我は第六感をもって霊験を成しうるか?

解決済みの質問

我は第六感をもって霊験を成しうるか?

人間が人間としての心をもち合わせているか否かの問いです。
美術鑑賞をする「心」から問いを始めます。

習字を見るときは字面を眺めても善し悪しはわかりません。
良い書とは書いた人の人生の全てをこめるような入魂がなされています。
それは見る人にしかわかりません。
絵画とは心の世界をいかに描写したのか、その心の豊かさを問うものです。表現技法はおまけみたいなもんです。
写真は誰でも撮りますが芸術に昇華された写真とは、撮影者の心を絵画と同じつ投影しています。写真で伝わる被写体の存在感は写真家の感性に由来しています。

これらは美術関係の読み物を読めば誰かが似たような事を書いている美術鑑賞のコツです。技法等に根拠の無い感性のみの共感作用です。
感性を磨くコツが判る人は本物を見分ける事が出来ます。
この場合の感性とは論理だけでは理解できない第六感でして非凡な才能であれば霊感とも解釈できます。
ここまで言えば大抵の人は感性が人間に備わっていると了解できるでしょう。
それを哲学に持ち込むと、
「我は第六感をもって霊験を成しうるか?」
このようになります。
そこで問いかけですが、哲学が感性の話を難解にする原因とは何でしょうか。

投稿日時 - 2010-02-10 22:04:06

QNo.5665926

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

>善悪で区分したのみが哲学の原型なら感性の話すらもそっちのけと言う事でしょうね。

哲学はギリシャが誕生の地でしたよね。
で、ギリシャ人は 美にこだわったんです。
アレテーだったかな?

馬のアレテー(美)は早く走ること。
じゃあ 人間の アレテーは?

善く生きること  としたのが、、、だれだっけ? プラトンあたりだったような・・・
では善く生きることはどんなことか うんたらかんたら って発展していったんだったような・・・・。

前とった基本科目の中にでてきたもので、試験おわちゃうと忘れてしまうという ><;

投稿日時 - 2010-02-12 02:39:43

お礼

善悪で区分したら生死の明暗が忍び寄るよ。
昔は大変だったんだねー

ところで失恋の傷はいえましたか

投稿日時 - 2010-02-12 11:57:51

ANo.3

3人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

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ベストアンサー以外の回答(2件中 1~2件目)

ANo.2

>哲学が感性の話を難解にする原因とは何でしょうか?

哲学とは「環境認識において、それぞれ個別の対象や現象を有する
学問(物理学、生物学、社会学etc.)を除いた全て」です。
よって「哲学」=「感性」とも言えます。
人は五感を駆使していますが「第六感」とは、五感の総合的かつ有機的な絡み合いのことを言うのであって、実際に「第六感」という機能がある訳ではないと思います。「難解」なのは「五感の総合的かつ有機的な絡み合い」の「表現方法」ではないでしょうか?(ちなみに言語は1次元的なものです=数珠のようにつながったもの)
よって、表現能力に優れた人間ならば、2次元や3次元の美術品を1次元の言葉で上手く表現できるはずです。

投稿日時 - 2010-02-11 08:04:32

お礼

ありがとうございます。
>表現能力に優れた人間ならば、2次元や3次元の美術品を1次元の言葉で上手く表現できるはずです。
これはその通り。当たり前ですよ。

投稿日時 - 2010-02-11 21:08:42

ANo.1

うーん。
書道って漢字が多いじゃないですか。
そしてその漢字は象形文字が多いじゃないですか。
そのままを見せなくても象形文字で、まあ ほどほど実物に近いものを表すとして漢字が使われるわけで。

http://www.ens.ne.jp/~a-in/kigen2.html

で、原型に近い図柄が書道で描かれていると、なんか 感動を覚えるじゃないですか。
躍動感あふれる文字だと、文字が動物のように生きているように思えるし。


で、イデア論ってものがあるじゃないですか。
ソクラテスが言ってたものをイデアと名づけたのがプラトン。

wikiより<プロティノスは、万物は一者(善のイデア)から流出したという解釈で矛盾を解決しようとした。> いろいろな影の出所は一つで、それは普遍のものから流出している という考え。

ただ、有限の肉体を持ったために、それそのものを感じ取ることができなくなったとなったわけです。
ただし、有限の肉体を持った人でも、普遍のそれを感じることができる人がおり、その人の言うとおりに生きていれば、回帰できるとしたわけで。

で、さらにwikiのプラトンの項目より
<感覚は不完全であるため、正しい認識に至ることができないと考えたためである。また、プラトンは芸術についても否定的な態度をとった。視覚でとらえることができる美は不完全なものであり、芸術はイデアの模倣に過ぎない現実の事物をさらに模倣するもの、さらには事物の模倣に過ぎないものに人の関心を向けさせるものとして、価値を見出さなかった。>


で、<プラトンは形而上学とひとつになった倫理学を初めて確立した。>
つまり人が快いと感じるものが善となり、不快に思うものは悪だする倫理。

さて、倫理は感性の話を難解にするのか。
どうなんでしょうねぇ・・・。
人の感性は当てにならないものなんでしょうか。
どうなんでしょうねぇ。

投稿日時 - 2010-02-11 00:38:36

お礼

ありがとうございます。
善悪で区分したのみが哲学の原型なら感性の話すらもそっちのけと言う事でしょうね。

投稿日時 - 2010-02-11 21:11:23

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