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子供は同じ事を何度やってもあきない仕組みについて

お世話になっております。 子どもと大人の心理について気になる事があったため、質問させて下さい。 【質問内容】 どのような理由で、子どもは何度同じ事(行動)をやってもあきないのに対し、大人だと逆にあきてしまうのでしょうか?(可能であれば、どの心理学に該当しているかを併せて教えて頂けると有難いです) 私の考えですと「経験」「価値観」「性格」「周りの環境」への関わりや、その物事に対する欲求・快感が関係しているのではないかと思いました。 以上、御回答よろしくお願い申し上げます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ye11ow
  • ベストアンサー率40% (230/564)
回答No.5

>私の考えですと「経験」「価値観」「性格」「周りの環境」への関わりや、 >その物事に対する欲求・快感が関係しているのではないかと思いました。 という質問者さんのお察しには、私としてはかなりの部分賛成できるところです。 「飽き」とは欲求充足につながらない行為を回避しようとする傾向だといえましょう。 快を求める欲求が高まっているときに、それを充足しない行為は避けたくなります。 また、快をもたらさない行為をわざわざやるというだけでも億劫なものです。 子どもが飽きを生じないわけではないと思います。 乳児を同じ抱き方で抱き、同じ場所を往復していると、やがて飽きて泣き出します。 また、子どもの興味の対象はどんどんと移り変わっていきます。 同じことをしていたとしても、運動能力や知的能力が発達途上にある子どもにとって、 行為の意味合いが毎回同じではないのだと思います。 行為を続けているということは、その行為から何らかの新鮮な快刺激が得られ、 欲求充足につながっているのだと考えられます。 同じ反復行動でも、それを行う人の状態によって、行為の意味が異なってきます。 同じ動作を繰り返して多くの部品を組み立てる工場作業員の例を考えてみましょう。 動作に慣れているベテランにとっては、組み立てはまさに同じ動作の繰り返しです。 しかし、配属されたばかりの新人にとっては、まったくそうではありません。 慣れない手つきで一生懸命仕上げるも、完全に思い通りには仕上がりません。 どうしたらベテラン社員のように上手に速く作れるのだろうと悩みます。 1回1回の動作が、試行錯誤、仮説の検証、コツの把握、微妙な感触の確認、 反復による条件付け、というような勉強・訓練であり、大きな意味を持つのです。 また、同一行為を繰り返していく過程は、長期記憶の形成に必ず必要なものです。 学習効果のある反復行為をしている最中というのは、多くは気持ちの良いものです。 外からはそう見えたとしても、意味の薄いただの反復行為ではないのです。 小さな子どもは大人に比べ、慣れていることや知っていることが著しく少ないのです。 大人にとってはさほど面白くない、すぐに慣れてしまうような行為でも、 さまざまなことへの慣れが十分に形成されていない子どもにとっては、 新奇欲求をより長く、より深く満たし続けることのできる課題になっているはずです。 行為が長期記憶として蓄えられ、快をもたらす刺激が得られなくなるまでの期間は、 当然大人よりは長くなるわけです。 大人になるにつれ飽きを生じやすくなるかどうかは、実際その人次第だと思われます。 例えば、絵画を鑑賞するセンスのある大人は、同じ絵を何時間でも見続けられます。 絵を観るといっても、色のコーディネート、輪郭、立体感、構図、作者の表現意図、 自分に生じる自由なイマジネーション、などいろいろと味わう要素があることでしょう。 しかし絵画鑑賞のセンスが発達していない子どもではそうはいかず、すぐに飽きます。 行為と人との関係、そして人の能動的な側面が、 行為から引き出される刺激の量を決めるのだともいえましょう。

fujisankun
質問者

お礼

長文にわたって、丁寧に回答して下さいまして誠にありがとうございます。せっかく回答して下さったのにも関わらず、お礼が遅くなってしまい申し訳ございません。 やはり欲求・快感・経験などに関わりがあったようですね。 私は鉄道ファンなのですが、大人になっても鉄道が飽きないのは何故なのかが疑問に感じていたのです。子どもも大人も「飽きる・飽きない」の仕組みについては、どうやら個人差があると同時に性格や生涯など多方面に関係しているのではないかと感じました。

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その他の回答 (4)

  • 6750-sa
  • ベストアンサー率26% (438/1656)
回答No.4

やっていることの意味を考えていないから。 大人になると「いったい自分はなんでこんなことをやっているんだろう」と考える。 糧を得るために、苦痛を感じながら毎日同じ繰り返しの日々。 幼い子供は、しょうもないギャグでも飽きることなく反応して笑う。 大人になって飽きるという特性が芽生える前に、社会に対する耐性を鍛えているのかもしれない。

fujisankun
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。お礼が遅くなりまして申し訳ございません。 他の方からの回答と併せてみると、やはり自我の完成・未完成によってその事が分かるわけですね。

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noname#100496
noname#100496
回答No.3

子供は、脳が発達してないから、無我だから、脳の影響が無いから、あきない。大人は、脳が発達してるから、脳の自我の影響を受けるから。脳は、次次と新しい刺激を求めるので、あきる

fujisankun
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。お礼が遅くなりまして申し訳ございません。 どうやらエゴ(自我)の完成・未完成によって「飽きない・飽きる」という心理があるわけですね。

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  • yonakan
  • ベストアンサー率21% (3/14)
回答No.2

「同じ事(行動)」と仮定されていますが 子供の世界では微妙に1パターン1パターン 違うかも知れませんよネ それを逆に大人は「同じ事(行動)」と ついつい一言で括ってしまいます。 子供は先入観が無いから行動の一つ一つが 新鮮で充実しているからです。

fujisankun
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。お礼が遅くなりまして申し訳ございません。 確かに、子どもは大人と違って先入観がありませんから、何度同じ事をしても飽きないわけですね。参考にさせて頂きます。

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noname#194289
noname#194289
回答No.1

子供は大人に比べて「我を忘れる」ことが得意なのではないでしょうか。子供は我が完成途中ですから忘れやすいのかもしれません。これに反し大人はしょっちゅう「我にかえって」います。飽きるというのは正に我にかえっている状態です。

fujisankun
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。お礼が遅くなりまして申し訳ございません。 確かに、子どもは自我がまだ未完成であり大人は逆に完成しておりますから、それであきてしまうわけですね。参考にさせて頂きます。

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