイント。 次に自己愛が猛烈に強い。 そして催眠にかかりやすい体質。 この3つの条件が揃う人が、猛烈信者になりやすいと思います。 例えば大学教授ほど騙されやすい。 コツコツと地道な努力をする超真面目な人が大学の講師になりやすいと思う。 柔軟な思考ができないかわりに、一度思い込むととことんのめりこむという個性がある。 だから一つの研究をずっと続けられるので、講師や大学教授になるわけです。 で、この道理がわかるエリートを騙すにはトリックを使う。 真面目ですから見たままを認識し、仕掛けがあるんじゃないかと疑わない。 詐欺師は大学教授とかそっち系統を獲物として選ぶんです。 他の人は無理でも、このタイプは簡単に騙され信じると経験上わかっているから。 詐欺師はターゲットを選ぶとき、相手と会話して真面目かどうか判定して、真面目だとわかると仕事をはじめます。 次に自己愛が強烈に強い人。 上記の真面目な性格の人を騙すには、おだてること。 その人を褒める。 自己愛が強いと、すぐおだてに乗り気をよくする。 これで相手の警戒心を解除させ、最後の仕上げとして、、、催眠をかける。 驚愕法を使うんです。 相手が驚くような内容を言う。 自己愛が強いので自分を褒める相手は正しい、善い人だって思っている状態の人に、驚くようなことを言われると催眠に入る。本人には催眠にかかったという自覚が全く無い。 あとはちょろいです。 ヒトラーの演説も驚愕法だし、オウムも一種の驚愕法。 つまり催眠術。 催眠は時間とともに解けるので、集会に参加させて、定期的に催眠をかけなおす。 3つの条件(超まじめ・超自己愛が強い・催眠にかかりやすい体質)が揃わないとはまらない。 と私は分析してます。

sikomigata
質問者

お礼

回答有難うございます。 自己愛が猛烈に強いとかかりやすそうですね。自分の自身のなさの裏返しですから。

noname#110906
noname#110906
回答No.4

新興宗教を否定する=科学を肯定するものの見方をして「論理」というなら、 全てがその「論理」というもので解決できるわけではないと思いますね。 この場合の「論理的」は「科学的」とほぼ同値でしょう。 例えば、森の中をさまよい歩いていて、道が2つに分れていた。 どちらを進めばよいかという問題を、「科学的」に解決できるでしょうか。 風景や方角などの情報が有れば別でしょうけど、 情報が極限まで削られた状態で 「科学」は全く意味を成さなくなる。 こう言うとき、判断の根拠になるのは、今まで経験してきたこと (例えば、右に進めば良いことが多かったなぁ、といったこと) なのではありませんか。 つまり、経験に依存すると言うことです。 このときに為された判断を、他人が「科学的」に考察してみたところで なにか整合性をもった結論が見いだされるとは思えません。 しかし、判断した当人にとっては、経験という根拠があるわけで それをもとに、構築した道筋は ある意味では「論理的」だといってもいいんじゃないでしょうか。 よくよく考えてみると、「宗教を信じるか否か」という分かれ道が 「科学的」思考の介入を許すところにあるという保証は全くないわけです。 そこで為された判断に関し「科学的かどうか」という問は適切ではないような気がします。

sikomigata
質問者

お礼

回答有難うございます。 新興宗教に入った知り合いの方は、皆、きちんと科学的な視野をもっている方でした。 信じた瞬間は、よっぽど視野が狭められた状態だったのでしょうね。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

メサイアコンプレックスじゃないかと。 http://yukitachi.cool.ne.jp/column/c012messiahcomplex.html 『実際に「メサイア・コンプレックス」という言葉が使われている場面や文脈を見ると、「コンプレックス」の意味が無視されていることが多いようです。  ここで「メサイア・コンプレックス」という言葉が、実際にどのような使われ方をしているのか、ちょっと整理してみましょう。』 コンプレックスという意味。 トラウマとは違う。 新興宗教に走り、それを自らだけではなく、他人にも信仰してほしいと渇望する心理はどのようなもので構成されているのか。 <自己救済> 『困っている人を助けたり、苦しんでいる人を救ったりしていれば、「感謝される」というすばらしい体験をする機会が増えてきます。 「感謝される」という体験が積み重なれば、自分自身の存在の肯定につながってきます。 また、自分は社会的価値の高い行動をしているという「自信」も、自分自身の存在の肯定につながってくるでしょう。 そうして、自分自身の存在を、確かな実感を持って肯定することができれば、「抑圧」された自己否定や自己蔑視の感情は、解消されると考えられます。 よく「情けは人のためならず」(この言葉、誤解している人が多いようなので、一応説明しておきます。本来の意味は、「他人に親切にすると、巡り巡ってその親切が自分に返ってくる。だから、他人に親切にすることは、結局は自分のためになることなんだ」という意味です)と言いますが、まさに自分自身の存在の肯定につながってくるわけです。 信者たちは、心の奥では、「もっと救われたい」とか「自分は救われていない」という感情を持ちながらも、無理矢理それを「抑圧」させられてしまうのです。  これが新興宗教の信者たちの、「メサイア・コンプレックス」の原因だと考えられます。 「もっと救われたい」の場合には、その 「 抑 圧 」した感情を、身近にいる困っている人や問題を抱えている人に 「 投 影 」 します。 そして、その人を教団に入信させ、「転移性治癒」の段階にいたるまでの課程に 「 同 一 視 」 するわけです。  「自分は救われていない」という場合には、「 反 動 形 成 」 として「 自 分 は 救 わ れ て い る 」 という 強 迫 的 な 思 い こ み を 強固にするために、ほ か の 人 を 勧 誘 す る ようになります。』

