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和歌の出典と解釈

質問は3つあります 1「よよふとも忘れ形見の思いでは 袂に月の宿るばかりか」  耳で聞いたので原文が分からない。西行の「山家集」が出典らしいが出ていない。原文、解釈出典が分かればありがたいです。 2「思へども身をしわけねば目に見えぬ 心を君にたぐへてぞやる」  これも聞いただけで、原文、作者、出展が分かりません。できればどういう場面で作者が読んだのかが知りたいです。 3 あと、月を詠んだ歌で、あなたと離れていても月を見ればあなたの事を思い出す。あなたも私も同じ月を見ているのだから・・・といった意味合いの歌があったと思うのですが、原文を忘れてしまいました。もし心当たりありましたら教えてください。よろしくお願いします。

  • jobin
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質問者が選んだベストアンサー

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  • Alias
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回答No.2

1. 出典:『山家集』 636番 原文:世々経(ふ)とも 忘れがたみの 思ひ出は たもとに月の 宿るばかりか 大意:(あの人と別れてから)どれだけ時が過ぎても忘れられません。忘れ形見となる思い出といえば,叶わぬ恋の悲しみの涙に濡れる袂に宿る月影だけです。注:「忘れがたみの」は,「忘れがたい」と「忘れ形見」の掛詞です。 2. 出典:『古今集』 373番 原文:思へども 身をし分けねば 目に見えぬ 心を君に たぐへてぞやる 大意:旅立ったあなたのことを恋しく思っても体を2つに分けることはできないので,せめて目に見えない心だけでもあなたに連れ添わせます。 注:詞書きに「東(あづま)の方へまかりける人に詠みて遣はしける」とあります。 3.については,記憶をかすめるものはありますが,出てきません。分かったらまたご報告しますね。 上記の歌番号について,tenhouさんと食い違っていますが,たぶん私のもので間違いないと思います。ちがったらごめんなさい。(^^;

jobin
質問者

お礼

早速のご返事ありがとうございます。正確な出典を当たって解釈を深めたいと思っていたのですが、ふだん親しんでなかったもので、なかなか探せませんでした。本当にありがとうございます。3について、もし分かったらまた教えてください。いにしえの日本人の心の表現は本当に豊かで、心表れる気がします。ありがとうございました。jobin

その他の回答 (3)

  • Alias
  • ベストアンサー率59% (173/293)
回答No.4

お尋ねの3.について,私の「記憶をかすめた」のは次のものだったかもしれません。sukemasaさんも挙げておられる,『和漢朗詠集』242番に採られた白楽天の漢詩の一節です。  三五夜中の新月の色 二千里の外の故人の心  (さんごやちゅうのしんげつのいろ じせんりのほかこじんのこころ) 白楽天が,長安の十五夜(三五夜)の月を眺めながら,僻遠の地に左遷された親友を思いだして,「彼もこの同じ月をどんな気持ちで眺めていることだろうか」と詠んだものです。和歌でない上に恋人どうしでもありませんから,お尋ねのものではないと思いますが,いちおうお知らせしておきます。私自身,やっぱりなにか和歌が記憶をかすめているように思えてしかたないのですが,いろいろ探しても見あたらないし,思い出せる可能性もあまりなさそうです。お役に立てなくてすみません。

jobin
質問者

お礼

詳しい解釈を添えていただき理解が深まりました。私の記憶も和歌にあるのですが、新しい発見で嬉しく思っております。ありがとうございました。jobin

noname#2543
noname#2543
回答No.3

1.(略) 番号はAliasさんでよいようです。 2.(略) 3.「あなたと離れていても月を見ればあなたの事を思い出す。あなたも私も同じ月を見ているのだから・・・」にぴったりくる歌は思いつきません。  類歌は色々あります。一例として、1で出てきた西行の歌では、   月見ばと契りおきてし故郷の 人もや今宵袖濡らすらん (新古今集938)   (月を見たら互いに思い出し合おう約束しておいた故郷の人も、今夜は私と同じように月を見て袖を濡らしていてくれているだろうか)  月が離れた人を媒介するというのは、漢詩に多い発想ですね。杜甫の『月夜憶弟』とか白居易の「三五夜中新月色 二千里外故人心」などが有名例でしょう。

jobin
質問者

お礼

早速のご返事ありがとうございます。私自身、3の質問については、西行の物だったのかどうかも心もとないのですが、この歌を見てそうだったような気もいたします。漢詩には親しみが薄い私ですが、逆にそういう発想が多いということは発見でした。ありがとうございます.参考にさせていただきます。jobin

  • tenhou
  • ベストアンサー率12% (1/8)
回答No.1

1の回答:「世々ふとも忘れがたみの思ひ出はたもとに月のやどるばかりぞ」西行の山家集・戀歌・1103番だと思います。 2の回答:「思へども身をし分けねば目に見えぬ心を君にたぐへてぞやる」古今集・離別・373番・伊香子淳行の歌だと思います。意味は「この身を二つに分けたいと思うけど、それは無理だから目には見えない私の心を君に連れ添わせて、一緒に行ってもらいましょう」 3の回答:心当たりを調べてみたのですが、残念ながらこれと思う歌がみつかりませんでした。 あまりお役に立てず申し訳ありません。

jobin
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。実は思いを寄せる人に言葉を添えたくて、正確なものを当たっていたのですが、ふだんから親しんでいないためになかなか出典などが分かりませんでした。本当に助かりますありがとうございます。いにしえの日本人の心の表現はなんと豊かなものでしょうか。大変に心打たれる気持ちがします。どうもありがとうございました。     jobin

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