sikomigata
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 サイト、読んで見ました。 とても面白いですね。 脳の構造上、そういう事が起こってしまうという事ですね。 精神的なサイトは見たことがありますが、論理的なアプローチの仕方で分かり易いサイトでした。 最近、宗教とか政治とかを見たり聞いたりしていて、 人に操られやすい脳を持った人間は種が繁栄する為に必要だったという事もありえるのではないかと 疑問に思って質問をさせていただきました。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2314/7952)
回答No.2

言語コミュニケーションがあり社会性がある以上、宗教儀式が発生しないことがありませんし、 論理的思考がある人間こそ宗教を持ちます。そもそも科学は宗教学の一派です。 相談者さんは、宗教を三大宗教と新興宗教に限定しすぎではないでしょうか。シャーマニズムの民間信仰は誰にでも存在します。 「明日天気になあれ」 他者と言語で自分の気持を伝えるときに、他者でも自分でもない影響力が神という概念であり、他者と自分で共通する外部の力に対する畏れが宗教です。 晴れて欲しいと願う心は、自分でどうにかできる力ではなく、晴れにできる存在を想定して、その存在に祈るのです。それが神ですし、祈りが通じることがあるから祈る事を学習すのです。 自分独りで思っている分には宗教になりませんが、他人と晴れにする方法を話し合い、下駄が表なら晴れるというルールを作ることが宗教の教義になります。 論理的思考を持てば持つほど、論理的に解明できない問題が浮き彫りにされてくるため、論理的に説明できない部分が神の領域になります。 論理を持たないと、当たり前に存在するため、神格化しません。 進化論はキリスト教の教義に反する理論ですが、進化がいつ起こるのか、サルとヒトをつなぐ過程の生物が発見されていないため、多数派の信仰の一つにしかなっていません。 現にアメリカでは半数の人が進化論を信じていません。それだけで1億5千万人以上否定派がいることになります。 宇宙学や素粒子学になると人智を超えた物理現象が発生するため、その事象の論理的思考はどんどん神の領域になります。

sikomigata
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 たしかに、論理的思考を持てば持つほど、思考の矛盾にぶちあたりますね。 そこに神があるとか、あるいは悪魔が巣食っているとか、そういった結論にいたるのはいいのですが、 私が問題視しているのは、そういった論理的思考なしに、いきなり盲信してしまう人の事です。 たとえば「手をかざすと直る」とか、「この教祖様は、これこれこのような事をして、世界的にこのような 評価うけている」等といった、一度も経験したこともない事や、実際に調べれば嘘か本当かわかりそうな事を 盲信している人の事です。

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  • 親の宗教が受け入れられません

    私が産まれる前から母親が新興宗教に入っており私も小さい時から活動に参加させられていましたが、ずっとその活動も宗教も嫌いでした。母は私に活動を強要して来ます。私が嫌そうな態度を見せるとヒステリックのように神様に守って頂いているのになぜ感謝できないの!と言います。しかし私は宗教の事が逆に悩みになってしまい感謝など出来ません。母親とは普通の家族のように仲良くしたいのに母は宗教中心なので私とは考え方が違うしそんな母をとうざけてしまいます。現在離れて暮らしていて少し気が楽ですが、自分が進路や仕事の事で悩んだ時一番相談したい親は宗教を中心とした生活なので一般的な意見は言ってくれませんし、神様におまかせしなさいと言った感じです。私はただ普通な生活がしたいだけなのに。宗教に頼らないと不幸になるかのような母は洗脳されていると感じます。社会に出て宗教をしてなくても幸せに暮らしている人をたくさん見てそう感じました。逆に私にとって宗教が重荷になっています。母を変える事はこれから先無理な気がします。完全に洗脳されていますから。かと言って母とこれ以上関係を悪くしたくありせんが宗教を好きになる事は出来ません。八方塞がりで毎日悩みもう苦しいです。ちなみにその宗教は結構お金も使わせるし、信者は極端な考え方に洗脳されてるなと思います。例えばこの宗教意外の宗教は救われない、薬は飲むな、献金や参拝をしなければ曇りがたまり不幸がふりかかるとか、お祀りしてある掛け軸に虫がとまったりするだけで何万円ものお清め代をとられたり。その宗教に献金する事で家がお金に困らなくなると言って一度に100万円献金させたりもします。うちは一体いくらつぎ込んでるのか、娘の私には一切聞かされませんが…。私には一切贅沢はさせてくれなかったけど母は宗教に払うお金には全く躊躇しません。宗教活動のため育児放棄のような事もされました。これら一種の脅しのように感じます。本当にそれで幸せになれるなら私は宗教で悩んだりしないはずでは?疑問ばかりです。 長くなって申し訳ありません。 同じような悩みを持つ方、または解決された方、このような問題を抱えていなくても何か解決に向けた意見のある方、ご回答お願いします。